俺たちの『チェンソーマン』はまだ終わっていないーージャンプ大好き評論家3名が討論【後編】

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2021年04月12日 08:01  リアルサウンド

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 ドラマ評論家の成馬零一氏、書評家の倉本さおり氏、アイドル専門ライターの岡島紳士氏による『チェンソーマン』座談会。「『チェンソーマン』は本当に“愛の物語”だったのか?」を問うた前編に続き、後編では同作中を読み解く鍵となりそうな「抱きしめる」という行為や、マキマやパワーといった女性キャラクターに募らせた想いについて語り合った。(編集部)


■「抱きしめる」というテーマについて


倉本:『チェンソーマン』には「相手を抱きしめる」という描写が多いですよね。例えば、クァンシが愛する取り巻きの悪魔たちが、闇の悪魔の力によって人形に変えられてしまう場面。彼女たちに無抵抗で刺されたあとにわざわざ抱きしめるシーンがあるじゃないですか。地味なシーンだったけど、すごく記憶に残っていて。「あ、藤本先生はこういうシーンを描く人なんだな」と思ったんです。ラストでも「たくさん抱きしめてあげて」という話になったので、そのあたりは一貫しているんだなと。


成馬:あそこまで狂った超展開を見せておいて、最後のメッセージが「たくさん抱きしめてあげてほしい」だったのは驚きました。しかも、はっきりと言葉にしている。


岡島:映画館でマキマさんとデンジがデートするじゃないですか。その映画の中で家族同士っぽい人たちが抱きしめ合ってるシーンで、デンジとマキマさんが泣くんですよ。そういう伏線を見ていると、最後に「抱きしめる」を持ってこようという意識はあったのかなと。


成馬:最後のイメージは決まっていた感じはしますよね。デンジがチェンソーでマキマさんを切るシーンのときに、チェンソーにマキマさんの顔が映るカットがあるじゃないですか。あれは、「ジャンプ」で連載がスタートしたときの表紙ですよ。チェンソーにマキマさんの顔が映っている。だから、連載1話目から、最後に二人がリバーシブルな関係になるってことは決めていたんだろうなぁと思います。藤本先生は、同じアングルの画を反復することで人間関係を見せるといった、構図に意味を持たせることが、めちゃくちゃ上手いですよね。


岡島:コベニの能力は結局なんだったのかとか、ナユタはどうやって転生したのかとか、気になるところはまだまだたくさんあるから、単純に感動しきれないところはあるんですけれど、それでもラストの「悪魔から逃げ惑う人々を背景に高校生のデンジが胸のスターターロープを引いている」カットはめちゃくちゃかっこいいし、素晴らしいなと思いました。


成馬:藤本先生は、『チェンソーマン』を「邪悪な『フリクリ』」だと言ってましたが、年上のお姉さんに失恋して少年が成長する終わり方はたしかに『フリクリ』的です。全体的に80年代以降の庵野秀明たちが作っていたオタク向けアニメの表現を、うまく咀嚼して自分のものにしているという印象で、たとえば短編の『予言のナユタ』で喋る文字が反転しているのは庵野秀明監督の『トップをねらえ!』の引用ですよね。他には空を舞う剣のイメージは幾原邦彦監督の『少女革命ウテナ』や『DAIKON FILM4』からの影響も伺える。「銃の悪魔」が攻撃する場面で、被害者の名前が字幕でずらっと表示されるのも『トップをねらえ!』の影響だとインタビューで語っていました。ただ、その一方で、『新世紀エヴァンゲリオン』からの影響があまり感じられないのが、逆に面白いところですよね。


岡島:それが多分、28才の作家ならではの感性なのかなと思います。


■どこまでが“俺の『チェンソーマン』”か?


岡島:『幽☆遊☆白書』って、当時は「ジャンプ」本誌の連載と巻末の作者コメント、単行本の作者コメントとおまけページも含めて『幽☆遊☆白書』だったじゃないですか。『チェンソーマン』はネットなどのオフィシャルな展開やTwitterの反応とかも含めて一つの作品になっていたので、だからこそまだ僕は100%のカタルシスに至っていないのかもしれません。まだ自分の中で全然消化できていないというか。


