『ちびまる子ちゃん』でおなじみキートン山田が語る「引退の理由」と「第3の人生」

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2021年03月14日 16:10  週刊女性PRIME

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キートン山田 撮影/森田晃博

 『ちびまる子ちゃん』『ポツンと一軒家』のナレーションでおなじみのキートン山田が、半世紀にわたる声優人生に終止符を打つ。10年前から決めていた引退の理由、今後の人生設計を直撃!

人生の後片づけを元気なうちに

「想像以上に反響がありましたね。親戚や知人から“病気や、どこか悪いのではないか”と心配され、ファンの方からもたくさん手紙をいただきました」

 人気アニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)の3月28日放送を最後に番組開始から30年担当したナレーションを卒業、引退することを発表した。

「10年前から決めていたことです。65歳のときに同級生が定年を迎える年齢になって、自分はいつがいいのかずっと考えていました。

 (番組が)30周年を迎えたことや75歳になって今後のことも考えて、人生の後片づけを元気なうちにしようと思ったのが理由です

 芸能に携わるなかには、生涯現役にこだわる人もいる。

「ずっと健康で元気でいられる保証があればいいけど、倒れそうになってやるのはつらいし、周りにも迷惑をかけますから。

 一生やるのも素晴らしいけど、自分の生き方をしたいというのがあった。(引退まで)10年かけてきたので心残りや一抹の寂しさというのもないし、後悔はないですね」

 静岡県伊東市在住で、引退後は野菜づくりに励む。

「もともとやっていた野菜づくりを本格的に楽しみながらやっていきたいです。仕事で東京と行き来しているときは、ちゃんと面倒が見られなかったので、これからは朝、起きるのも楽しみです」

 7坪の畑で、きゅうり、トマト、なす、さといも、ねぎ、ニラ、小松菜、おくら、ニンジン、大根を栽培する。

「今は土づくりをしていて、早く種を買いに行きたいです。これからは葉物を植えます。野菜がとれる時期は、スーパーで買わずにすみます。畑仕事は腰が痛くなったりして結構、大変ですけど、時間を忘れてやっています」

心揺れたラスト収録、決まり文句は“天の声”

 2月末、『ちびまる子ちゃん』の卒業収録を行った。

「平常心でやろうとは思ったけどマイクの前では、そうはいかなくて心揺れながら終わりました。(収録)前日は、普通に眠れたけど、終わった日は、なかなか寝つけなかったです。ホッとしていいはずなのに、なんか眠れなかった。普段は見ない(共演)メンバーが夢に出てきましたよ。これからだんだん(いろんな感情が)わいてくるのかなと思います」

 収録後は、花束や記念品をプレゼントされ、記念撮影をしたが、涙する共演者もいた。

「(卒業収録では)ちょっとした仕掛けがあって、最後は主役のTARAKOちゃんと一緒にやりたいと思ってお願いしたら(収録で彼女は)泣いていました」

 ナレーションは、原作者さくらももこさんのご指名だった。

「そのことは、番組が始まって何年かたってから聞きました。最初は、15秒の番宣のためのナレーションだと思っていたら(後日)レギュラーです、と言われた。題名や内容すらよく知らなくて、手抜きの絵じゃない? と思うくらいでした。でもそれが、こんなに長く続くとは思わなかったです。

 特に感慨もなく普通に仕事をしていましたが、やるたびに面白いな、と感じたんです。こんなことはいままでなかったし、珍しく自分にピッタリだと思った。やりたかったのは“これだ”と楽しみになっていきました。

 情報番組でのナレーションはありましたが、アニメでは珍しかったこともあると思います」

 そうしたなかで決まり文句“後半へつづく!”が生まれた。

番組が好きで入り込んでいたら、自然に出てきた。天の声が僕にしゃべらせたようなつぶやきだったと思う。見ている人へのメッセージ“後半に続くよ”というね。ももこさんが台本に書いてくれたときはうれしかったね。

