アカデミー賞6部門ノミネート『ミナリ』から学ぶ、韓国と移民の歴史――主人公が「韓国では暮らせなかった」事情とは何か?

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2021年04月09日 22:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『ミナリ』

 『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督、2019年)がアカデミー賞を受賞し、スタッフとキャストがチョンワデ(大統領官邸)に招待され、みんなでチャパグリ(劇中に登場する食べ物)を食してからちょうど1年。歴史上、いまだにノーベル賞の受賞者が金大中のみ(2000年、平和賞)である韓国で、メディアが「ノーベル賞を一度に4つもらったのと同様」と騒ぎ立てたように、『パラサイト』をめぐる顛末はそれほど非現実的なことであり、もう二度と見られないであろう光景のはずだった。

 ところが今年度のアカデミー賞ノミネート作品が発表されると、韓国は再び「興奮のるつぼ」と化した。各地の映画祭で高い評価を得てきた『ミナリ』(リー・アイザック・チョン監督、20)が、作品賞や監督賞をはじめ、6部門にノミネートされたのだ。とりわけ、おばあさん役のユン・ヨジョンは本作ですでに、全米映画俳優組合賞を含む30以上の助演女優賞を受賞しており、アカデミー賞受賞の可能性が最も高いとされている。

 正確に言うと『ミナリ』は「韓国映画」ではない。ブラッド・ピットが代表を務める製作会社・プランBエンターテインメントなどによって作られた「アメリカ映画」である。だが、監督やメインキャストは韓国系であり、タイトル『ミナリ(미나리=セリ)』も含め、セリフの8割以上が韓国語であることから、「韓国映画ともいえる」と韓国では認識されており、「2年連続の韓国映画の快挙」だと喜んでいるのだ。そこには、名誉なことであればすべて「ウリ(우리=我々)」を主語に語りたがる韓国人の特性も垣間見られるのだが、いずれにしても、韓国人にとって本作が「どこか別の国の物語」ではなく、「自身の物語」として感情移入できる作品ということは確かである。

 今回のコラムでは、アカデミー賞の結果に期待しつつ『ミナリ』を取り上げ、韓国人のアメリカ移民の歴史や、移民を通して見えてくる韓国について考えてみたい。というのも、本作が描いている「アメリカに移民した韓国人家族」は、決して珍しい存在ではなく、韓国では朝鮮戦争後から現在に至るまで、アメリカに移民する者、移民したいと願う者が後を絶たないからだ。劇中で家族が移民した背景は詳しく語られないものの、単に「他国に移住する」だけでなく「祖国を捨てる」意味合いを持つ「移民」は、韓国社会の暗部を浮かび上がらせる存在であるともいえる。

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<物語>

 舞台は1980年代のアメリカ。韓国系移民のジェイコブ(スティーヴン・ユアン)は、家族を連れてアーカンソー州の田舎に引っ越してくる。妻のモニカ(ハン・イェリ)とヒヨコ鑑定の仕事に従事しつつ、長年の夢である農場作りを実現するためだ。妻は、心臓に病気を抱える息子デビッド(アラン・キム)や長女のアン(ノエル・ケイト・チョー)ら、家族を顧みずに夢ばかり追う夫に不満を爆発させ、新しいすみかとなったトレーラーの中では夫婦げんかが絶えない。

 そこで彼らは、韓国からモニカの母親・スンジャ(ユン・ヨジョン)をアメリカに呼び寄せ、一緒に暮らすことにする。唐辛子の粉や漢方薬、ミナリの種をカバンいっぱいに詰め込んでやって来たスンジャは、「ザ・韓国のおばあちゃん」。花札に興じて奇声を上げる祖母・スンジャの姿に、デビッドは自身が思い描いてきた「グランマ」とのギャップを感じつつも、徐々に心を開いていく。一方、ジェイコブはなんとか農場を成功させようと必死で仕事に励むのだが……。

 監督自らの経験を元に、多大な苦労を重ねながら、アメリカの片田舎に定着を試みる韓国系移民の家族を描いた本作は、その過程で浮かび上がる普遍的な家族愛や、家族の絆が広く共感を呼んだといえる。チョン監督も「これは移民ではなく家族の物語」と語っており、映画の主題が「移民」ではなく「家族」に重きを置いていることも確かだ。だがやはり、本作が世界最大の移民大国であるアメリカで特に評価されたのは、偶然ではないだろう。多くのアメリカ人は、自分や自分の家族がかつて移民として経験した苦楽をこの韓国系家族に重ね合わせ、同じ移民としての自分たちのルーツに思いをはせたはずだ。

 アメリカにやって来た理由について、劇中でジェイコブは「韓国では暮らせなかった」とつぶやくのみだったが、そこにはどのような過去が見え隠れしているだろうか? それを探るために、韓国におけるアメリカ移民の歴史と、その変遷をたどってみよう。

