ウォン・ビン主演『アジョシ』から見る、新たな「韓国」の側面とは? 「テコンドー」と“作られた伝統”の歴史

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2021年03月26日 22:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『アジョシ』

 ブルース・リーとジャッキー・チェンが闘ったら、どちらが勝つだろうか――。

 韓国では、こんな愚問に子どもたちが必死に答えを出そうとした時代があった。1970〜80年代、私も含め、特に男の子たちがこの議論で熱くなり、その当時、中高生だった彼らは、現在アラフィフの「アジョシ(おじさん)」になった。当時の子どもたちにとってアクション映画といえば、なんといっても香港のカンフー映画が一番。日本映画はそもそも輸入禁止で、“闇”で見られるとはいえ本数が少なかったし、ヨーロッパ映画は芸術性の高い「アート映画」ばかりでアクションとはほど遠く、肝心の韓国映画は「つまらない」が常識だった、そんな時代――エンターテインメントとして映画の「面白さ」を教えてくれたのは、香港やハリウッドからのジャンル映画。なかでも、鍛えられた体で強く格好良く、ときにはコミカルに敵を懲らしめるカンフー映画が、断然人気だったのだ。その中心にはもちろん、ブルース・リーとジャッキー・チェンという、世界的な大スターがいた。

 2人のカンフー映画は、学校が休みの日にテレビでもよく放送されたので、映画館に行かなくても十分に楽しめた。翌日になると学校や公園には、ヌンチャクを振り回しながら「アチョー!」と叫ぶ子や、息を一瞬止めて酒に酔ったかのように顔を赤くし、酔拳のマネをする子がたくさんいた。しかし、こうした“カンフーごっこ”は事故につながることもあったので、学校では朝礼の時間に校長先生が「ヌンチャク禁止」や「カンフーのマネ禁止」と、たびたび声を荒らげた。それでも私たちは、「ブルース派」と「ジャッキー派」に分かれてどちらが強いかを言い争ったり、彼らの得意技や必殺技を練習して、派閥同士で決着をつけるようなこともあった。

 ブルース・リーが夭折し、その後を継ぐような形でジャッキー・チェンが現れたのだから、「どちらが強いか」を言い争ってもまったく意味がないにもかかわらず、私たちは熱くなり、憧れのヒーローとして2人を支持していた。一方、このカンフー人気に便乗して、当時、韓国には偽者のブルース・リーやジャッキー・チェンが次々と出現。具体的に思い出すことはできないが、彼らはそろって名前に「龍」を付けていたのは覚えている。日本と違って韓国では、香港の俳優を漢字で表記し、韓国語読みするのが一般的だったため、ブルース・リーは「イ・ソリョン(李小龍)」、ジャッキー・チェンは「ソン・リョン(成龍)」と呼ばれ、偽者たちもこれにちなんで名前に「リョン(龍)」を入れたのである。偽者たちが出演した韓国製「カンフー映画」も多く作られた。

 さて、前置きが長くなってしまったが、今回はウォン・ビン主演の大ヒットアクション映画『アジョシ』(イ・ジョンボム監督、2010)を取り上げる。韓国アクションの新しい可能性を切り開き、長年、香港映画に「武術」アクションを託してきた韓国映画のターニング・ポイントとも評される本作を通して、韓国における武術や、武術鍛錬の場としての軍隊について考えてみたい。映画の内容と直接関係ない話題になるが、これまでとは違った側面から、また新たな「韓国」が見えてくるだろう。

<物語>

 質屋を営みながら孤独に暮らすテシク(ウォン・ビン)。そこにやってくるのは、客と隣の家の幼い少女・ソミ(キム・セロン)だけだ。家でも学校でも1人で過ごす時間が多いソミは、テシクを「アジョシ(おじさん)」と呼んで慕い、テシクもソミに心を開いていく。そんなある日、ソミは麻薬事件に関与した母親と共に拉致され、どこかへ連れ去られてしまう。テシクはソミ親子を助けるため、拉致犯たちに言われるがままに麻薬を運ぶ。

 だが、ソミの母親はすでに残酷な方法で殺されており、犯人たちが凶暴な臓器密売の組織であることを知ったテシクは、必死にソミの行方を探して走り回る。一方、一連の事件との関係を疑ってテシクを追っていた警察は、ヴェールに包まれていた彼の過去にたどり着く。テシクはある極秘任務の報復で家族を失い、そのショックで退役した特殊工作部隊の最精鋭要員だったのだ。作戦で敵を制圧するがごとく、ソミの母親を殺した犯人たちを次々と排除し、ついに臓器密売組織のアジトに乗り込むテシク。ソミを救うため、命を懸けた彼の最後の戦いが始まる。

 冒頭で述べたように、「アジョシ」とは「おじさん」のことである。「おじさんが少女を助ける」物語といえば、『レオン』(リュック・ベッソン監督、1994)や『マイ・ボディガード』(トニー・スコット監督、04)などですでに使い古されたテーマになっているためか、イ・ジョンボム監督は「新しいアクション、簡潔かつ実戦的であり、効果的な武術を見せたかった」と、アクションに重きを置いたというような発言をしていた。実際、本作のテシクは、「特殊工作部隊」出身らしく全身を武器のように使いながら、これまで目にしたことのないシンプルで素早い技を駆使して犯人たちを殺めていく。

