天龍源一郎が語る“記録” 相撲時代は13年間休場なし 阿修羅・原、三沢光晴と飲んだ酒の思い出

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2021年04月11日 07:00  AERA dot.

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写真天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「記録」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。

【写真】天龍さんが発売当初から大ファンでこれまでたくさん飲んだ飲み物はこちら

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 まず、相撲時代の記録で俺が一番誇れるのは、相撲の世界に13年間いて、場所を一日も休場しなかったことだ。取り組み中に捻挫をしたり、脳振とうを起こしたりと、いろいろなケガもあったけど、次の日になったらなにがなんでも出なきゃいけないという責任感があったね。休むのが嫌だったし、何より一つでも勝つと本当に嬉しかったというのも大きい。逆に負けが込んで落ち込むことも多かったが、それでも場所に行って相撲を取るのが使命みたいな感じだったよ。

 一度も休場しなかったのは、骨折とか大きなケガが無くてラッキーだった面もある。でも足首を捻挫して足を引きずりながら出たこともあるし、脳振とうも何度もあった。今だったら脳振とうを起こしたら親方が休ませるだろうね。

 脳振とうを起こされる相手はいつも決まって福の花関だ。彼の張り手は強烈で、ボクシングのフックのような角度で入るから“フックの花”なんて呼ばれていてね。俺も何度もその張り手を食らって脳振とうを起こしたし、当時大関だった北の富士さんもノックアウトされていたり、多くの力士がやられていたよ(苦笑)。大きくて盛り上がった手でバチーンとやられるから、あごのあたりに食らうとストンと落ちちゃう。その時に足首から落ちるから併せて捻挫もしちゃうんだよね。いやぁ、あの強烈な張り手は今でも覚えているよ。

 相撲でもう一つ、1973年の九州場所の千秋楽で、当時前頭7枚目の平幕だった俺が「三役揃い踏み」に出たことも自慢だ。番付でいったら俺が出られるような時期じゃなかったけど、後にプロレスでも因縁ができる横綱の輪島さんが千秋楽に休場してね。九州場所で調子がよかった俺が抜擢されたんだ。前日に言われたんだけど、さすがにびっくりしたよ!

 横綱と一緒に土俵に上がって三役揃い踏みをやったときは本当に興奮した。その後の取り組みは横綱の琴桜関だったけど、これはあっさり負けた。三役揃い踏みですっかり満足しちゃったんだ(笑)。平幕が出るのは結構珍しいケースだから、これもいまだに覚えているし、自分でもすごいと思っている(笑)。

 他の相撲取りの話になると、好き嫌いは別として白鵬はやっぱりすごいね。いろいろな記録を塗り替えているし、ここのところ休場が続いているけど、これまで40回以上も優勝している。これだけの力士は特筆すべきものだと思う。そんな白鵬でも勝率ではわずか1厘(りん)、大鵬さんに及ばないんだってね。あれだけ勝っている白鵬ですら一厘負けているんだからやっぱり大鵬さんもすごい。白鵬の現役を見られて、さらに間近で身の回りの世話をしながら大鵬さんを見られたのも俺の自慢だ。

 白鵬のことを「好き嫌いは別として」と言ったのは、白鵬が出るたびに俺は「負けろ!」と思っているからだ。俺は白鵬アンチ。なぜかというと、俺も同じ世界にいたから、あれだけ強くて懸賞金がいっぱいかかっている白鵬に勝てたら、当の力士はもちろん、その付け人も喜ぶだろうなと思うからだ(笑)。だから嫌いというより、判官びいきだね。白鵬の休場が続くと「負けろ」と思っている力士がいなくて寂しいよ(笑)。

 それと、これは若いときに聞いた話で定かではないけど、若浪関が蔵前国技館の鉄骨がむき出しになった天井を雲梯(うんてい)みたいに端から端まで渡ったと聞いたことがある。蔵前国技館はもともと、飛行機の格納庫を再利用して建てられたから、天井までの高さもかなりあるんだよ。

 あんな高さを手だけでぶら下がって渡るんだからすごいと思ったね。なんでそんなことをしたのかはわからないけどね(笑)。若浪関は小さいけどすごく足腰が強い力士でね。自分より大きい相手でもぐわーっと吊り上げる独特の取り口が印象的だったよ。

 プロレス時代は、プロレス大賞の最高年齢での年間最高試合など、いろいろもらっているけど、なにより誇れるのは、阿修羅・原と“龍原砲”を結成したとき、「俺たちで後楽園ホールを満員にしよう!」と二人で誓って、数カ月後に満員にできたことだ。当時の全日本プロレスは長州力がいなくなって、輪島さんにも陰りが見えてきてね。新日本プロレスの一人勝ち状態で、全日本が苦戦していた時期だったよ。そんな中で、俺と阿修羅ががんばって盛り返したことは今でも自信を持っている。

 あと、トップになったレスラーで俺が一番多くの団体のリングに上がっているんじゃないかな(笑)。オファーがあれば、どんな団体のリングにも上がったよ。主要な団体で出ていないのはジュニア選手が主体のみちのくプロレスくらいなもんか。