韓国移民の始まりと、“冷ややかな目”で見られた歴史

 韓国政府の記録によれば、朝鮮の植民地化を狙って日本の侵略が高まっていた1903年に、ハワイのサトウキビ農場に労働者として移住したのが最初の移民とされている。当時の朝鮮人たちが、日本からの弾圧や経済的な貧困を理由に満州や日本に移住した歴史は、以前のコラム『ミッドナイト・ランナー』で「コリアン・ディアスポラ」として紹介したが、中にはアメリカに渡った人々もいたのだ。

 こうして始まったアメリカへの移民は、途絶えることなく第二次世界大戦後まで続き、とりわけ朝鮮戦争後から60年代にかけては、米兵と結婚してアメリカに渡る女性たちが後を絶たなかった。当時、米兵となんらかの「接点」を持ち得たのは、米兵相手の「ヤンゴンジュ(韓国人売春婦)」だけだという認識がまん延しており、周囲からは常に冷ややかな目で見られ、後ろ指をさされていたので、どのような立場であれ、米兵と結婚した女性はアメリカに渡るのが最善だったのである。米兵との結婚が今でもあまりよく思われないのは、そういった偏見や差別意識がまだ残っているからかもしれない。

 70年代に入ると、アメリカに渡るのは、人材養成のために国が選抜した国費留学生や、会社から派遣される駐在員が中心になっていく。彼らは正確には「移民」とは言えないものの、その多くがアメリカでの定着を選んだために、政府の記録上は移民として分類される。韓国からすれば人材の流出にあたるが、当時の韓国が朴正煕(パク・チョンヒ)による軍事独裁の頂点であったことを考えると、韓国にはありえない「自由」をアメリカに求めた彼らの気持ちは十分に理解できる。

 そして、この時代にアメリカに渡ったのが優秀な「選ばれし者」だったことから、「アメリカに行くこと」に対する羨望のまなざしが生じ、その後も長きにわたって続いていく。海外旅行が自由ではなかった時代、国外に出ることはある意味「特権」でもあったのだ。

 そして80年代、「アメリカン・ドリーム」が本格化し、アメリカへの移民が絶頂期を迎えたのがこの時代。本作の時代的背景もまさにこの時期にあたるが、それを象徴するのがジェイコブ夫婦の仕事「ヒヨコ鑑定」であった。韓国では80年代、「ヒヨコ鑑定士」という資格が人気を博し、ヒヨコがオスかメスかを鑑定するスピードと正確さを競い合う大会も開かれ、優勝者は新聞等で大きく取り上げられた(ちなみに、鑑定されたヒヨコは、卵を産むメスのみが選別され、役に立たないオスはそのまま廃棄される)。いささか滑稽にも見えるこの資格がこれほどまでに人気だったのは、「アメリカ移民の近道」として大々的に宣伝されたからにほかならない。小さな手と器用さ、正確さ、真面目さが必要とされるヒヨコの性別鑑定には、大柄なアメリカ人よりもアジア系のほうが適格だったようで、韓国人はそこに目を付けたのだ。

 当時、私の知り合いにもヒヨコ鑑定士になってアメリカに渡った人がいた。彼女は高校卒業後、大学に進学せず鑑定士の資格を取り、アメリカの養鶏場に就職するため海を渡ったのだが、軽度の知的障害を抱えた彼女は恐るべき集中力の持ち主で、現地でとても成功したらしい。後から彼女の「稼ぎがいい」という噂を聞いた私の母が、姉に向かって「あなたも資格を取っておけばよかった」と悔しそうに言ったのをよく覚えている。

 私の両親もまさにそうだったのだが、当時の韓国には、「アメリカという国は、このまま韓国にいたら決してありえないような成功を実現してくれる美しい国」というイメージがあったのだ。実際、韓国語ではアメリカを「美国(미국)」と書き表す。ちなみに、1987年の民主化宣言によって海外旅行が自由化されると、就職移民のみならず不法滞在が急増する事態を生んだ。不法滞在移民は、偽装結婚して永住権を得たのちに離婚し、韓国にいる家族をアメリカに呼び寄せるというパターンが最も多いが、このあたりの事情は、アン・ソンギが主演した『ディープ・ブルー・ナイト』(ペ・チャンホ監督、85)に詳しいので、機会があればぜひご覧いただきたい。

 だが80年代のアメリカ移民は、単にアメリカン・ドリームに浮かれていただけではない。80年代はまた、79年の朴正煕暗殺後に台頭してきた全斗煥(チョン・ドファン)率いる新軍部による、軍事独裁継続の時代であったことも忘れてはならない。80年に起こった光州事件は、実際に多くの韓国人が「韓国を捨てる」要因ともなったし、今現在、光州事件で犠牲を被った証言者の中には、アメリカやカナダへの移民が少なくないのだ。もちろん、ジェイコブのセリフから彼の事情を特定することはできないが、彼らが軍事独裁から逃れてアメリカにやって来たという可能性は十分に考えられる。

 90年代以降は現在に至るまで、アメリカに移民してすぐに事業を始められるくらいの財産を持った「投資移民」が中心を占めるようになった。だがここで一つ疑問が生じる。軍事独裁が終わって民主化が実現し、これまでのように激動の歴史に振り回されることはなくなった今、韓国に住み続けてもなんら心配はないはずなのに、なぜ移民はやまないのだろうか? 