成馬:岡島さんの中ではまだ続いているわけですね。『幽☆遊☆白書』の話はすごくよくわかります。僕は当時、『幽☆遊☆白書』の14巻から19巻だけを延々繰り返して読んでいて、連載終了後も「もし魔界編に続編があったらどんな話になるのか」とか、「幽助と誰が組むのがベストなのか」とか、下手するともう何十年も考え続けているんですよね。ただ、そうなってくると、もはや今まで妄想してきた記憶込みで『幽☆遊☆白書』なんですよね。すでに俺だけの『幽☆遊☆白書』が脳の中に存在するというか(笑)。だから、冨樫先生にリメイクして欲しいとか、新作アニメで未回収の伏線をどうにかしてほしいとか、まったく思わなくなってしまいました。


倉本:いいなあ。オタクのあくが素敵に凝縮されてますね(笑)。


成馬:ほかの作品に関しては、あんまりそういうことを言わないんですけれど「『幽☆遊☆白書』だけはちょっと譲れない」みたいな気持ちがあるんですよね。だから、マキマさんの気持ちはよくわかる。『チェンソーマン』は連載開始当初、主人公が馬鹿で無知だから強いという設定に対する評価が高かったじゃないですか? ところが劇中でデンジくんはだんだん知恵を獲得していって、結果的にマキマに支配されていることに抗うために必死で頭を使うようになるんですけど、この展開自体、読者から「こんなのチェンソーマンじゃない」って言われる可能性もあったと思うんですね。だからマキマさんには、熱烈な信者からアンチに変わってしまう熱狂的なファンのイメージも投影されていたのかもしれないですね。


倉本:少年漫画だと、最初はつつましくも幸せな生活をしていたのが、悪い奴らに全てを奪い尽くされて、復讐するみたいな流れが王道じゃないですか。でも、『チェンソーマン』は最初がギリギリの状況で、マキマさんに拾われて最低限の生活をするようになって、また奪われるという。そういう構造は珍しいですよね。


岡島:僕はデンジの夢が「普通の暮らし」というのが新しかったと思います。それと、悪と戦うことの動機付けが正義感とかではなく、「おっぱいを揉みたい」から始まって、それが叶ったら今度はセックスがしたいっていう感じで、性欲なんですよね。少年がリアルに感じる切迫した欲求を戦う動機に位置付けたところが、少年漫画として上手いし、かつギャグとしてもとても良いなと感じていました。感情移入しやすい作りになっている。


倉本:少年漫画だから、直接的に性器を用いる行為としてのセックスを描くことはしていないけれど、性的な表現それ自体はいっぱい出てくるし、かなり踏み込んだ形で描かれていますよね。パワーちゃんに血を飲ませるシーンとか。ある意味ではカニバリズムもそう。


成馬:マキマさんがパワーちゃんを撃ち殺した後に、デンジに対して今まで自分が仕組んできたことをバラして、「これからデンジ君が体験する幸せとか普通とかはね」「全部私が作るし全部私が壊しちゃうんだ」と言うじゃないですか。あそこでマキマさんのことを大嫌いになった人は多いと思うのですが、僕には「あなたは私のものよ」って言っているように聞こえて、凄く痺れたんですよね。「幸せを与えて全部を壊す」って、見方によっては究極の愛じゃないですか。


岡島:なんて歪んだ見方……成馬さんの性癖は歪んでる(笑)。たぶん成馬さんはマキマさんが好きだったから、読みやすかったんですよ。パワーちゃんのほうが好きだったら、多分ちょっと違う感想になるから。


倉本:岡島さんはとにかく「パワーたん推し」でしたもんね。じゃあ、パワーたんが死んじゃったところで「俺の『チェンソーマン』」は終わったの?


岡島:終わってないけれど、パワーたんがデンジに「イジけるくらいワシが恋しいか!?」って聞いて、デンジが「恋しいよ…」って言うシーンがあるじゃないですか。あそこで『チェンソーマン』は名作になったと確信したんです。個人的に「少年が少女に生きる意味を与えられて救われる」っていうストーリーにめっぽう弱いので。で、パワーたんが「ワシを探してくれ」みたいなこと言っているわけですから、やっぱりファンの心情としてパワーたんとデンジの再会は描いてほしいですね。最後にデンジがマキマさんを料理にしたときの肉だけカレーも、もしかしたら野菜が嫌いなパワーたんでも食べられるようにしたのかなと思ったり。


倉本:こっちも濃い目のあくが凝縮されてるな(笑)。あのシーン、個人的には「デンジ、そんなに上手に料理できるようになったんだ」っていう感慨がありました。最初の頃はパンにピーナツバターとジャムを塗るだけで机をべったべたにしていたのに。


岡島:ちゃんと成長したんですね、デンジは。ラストで高校生になって「女しか助けない」っていう設定になっていたけど、第2部ですげえヤリチンになってたら嫌だなぁ……。


一同:ははは(笑)。


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