 ここで、“これまで目にしたことのない”テシクの武術を考えるために、韓国における武術の歴史をたどってみよう。

 韓国の武術といえば、オリンピック競技にもなっているテコンドーがよく知られている。日本人のメダリストたちも皆、韓国で鍛錬を積んでおり、“テコンドー=韓国”というイメージは、日本でも浸透しているのではないだろうか。確かに軍隊でもテコンドーを訓練の一つとして取り入れてはいるが、れっきとした「スポーツ」であるテコンドーは、常に生きるか死ぬかの瀬戸際に立っている特殊工作部隊にとって、実際はたいして役に立たないものだ。

 例えば、テコンドーには足を使う技が多く、「足をどれだけ高く上げられるか」といった技も重要だったりするが、軍隊において足をムダに高く上げると相手に隙を見せることになり、足を上げている間にやられてしまいかねない。したがって軍隊では、敵の股間を狙うように訓練するのだ。そして軍隊でのテコンドーは、あくまでも敵とばったり遭遇し、銃などの武器を使う余裕がない状況を想定しているため、実戦でどれだけ役に立つかは疑わしい。本作で、あっという間に相手の息の根を止めるテシクの技術とテコンドーは、根本的に異なるものだと考えられる。

 もう一つ付け加えるならば、あたかも韓国の「伝統的な」武術であるようにいわれるテコンドーだが、実は伝統でもなんでもなく、1950年代になって伝統武術として「作り上げられた」ものだ。日本の植民地からの独立を果たし、民族意識の回復が叫ばれるなかで、古くから朝鮮半島に存在し、受け継がれてきた伝統武術として堂々と宣伝できるものが必要になったときに、テコンドーは誕生した。

 今では、「テコンドーは中国の武術や日本の空手から大きな影響を受けて創始された現代のスポーツ」というのが定説にはなっているが(しかし、公には認められていない)、「テコンドーという伝統を共有する民族」というナショナリズム形成のために、新しく作られた伝統だったといえるのだ。もちろん、その誕生にまつわる歴史が後から付け加えられ、作られたものだとしても、テコンドーがその後急速に普及し、韓国発の競技として、今ではオリンピック種目になっていること自体が素晴らしいというのは言うまでもない。

 ただし、韓国に伝統武術がまったくなかったわけではない。ユネスコの文化遺産に登録されている「テッキョン(택견)」という、踊りのような武術も存在する。だが、その歴史的記録は断続的かつ曖昧で、百姓たちが楽しむ様子を描いた風俗画が残っている程度。何よりも殺傷には向かない動きで、テシクの技術として取り込むにはふさわしくないだろう。

 こう考えると『アジョシ』は、軍隊を持つ韓国ならではの実戦的なアクションで、「アクション映画」というジャンルに新境地をもたらしたことは確かでも、その基盤となる動きは、必ずしも韓国武術から考えられたものではない、ということになる。実際監督は「フィリピンなど、東南アジアの武術を参考に、コンパクトでスピーディーなものを作り上げた」と語っており、本作では、かつて韓国で一世を風靡したカンフーでも、韓国で普及しているテコンドーや空手でもない、ほとんど知られていない武術を集めることで、これまでにない新鮮なアクションを新たに作り上げたといえる。テシクが繰り出す「特殊技術」というものは、実際には誰も知る由のないものだからこそ、見る者の想像力を膨らませながら「特殊工作部隊」の鍛錬として、リアリティを持ち得たのだろう。

 伝統的な武術を持たない韓国ではあるが、こうして香港のカンフーや日本のチャンバラに匹敵するような、韓国独自の武術アクションを、「特殊工作部隊」という軍隊を背景にして生み出すことに成功した。韓国ドラマ『熱血司祭』(19)では、元特殊部隊出身の神父が、テシクのような技を駆使していると話題になったことも。韓国発となったこの新しいアクションが、今後どのように展開していくか、今から楽しみでならない。

 最後に、再び話題はカンフーに戻る。香港カンフーの薫陶を受けた私には、どうしても気になる映画がある。ポン・ジュノ監督の『母なる証明』(09)だ。この映画のラストで、母親は太腿にある「忘却のツボ」に鍼を打つ。なぜ忘却する必要があるかはネタバレになるので控えるが、私はかつて、あるカンフー映画のラストシーンで、これとそっくりな場面を見た記憶があるのだ。

 敵に恋人を殺された主人公がその悲しみを忘れるために、カンフーの技で忘却のツボを押す……という場面を、私と同じ世代であるポン・ジュノ監督も、また見ていたのだろうか。だとすると、彼は「ブルース派」と「ジャッキー」派どちらだったのか――いつか確かめてみたい、というのが私の秘かな願望である。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

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