 数年前に韓国のテレビショッピングで「カナダへの投資移民」を紹介したところ、問い合わせが殺到して大きな話題となったが、チャンスがあれば韓国を離れたいという意識が根強いのはなぜか? なぜ住み慣れた韓国を捨て、未知の場所を目指すのか? この単純な疑問は、移民という現象が身近ではない日本人観客にも共有できるものではないかと思う。

 この疑問を考える一つの例として、「遠征出産」なるものを紹介しよう。これは、本作での「ヒヨコ鑑定士」のような就職移民とは異なる。出生地主義を掲げるアメリカの特性をうまく利用し、臨月ギリギリの妊婦たちが団体でアメリカに赴き、そこで出産をすることで、アメリカで生まれた子どもに市民権が与えられるという戦略だ。そこまでして子どもにアメリカ国籍を持たせようとする韓国人の頭にあったのは、「兵役」という義務である。

 よく知られているように、韓国人男子には「兵役」の義務があり、私の時代は3年間、今でも1年6カ月という兵役が課せられる。だが韓国とアメリカの二重国籍を持っていれば、兵役前にアメリカ国籍を選択することで、この義務から逃れることができるというからくりだ。どうにかして我が子を軍隊に行かせず、もっと楽な人生を送らせてあげたいという親心が生み出した技だともいえるが、よその息子の兵役逃れは「許せない」と憤る人も多い。こうした点は、ゆがんだ韓国ナショナリズムの興味深い部分でもある。

 2002年、当時韓国で人気を誇っていたユ・スンジュンというミュージシャンが、散々兵役を遅らせた挙句、「アメリカでかなえたい夢がある」という理由で韓国国籍を捨て、アメリカ国籍を選んだというニュースが韓国を駆け巡った。彼が遠征出産の申し子であるかは別として、二重国籍を有していた彼が兵役逃れのためにアメリカ国籍を選んだことは明らかであり、国中の大バッシングに発展し、政府は彼に入国禁止を言い渡すまでに至った。あれほど人気者だったミュージシャンが、二度と韓国で活躍する姿は見られなかったばかりか、その後に法律まで変わり、今では二重国籍による兵役逃れができない仕組みになっている。

 兵役をめぐる問題は、移民が絶えない例として具体的でわかりやすいものだが、儒教的な縦社会である韓国においては、少しでも人より上に立つことが「より良い人生を保証する」と示しており、その最も明確な方法が「アメリカ移民」という選択だったのは間違いない。現地で実際に成功を収めるかどうかにかかわらず、アメリカに行くこと自体が一種の「身分の上昇」を意味していたからである。

 韓国ドラマや映画の中で、在米韓国人が常に“憧れの対象”として描かれてきたのも、そうした韓国社会を反映したものである(なお、ジェイコブを演じたスティーヴン・ユアンの出演作『バーニング 劇場版』<イ・チャンドン監督、18>を取り上げたコラムでも解説している)。うまく言い表せないが、韓国人のアメリカ移民の背景には、歴史や軍隊の制度だけでは片づけられない、根深い「韓国的な事情」が潜んでいるのである。

 最後に、私の大好きな詩人ファン・ジウが1983年に発表した「鳥たちもこの地を去って飛んでいく」という作品を紹介して終わりにしよう。

 軍事政権下での韓国では、映画館で本編が始まる前に必ず国歌が流れ、観客は起立してスクリーンに映る韓国国内の観光名所の映像を見なければならなかった。その映像は、鳥たちが空に向かって飛び立つ場面で終わり、それと同時に観客たちは席に着いて映画の始まりを待ったのだが、飛び立つ鳥と反対に席に座る観客の様子を、この詩人は「独裁から逃れてこの地を去りたいのに、とどまり続けることしかできない現実」の風刺として表現したのである。韓国で現在まで続くアメリカ移民の現象は、長く続いたつらい歴史が無意識に抑圧され、韓国を離れたい欲望として表れているといえるかもしれない。

 「ミナリはどこにでもよく育つ」というおばあさんの言葉通り、一度移民をしてしまえば、どうにかこうにか、韓国での暮らしよりはマシな人生が待っている――韓国人は、今でもそう信じているのではないだろうか。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

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