今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。
ヤクザにはならなくても、半グレを選ぶ若い人は増えている
2020年に大阪府警が摘発した「半グレ」の数は約350人と、過去最多となったことが報じられました。大阪府警では同年4月から捜査4課に半グレを取り締まる専従班を設置、捜査しているそうです。
報道によりますと、半グレの検挙数は年々増加しており、以前は「オレオレ詐欺」など特殊詐欺の事件が目立ちましたが、最近はキャバクラなど飲食店の経営にも乗り出し、違法な客引きをしたり泥酔させた客から金品を盗んだりと、いろいろやっているようです。
でも、この統計は大阪府内のデータなんですよね。そもそも半グレはメンバーが流動的で、警察庁は実態を把握できていないようです。「怒羅権(ドラゴン)」など暴対法で「準暴力団」に指定されている組織もありますが、ヤクザと違って組織加入の要件などは特になく、ましてや盃もありません。メンバーに女性や未成年がいるのも特徴です。オレオレ詐欺の出し子など、仕事(犯罪)がある時だけ声をかけられて参加するんですね。
そうした中で、大阪は有名なグループも多く、警察は比較的把握しやすかったようです。
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また、半グレは増えていますが、ヤクザの数は減少しています。警察庁『令和2年における組織犯罪の情勢【確定値版】』によりますと、国内の暴力団構成員・準構成員の数は05年以降減少を続けており、構成員の数は令和2年(20年)末現在で2万5900人(前年比2300人減)で、過去最少となっています。
ヤクザ「には」ならずに、半グレを選ぶ若い人が増えているということです。もちろん若者だけではありません。生活できずに組織を脱退した「元構成員」たちも、半グレと行動を共にすることがあると聞いています。
半グレが増えている理由は、過剰な暴排のほか、ヤクザ社会の人間関係の厳しさなどが指摘されていますが、やはり背景には差別と貧困があるようです。
以前も少しご紹介しましたが、「怒羅権」の創設期メンバーの汪楠(ワン・ナン)さんの著書『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』(彩図社、2021年)には、「怒羅権」という半グレ組織の成立の過程とともに、汪さんが経験したイジメや貧困などが詳細につづられています。
中国の裕福な家庭で生まれ育った汪さんは、中国人のお父さんが中国残留孤児1世の日本人女性と再婚したことで日本にやってきました。
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ところが生活は苦しく、編入した日本の中学校では壮絶なイジメを受け、中国人の仲間と自衛組織を結成します。この自衛組織が「怒羅権」として暴走族となり、犯罪組織になるのに時間はかからず、最強の半グレ集団として恐れられるようになります。
日本のヤクザが半グレの若いメンバーを求めていたことから、お互いに協力関係を持つようになり、汪さんも17歳で大手組織に所属していたそうです。事務所に寝泊まりして掃除などもする「部屋住み」になるんですが、その理由が「昭和の不良少年」と同じで、驚くと同時に「やっぱりなあ」と思いましたね。
「怒羅権が誕生したときに暴走族になりたかったわけではないように、ヤクザになりたいわけではありませんでした。しかし、組事務所には温かい食事があり、ベッドがあって、組員には『寝るところがなければ遊びに来い』と誘われます。当時、盗みをして得た金でサウナに泊まることが唯一の幸せだったような私ですから、布団の上で眠れるというのは幸福で、出入りするうちに仕事が与えられるようになり、部屋住みという形になったのです」
汪さんはこう明かしています。事務所には、当時流行していたコンピューター・ゲーム機の「ファミコン」(ファミリーコンピュータ)もあったそうです。
つまり組事務所とは、「普通のおうちにあるもの」がない子たち、家にいられない子たちの「居場所」でもあるのです。
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田岡一雄組長率いる三代目山口組の事務所も、戦後の混乱期にもかかわらず食事を出すことで知られていて、組員でもないのにおなかをすかせた若者が絶えず来ていたそうです。姐さんは大変ですけどね。
戦後の混乱期も、1972年生まれの汪さんの子ども時代も、さらには今も、組事務所は「居場所」です。組や組事務所がなければ、半グレに流れるだけです。
一方で、汪さんが更生できたのは、育ちがいいからだとも思います。テレビでインタビューを拝見しましたが、日本語もほぼ完璧です。
本当の「恵まれない家庭環境」で育ったら、汪さんのようにはいきません。「悪い子」のまま大人になって、犯罪にも手を染めます。元極妻として、そんな人をたくさん見てきました。過剰な暴排によってヤクザはこれからも減り続け、抗争事件も減るでしょうが、半グレのグループに参加する居場所のない若者は増えるでしょう。そして、お年寄りを狙った詐欺や強盗は増えていくのです。