「元夫には再婚してほしい」子どもを連れ去られ、共同親権運動を行うシングルマザーが今思うこと

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2021年03月31日 00:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。

 おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第2回 田中由実さん(仮名・37)の話(後編)

▼前編はこちら▼

絶対に親権を取れると思っていたが……

――2018年末に、彼が岐阜の実家に帰省した後はどのように過ごしていましたか?

 冬休みだけの帰省だったので、彼は年明けに社宅に戻ってきました。帰ってきたときには特に変わった様子もなく、クールダウンできたようでした。私は私で離婚届の不受理届(本人の知らない間に虚偽の届出が受理され内容にするための書類)を提出していました。その後の家族がどうなるかも含めて、様子を見ながら過ごしていました。

 しかし、年が明けて1週間後、不意に彼から「離婚届を出した」というメールが入りました。ところが、そのときはまだメールには提出日が書かれておらず、メールよりも私の不受理届のほうが先だと思い、余裕の心境でした。実は、彼は帰省時に、私の不受理届よりも早く離婚届を提出していたんです。

 1月中旬すぎに岐阜県某市から「出された離婚届に不明な点があるので連絡をください」と電話があったときも、記載に不備があるのだから受理はされないだろうと思っていました。

――でも、結果的には、1月末に離婚届の受理が判明したのですね。その後はどうですか?

 親権者移行審判を起こしたのですが、当初は絶対に親権を取れると思っていました。その頃、子どもの育児はほぼ私がメインでした。子どもに食物アレルギーがあるので、病院の付き添いもアレルギーの種類も知らない彼が育てるのは危険だという点と、育児実績をきちんと判定してもらえていると期待していました。

 その後、彼とは「ちょっと今後のことを話しましょう」という期間がありました。彼は義父ともども子どもの前でも「親権がないんだから、家を出ていけ」「親権がないなら子どものことに関わるな」と何度も言っていましたが、私は気にしませんでした。

――係争しながらの同居は、気持ちが休まらなかったのでは?

 明るい雰囲気が作れていました。食卓は一緒に囲んでいて、たとえ彼と話さなくても、それなりにうまくいっていたんですよ。連絡事項はメール、彼は私の作ったご飯を食べなくなったぐらい。当時は、いろいろできたんです。というのも、子どもがやっぱり元気だから。お出かけもおのおのがそれぞれ連れていっていたので、特に不便は感じませんでした。

――途中で何か変化はありましたか?

 親権者ではないということで、4月以降、私は小学校・保育園に入れなくなりました。「親権者以外の母親を立ち入らせるな」というような要望を彼が園に出してしまったからです。その一件によって、ママ友や子どもたちといったコミュニティの中の80%ぐらいとの縁がなくなってしまいました。あれには打ちのめされました。

――彼が子どもを連れて出て行く前触れはあったのですか?

ありません。「同居前提に裁判を進める」という話でしたし、アレルギーのある長女の食事は、私が作っていましたし。だから出ていく状況ではなかったんです。とはいえ、離婚した私が社宅に居座るのは確かに問題。なので彼には「会社には私から話しておくから」と話をしていました。それにもかかわらず、彼が子どもを連れて出て行ってしまった……。

――子どもたちが連れ去られたのはいつですか?

 夏休みの前です。金曜日だったので、朝、普通に子どもたちと「行ってらっしゃい」と別れて。前日も一緒にお風呂に入って普通に過ごし、変わった様子はありませんでした。裁判でも「同居前提で進める」とのことだったので、安心していました。

 ところがです。夜7時半過ぎて、家に帰ったら子どもがいない。ただ、すぐにはわからなかった。というのも、相手は家の中から、自分の荷物だけを持っていったんですね。午後8時を過ぎても帰ってこなかったときに「あ、これはいよいよマズいわ」と思って、保育園などの関係者に電話しました。連れ去られたという事実に思いが至って、さすがに愕然としました。その日は全然眠れませんでした。

――連れ去られた後、どのように過ごされたのですか?