 記録といえば、あとはそうだなぁ。一番食べた記録は相撲時代のことで、毎食どんぶり茶碗で10杯食べていたことかな。一升くらいは食っていたと思う。ただ、番付が上がると俺が食べ終わるまで下の力士が食えないから、先輩から「おい! いつまで食ってるんだ! いい加減に若い奴に場所を空けてやれ!」と怒られてね、それから食べる量が減ったんだ(笑)。

 プロレスに転向してからもよく食べていて、体重はいつも112キロ前後をキープしていたけど、最高はSWS時代の136キロ。全日本プロレスを退団して半年間くらいは試合がなかったし、スポンサーのメガネスーパーからお金はがっぽりもらっていたもんだから、勝手に体重が増えちゃった(笑)。このときはさすがに試合をすると息切れがしてしんどかったよ。

 今では食べる量も減って、ご飯は普通の茶碗に1膳から1膳半くらい。すっかり普通の人だよ。よくテレビで「昼めし旅」(テレビ東京系)を見ては、「みんな豪華なもん食べてるなぁ。我が家は質素だねぇ」なんて言いながら飯を食っている(笑)。でも、不思議なもので、からだの大きさは変わらないんだ。うちのおやじも大きかったし、これは嶋田家の遺伝だね。

 酒は世間で言われるほど飲んでないと思うんだが、そういうと周りから「飲んでたよ!」と言われる(苦笑)。みんなで集まって飲むときにアイスペールにいろいろな酒を混ぜてワーッと回し飲みするのが好きだったから、その印象が強いんじゃないかな。

 たしかに、毎日夕方になると飲みに出かけて、娘が学校に登校する朝8時までに帰るという生活をしていたけどね(笑)。女房から「近所の目があって恥ずかしいから、朝8時までには帰ってくるように」とくぎを刺されていたもんでね。

 その頃は楽ちゃん(三遊亭円楽)と、楽ちゃんの知り合いの社長と3人で朝まで飲んでいた時期だ。楽ちゃんに銀座の遊び方を教えてもらってね、ずいぶん銀座の店を開発したよ。そのうち、1軒目は俺、2軒目は楽ちゃん、3軒目は社長が払うというふうになったから、飲む時間も当然長くなる(笑)。それに加えて「最近、三沢ががんばっているからアイツも呼ぼう!」って、三沢光晴も呼んで飲んだもんだ。

 そうしたら、そのうち三沢が「なんでいつも天龍さんがいるんですか?」なんて言いうようになった。俺が呼んでいるからお前がいるんだ!(笑)。三沢は大体深夜0時頃になると眠りだして、2時か3時くらいになって俺たちが帰るぞと言うと、起き出して「もっと飲みましょうよ〜!」と始まる。

 三沢はもともと酒が飲めなくて、仲田龍と一緒にカラオケに行ってもジュースばかり飲んでいたらしいね。それが俺と付き合うようになって酒を飲むようになった。しかも、当時は新婚だったんだけど、毎晩のように深夜まで俺たちと付き合ってね、奥さんには悪いことをしたよ(苦笑)。

 そうやって3〜4軒を朝まではしごして、飲む店が無くなると上野駅に行って構内の売店で酒を買って飲んだりもしていたよ。朝、会社に出勤するサラリーマンが通る前で、俺たちが酒を飲んでいるんだ。バカやっていたね、青春だよ(笑)。

 今、酒に関しては「悲しい酒は飲まない。楽しい酒だけ飲む」と決めている。何かお祝い事がある時に飲もうと思っているんだけど、なかなかお祝い事っていうのはないね、万馬券が当たったとか(笑)。

 酒で思い出すのは何度も語っているけど、やっぱり阿修羅と一緒に飲んだアサヒスーパードライ! スーパードライが新発売された当時、阿修羅がいつも「源ちゃん、今日も試合が終わったら行こう! スーパードライ!」って言ってね。どんな田舎に行っても飲むのは必ずスーパードライ。置いて無かったら店の人に酒屋で買ってきてもらってまで飲んだもんだ。試合で汗びっしょりになって飲むスーパードライはうまかったなぁ。人生が楽しい時期に出会って、勇気づけられたビール。今でも思い出の飲み物だ。

 2015年の両国でも試合後の会見場に行ったら、そのアサヒスーパードライがズラーっと並んでいてね、あの頃に戻った気がしたよ。聞いたら、アサヒビールさんの計らいと代表の計らいがあって、あぁなっていたみたいだけど、つくづく幸せもんだと実感したね。こんな顛末を迎えられるなんてさ、一生懸命試合して、アサヒビールを”日本で一番飲んだ男”を自称してただけの事はあったね(笑)。

 まぁ、記録って目標にするとか大事な時もあるけどね。俺がいつも思うのは「記録より記憶」って思いと同時に、記録って明確なものがあるから人の記憶により鮮明に残るんじゃないかなって持論があるんだよね。記憶に残る記録を目標にして、記録に負けない記憶を残す……って感じかな。カーッ! かっこいいこと言っちゃったな(笑)。じゃ、そういうことで(笑)。

(構成・高橋ダイスケ)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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