 地方に行ったときには“まる子”のナレーションをやっている人だとわかると、子どもも大人も関係なく必ず“後半へつづく!”をリクエストされました」

“一生の仕事”を模索、30代半ばの挫折と改名

 声優への道は、高校卒業後、北海道から上京してサラリーマンになるが“一生の仕事”を考えるようになったのがきっかけ。

19歳のとき会社勤めに慣れてきて一生の仕事は何か、ほかにあるんじゃないかと思うようになったんです。子どものころは無口で、人と話すのが苦手。思ったことを口に出せないタイプでした。そんな性格だったので会社に入ってお得意さんと会うのも、人とのコミュニケーションも苦手でした」

 そんなとき、たまたま手にした劇団員募集のチラシを夜な夜な見ているうちに夢が膨らんだ。

「テレビのない時代に育ち、年1、2回見るのが娯楽だった映画の役者になりたいと思うようになりました。積極性がない男が、どきどきしながら応募して(入団OKの)返事がきたらまたどきどきしていたので結果、入団しても何もできない。でも1年間は通うと決めていました」

 1年で辞めたが、先輩の紹介で所属した劇団ではCMの仕事が次々に舞い込んだ。

「インスタントラーメンやビール、全国展開する大手小売チェーンのCMに出演しました。当時、4畳半の家賃が1か月4500円でしたが(CM出演料は)6000円でした」

 その後23歳のとき、先輩に誘われて声優の仕事を始めた。

「声優も役者の一部、経験だと思ってやるようになったのがきっかけです」

 『タイガーマスク』でデビューして以降、『ゲッターロボG』『一休さん』『サイボーグ009』など人気アニメのレギュラー声優を担当し、順風満帆な生活を送っていた。

 しかし、30代半ばに挫折を味わった。

「家の購入ローンを抱え、3人の子どもがいましたが、レギュラーの仕事がなくなってアルバイトや内職でしのぐ生活。行き詰まっていましたが、新たに就職先を探す気にもなれませんでした」

 気持ちが下向きだったという生活は3年近く続いたが、38歳のとき再起を図るために本名から芸名にした。米国の喜劇役者バスター・キートンから命名した。

「改名することに事務所はじめ関係者は猛反対でした。子どもにも“カッコ悪いからやめてよ”と言われて、賛成する人はひとりもいませんでした。思い切ったことをしないとダメになると焦りました。葛藤があったからこそ今があると思っています

 改名は功を奏した。人気ナレーターとして『ちびまる子ちゃん』『ポツンと一軒家』(テレビ朝日系)の“声”を代名詞に活躍したが、『ポツン―』の最後のナレーション撮りが終わると、50年にわたる声優生活に別れを告げる。

「ここまでできたことは不思議さと感謝しかないですね。才能でもないし、声がいいわけでもない。結局は出会いと運がよかったとしかいいようがない。自分で努力したことをあえていうなら、粘り強く途中でやめなかったことだけです」

 “キートン節”が聞けなくなることを寂しく思うファンには、

「申し訳ない。でもCDやDVDで声は残るので勘弁してほしい」

人生の後片づけと第3の人生を充実

 今後楽しみにしている野菜づくりのほかには断捨離をするという。

「モノがありすぎるので、すっきりさせたい。寝たきりになってからでは何もできないので、動けるうちに自分で判断したいです。今の僕にとって大事なことは人生の後片づけ。それには時間がかかると思っていて、とりあえず1回ゼロにしないとわからない。

 子どもや孫には“何でやめるの?”と言われます。でも僕のこれからの時間の過ごし方は理解されないかもしれないけど、それは死んだ後にわかってもらえればいいし、子どもたちへの教育です」

 そして、セカンドではなく、第3の人生に思いをめぐらしている。

「独身時代、子育て&仕事の時期があって、これからは第3の人生。そこがいちばん短いと思うし充実させたい。最後はそこが大事で幸せが決まる。昔はよかったとは言いたくないから、今がいちばんと言えて逝けたら人として生涯現役でいられたことだと思います」

 新たな“人生へつづく!”に気持ちは前向きだ。

3月28放送『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系日曜夜6時〜)

「ある春の一日」
【あらすじ】ある春の日。夜桜会のことを聞いたまる子。翌日、さくら家も夜桜会に行くことになったのだが、朝から次々に起こる不運。これは出かけるなという知らせ……? はたして、夜桜会には行けるのか?

このニュースに関するつぶやき

  • 「これ!新右衛門。一休殿を呼んで参るのじゃ」。蜷川新右衛門は実在。但し一休より大分若かったらしい
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