 「電車に飛び込めたら楽だよなぁ。でもそうしたら、きっと子どもがいつか泣くなぁ」「元夫は葬式で自分のしたことの罪深さに殊勝な悲しいふりをしながら、内心ほくそ笑むのだろうなぁ」などと、茫然自失のなか、気がつくと、仕事中でもいつでも涙が流れる状態で、日常を過ごしていました。週末はもちろん、空いた時間があると、子どもたちを探しに行きました。

 そして連れ去られて10日ぐらい後に、偶然道端で会ったんです。ずっと私に会えずに、いきなり引っ越しをさせられた子どもは、その場で「やっぱりママがいい」って抱きついてきて。当時6歳と4歳の子どもが、泣きながら再会を喜びました。

 でも、それもつかの間で、父親はそれを許さず「ママにはすぐ会えるから!」と言い張り、抱きついた子どもたちを無理やり引き離し、子どもたちを連れて走って逃げていきました。その後、彼の弁護士から「お母さんに会うと子どもたちが不安定になるので、今は会えません」との通告を受け、断絶の状態に入りました。

――それ以降、それぞれどこに住んでいたんですか?

 先ほどの弁護士より「社宅の契約を解約する」という書面が来ており、私も子どもたちの通う保育園から歩いて1分のマンションに引っ越しました。子どもと住める十分な広さの住居で──というのも、子どもたちといつでも一緒に住めるようにしておきたかったからです。

 また、本当に偶然ですが、別居後1カ月ほどしてから、実は私の引っ越し先と、子どもたちの住む家が目と鼻の先だったってことがわかったんですよ。私は集合住宅の上の階で、彼と子どもたちは道一本挟んだ向かい側の1階。あまりの偶然に、びっくりしました。

 そんな感じだったので、私は相手を刺激せぬよう、ベランダから子どもたちの様子を見ることができました。子どもたちがマンションの入り口近くまで入ってこようとする様子はありました。すると気がついた彼がやってきて、また子どもたちを両脇に抱えて、走って帰っていきましたけどね。

――連れ去り後の生活は?

 こんなに家が目の前でも、私と子どもは、彼と彼の弁護士の意向により、「月1回3時間 自宅外」という条件でしか会えませんでした。

 一方、元夫のことについては、情報がブロックされているので、はっきりしたことはわかりません。それでも、離婚して以降は残業もせずに定時に帰ったりしていますから、彼は彼なりに真面目に子育てしているようです。まるで私に代わって思い通りの子育てをして、自分自身が理想の母親になりたかったのかな、と。私を排除した家族で、彼は母親から与えられなかったことを、子どもを育てることで補おうとしているのではないかと思っています。

 私は、そんな彼の態度にイラつくんです。私の代わりにキャリアを託した彼が、私から正社員というポジション、家庭や生活、さらに子どもまで奪っているのに、時短勤務制度を利用したりしてるんですよ。あなたはどこまで人から夢と希望を奪えば気が済むんだろうと、思っています。

――その後、係争は?

 19年12月に、親権者移行の審判が終わりました。子どものアレルギーや監護権の判断では、同居前提で調査官調査や審判をすると裁判官とも共有していたにもかかわらず、彼が引っ越しを強行したので監護の継続性では彼が勝り、私は親権を取り戻せませんでした。

 その後、彼と子どもたちが、歩いて10分ほど先にある元の社宅に戻ってしまいました。道路向かいの近距離別居だったのが、どうも嫌だったようです。当時のことは、子どもたちも覚えていて「パパが無理やり、いつも引っ越しをする」と言っていました。

――コロナ禍の中、交流はどうしていたんですか?

 コロナ禍に入った直後は、やはり無期限面会停止に入りました。 会えなくてつらかったですし、それ以上に心配でした。それで私、この状況を利用した提案をいくつかしました。というのも私、衛生管理者と栄養系の資格を持っていまして、コロナ対策に関してもある程度の知識を持っているんです。

 なので、手指や物に付着したり、空気中を漂ったりしているウイルス。それらについての安全対策が可能な限りできてしまうのです。例えばこんな感じで。「〇〇市は緊急事態宣言時には、スーパーに2人以上で来ないでくださいって言ってますよね。とすると、あなたは子どもを連れて買い物にも行けないはず。だから緊急事態宣言中は、私が食事を提供します。その間、あなたは子どもに目を配ってあげてください。もちろん、ウイルス衛生管理対策は万全に取ります」と。それが認められ、タッパーに詰めた料理を、その後、週に2回、持って行ってもいいいってことになりました。

――プロだけに説得力がありますね。

 そして、社宅までご飯を届けに行ったところ、子どもたちが玄関前で泣いてたんですよ。そこで私、「大丈夫?」って言うと、子どもは約1カ月ぶりに会えた私に喜び、また抱きついてきました。

 その時点で、私自身の人との接触がほぼありませんでした。それにコロナの罹患症状も見られませんでした。そうした状況を説明し、「ある程度は安全である」ということを納得してもらいました。その接触後から2週間たてば潜伏期間が終わるので、自分が陰性だと確認できますよね。なので「その時期に会いましょう」っていう話をしました。「コロナの期間だから、感染の恐れがある外で会えませんよね。だったら私の自宅にしませんか?」って言って。

――月の面会時間が3時間から5時間半に増えたそうですが、それはなぜですか?

 コロナ禍だということで、Skypeでのオンライン通話を始めさせたんです。すると子どもたちが喜んで、「ママと電話を切りたくない」と、スカイプの時間が4時間、5時間と長くなったんです。そこで彼に話して、「オンラインですら、これだけ長く交流できるんだから、実際に会って交流する時間ってオンラインより短くなるはずがない。長くなって当然じゃないですか」と言って延ばしました。

――すごい頭脳プレーですね。

 その後、タッパーに入れた食事を持って行くと、3人で玄関先で出迎えてくれるぐらい関係が良くなって、一緒に4人で散歩したりできるようになりました。このまま共同養育ができるのかなと期待するほどでした。弁護士事務所が休みのゴールデンウイーク中は相手方の弁護士を介さず、ある程度スムーズに連絡が取れたのです。

 ところが、5月の連休が明けたら、彼の態度が豹変してしまいました。「ご飯の差し入れはいらない」とか、「緊急事態宣言が終わったから自宅面会はなし、時間も通常の3時間とする」など。連休明けに、弁護士がいろいろアドバイスした結果そうなったんでしょう。

――ガッカリですね。

 でも、20年5月25日に緊急事態宣言が解除されたときに、私、腹をくくったんです。親権者変更の裁判中は「裁判中だから会わせない」。コロナになれば「コロナだから会わせない」。実際に緊急事態宣言が解除されても「会わせない」。親権者になれば、子どもの気持ちにかかわらず、会わせない理由なんてなんでもでっち上げられるのです。なら、自分で子どもたちと縁をつなごうと考えました。

――具体的には、どんなふうに?

 私の自宅は、前述のように、保育園徒歩1分です。なので、子どもたちの朝夕の送迎時など、可能な限り、保育園の外で子どもに会いに行くようにしました。子どもたちが通りがかったところで、「お疲れさまと」と声をかけて、ハグしてチューして、「じゃあ、また明日ね」って。当時、私の弁護士には止められたけど、でも保育園前は私の生活圏内であり、駅へ向かう道の途中ですから。

――ストーカー規制法の対象に該当するということで、接見禁止を命じられたりしなかったんですか?

 私は先に警察に行って、そこで「連れ去りはしない」という相談をした履歴を残し、保育園の園長先生とも、この行動が問題ないか、事前に確認のやりとりをしています。私は女性だし、母親だから、保護命令をやりにくいのはあるのかもしれませんが。

――それ以外の実際の面会交流の際には、どういうふうに過ごしているんですか?

 それは、ひたすら楽しくですよ。私の家にはルーフバルコニーがあるので、子どもたちが家に来たときは、夏だったらプールに水をためて水遊びをさせたりしたいです。まだやっていませんが、雪が降ったら雪だるまを作ったりしたいです。あとは、最近実際に行った面会交流内容は、ハロウィンや七五三の写真撮影やお宮参りといった、彼がやりそうにないもの。外での行事は、時間がタイトで大変ですけどね。

――元旦那に対して、今ははこうしてほしいとか、今までの経緯について彼に対して思うことはありますか?

 好きだった人とか一緒に生活しようと思った人に、なんでここまで嫌われて、人格を傷つけられなきゃならないのかって思います。復縁したいとか、一切思わない。彼のことは正直軽蔑するけれども、親として、共同養育は一緒にしたいです。彼がされてきたように、母親という存在を子どもから消すことは子どもの利益にならないからです。

 毎週末、タッパーに詰めた料理を持って行ったりして共同養育の下地はもうあるので、「子どものために一緒にやりましょうよ」「子どもたちに母親が必要なんだよ」って言っています。だけど、私がどんなに言っても、彼には響かないんですよ。彼自身の生い立ちを否定されてしまうことになるから、言われたくないでしょう。

――彼は、由実さんのことを、子どもたちにどう伝えているんでしょうね?

 娘に、この間言われたんです。「Y(娘の名)は何も決められない。パパが決めるから」って言われてるって。それを聞いて私、直感したんです。子どもたちは空気を読んで、自分で意見を言うことをしなくなっていると。おそらく「家の中ではママの話はしない」「ママの家には泊まれない」と言われているんでしょう。息子は「家の中では、ママへの手紙は書けない」と言っていました。かつて、彼が義父に強いられたように、母親の話題は禁句なのだと思います。

――彼が押し黙ることで、子どもたちに「それは言っちゃいけないことなんだ。考えちゃいけないことなんだ」って思わせる。そうした周りを従わせるやり方で子育てをしていると。

 そうなんです。義父から彼に対して行われた子育てが、子どもたちに対して繰り返されている。それがすごく嫌。だから私は子どもたちと頻繁に会うことで、わだかまった子どもの気持ちをリセットしなきゃって思ってて。「2人のことはパパもママも愛している。大人だって間違えちゃうんだよ」と子どもたちに伝えています。母親のことは考えていいんだよって。

――今やっていることは?

 彼との係争に関しては、調停で共同養育の提案をしています。と同時に、相手方の弁護士については偽証が多発しており、弁護士会に向けた懲戒請求もかけています。また、このような問題をめぐる社会活動も行っています。私のような母親当事者のフォローや、離婚、親権といった一般的にはなじみがない事柄に関する知識の周知や、システムを変えるための市政や法改正の活動を行っています。この活動を通して私自身新聞に載ったこともあり、子どもたちにも「ママは新聞に載ったんだね! 今度テレビにも出てよ!」と期待されています。

――今後のことは、どのように考えていますか? 

 子どもは、私が毎日会いに来ると信じているし、私もその期待に応えている。今の家庭裁判所が認めている一般的な月1回2時間の面会では、親子関係は構築できない。子どもたちが喜ぶ一番の愛情の伝え方は、単純な接触回数と愛情表現に勝るものはないです。だから今後も可能な限り会って、子どもに愛情を伝え、関係を維持していきたいです。

――ご自身は、再婚しようなどと思われたりはしないですか?

 ここまで傷つくと、さすがにそういう気持ちはまったく起きません。まずは子どもの幸せ。そして、その後、自分自身が安定しないと。彼は、どちらかというと再婚してくれたらうれしいです。もっと彼が自分の狭い世界だけではなく、いろんな方と話して、視点を広げてほしい。私が相手ではできなかったので、もっと彼にも幸せになってほしい。でも、育児が大変で、再婚するための時間が取れないのであれば、「私が共同養育で、その時間を作りましょう」と思っているぐらいです(笑)。
(西牟田靖)

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