大今良時『不滅のあなたへ』は“すべてが記録され、複製される時代”の寓話となる

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2021年04月13日 00:11  リアルサウンド

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 京都アニメーションによる映画化が話題になったマンガ『聲の形』の次の作品として大今良時が「週刊少年マガジン」で連載中の『不滅のあなたへ』は、2020年10月からのTVアニメ放映が発表されている。その魅力を形容するのは簡単ではないが、とても引き込まれるものであることは間違いない。


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※以降、ネタバレ注意


あらすじの説明でおもしろさを伝えるのが難しいタイプの作品
 どんな話なのか? まず、球体が誕生する。球体は刺激を受けるとその物体をコピーしてつくりだし、生物の姿を模倣する能力を持っている(ただし、生物はオリジナルが死ぬまでコピーすることができない)。


 球体はまず、ある少年の飼っている狼となっていっしょに行動し、その少年が死ぬと、その少年の姿になって歩き続け、行く先々でさまざまな人と出会い、徐々に人間としての感情と能力、常識を身に付けていく。そして何度死んでも蘇ることから「フシ」という名前を与えられる。


 フシの目的は「世界を保存すること」だと謎めいた黒服の男から教えられるが、「世界を保存する」とはどういう意味なのかまでは教えてくれない。『不滅のあなたへ』は、何も知らないフシが人々と出会い、別れ行くなかでアイデンティティを探求し、生の意味を求める物語である。


 フシは不死身であり、お金や食べ物を無限に複製でき、姿を変えられる能力ゆえに、さまざまな人物がそれぞれの思惑を持って近づき、利用しようとする。そんななかでも信じられる存在を見つけ、フシはそういう人たちを守るために生きようと願う。


 ところが、フシを殺してフシが保存した人物を、その人に関する記憶ごと奪っていく「ノック」と呼ばれる謎の敵が現れ、フシと、フシが守ろうとする人間たちを襲う。フシは自分のせいで人間たちが傷つくことを嫌うが、ノックが襲ってくる以上、戦いは避けられず、周囲にいる人たちは必ず巻き込まれる。攻撃の手は徐々に強まり、戦闘は大規模になっていく。


 ノックを退けるため、フシは自らの複製能力を拡張し、さまざまな利害関係を持つ多様な人間たちと協力しなければならなくなっていく。一応こういう筋立てだが、未読の人にこう伝えたところで、どんな話なのかも、何がおもしろいのかもよくわからないだろう。


先行作品の記憶を呼び起こしつつも、どれとも違う
 本作は「生きるとは?」「記憶とは?」「死とは何か? 何をもって死とみなすのか?」「人はなぜ争い、誰かを守りたいと思うのか――どうせいつかは誰もが死に、忘れ去られていくのに」「人間とは?」といった問いを多面的に投げかけてくる作品である。


 その過程で、いくつもの過去の名作の記憶を刺激する。不死者が戦うさまを描いたマンガといえば沙村広明『無限の住人』がすぐに思い浮かぶだろう。さまざまな時代と場所を壮大なスケールで描いていく手つきからは手塚治虫『火の鳥』を思い出すかもしれない。人間に寄生してフシと人類にコミュニケーションを試みてくるノックの姿は、岩明均『寄生獣』を思わせる。


 フシは人間のみならず狼や熊、モグラやフクロウにも変身し、無数の武器・火器を使ってノックと戦うが、その様子は大今がコミカライズを手がけた冲方丁『マルドゥック・スクランブル』のウフコックが、ふだんはネズミの姿だがさまざまな兵器になることができたことを想起させる。フシは人間のために戦うが、その異形さゆえに「悪魔」扱いされることからは永井豪『デビルマン』を連想せずにはいられない。


 人間に擬態して成り代わる生きものの物語といえばジャック・フィニイ『盗まれた街』以来、無数に描かれてきたが、筆者がこの作品ともっとも近いと感じた作品は、不死の生物がさまざまな生物になりきって地球のことを学び、人類の感情や振る舞いを学んでいくジョー・ホールドマンのSF小説『擬態』である。


 しかしさまざまな作品が参照項として浮かび上がるものの、どうやらそれらいずれとも異なる地点をめざしているのだろうことが、読み進めるうちにわかってくる。


「すべてが記録される時代」に人間の生はどう変容するかを描く寓話
 筆者は本作を「超大容量ハードディスクが人間のような感情を持ち、人間活動に関わるようになったら?」という話として読んだ。何を唐突に? と思うかもしれないが、こういうことだ。


 いまや多くのデータが記録され、記録されたデータはコピーできる時代である。文字、画像、動画だけでなく、3Dプリンタを使えば立体物も複製できる。今後、人類は大容量記録とデータ複製をますます、より多様な領域で可能にしていくだろう。


 そしてそんな記録=複製媒体が意識を持ち、人間を助けるために行動し始めたらどうなるか? フシは今後生まれうるかもしれない、そうした存在として読める。


 誰かが死んでも、その人に関する記憶を別の誰かが持ち続けるかぎりは、その人に関する記憶は生きている。しかし誰かに関する記憶が、その人を知るすべての人から失われたとき、その人は二度目の死を遂げる。それに抗うには文字や絵、写真や動画などで記録しておくしかないが、それらは情報が欠落した不完全なものとならざるをえない。これがそれまでの人類の常識だった。


 ところがフシは死なず、強い刺激を受けた物や食べ物は複製でき、生きものならその姿になることができる。最強の記録媒体である。フシによって記録され、複製可能な存在は、永久に死ななくなることに等しい。だからフシは極力、触れ合ってきた人々との記録=記憶=生命を守ろうとする。


 そしてフシが記録できるものの範囲はどんどん広がり、自然物や建造物、街全体すらをも複製できるようになる。1960年代には「意識の拡張」が謳われ、人々はホールアース(全地球的)な認識を獲得した。フシは60年代の夢さながらに自らの意識を自然と調和させ、地球と一体化させていく。それはニューエイジ的な精神世界の話ではない。フシは一体化させたものを複製できるからだ。


 そうやって情報を蓄積した無数の自然物、建造物、武器、人々を縦横無尽に取り出し活動するフシの姿は、暦本純一が提唱する「人間拡張」(テクノロジーにより人間の能力を拡張し、接続しあい、いつでもどこでも利用可能なものとして遍在化させること)の行き着くだろう世界に似ている。しかし一方で、この現実世界に目をやれば、記録され、複製され、利用できるものが無闇に増殖していくことは、気味が悪いこととも思われている。


 2019年の紅白歌合戦に出場したAI美空ひばりをめぐる議論やいわゆる「忘れられる権利」の存在、あるいは人々のライフログが国家に筒抜けの監視社会化が進む隣国のことを考えると、蓄積されたデータの勝手な利用を食い止め、記録を消し去ること、記録が消えていくことは、すべてが必ずしも悪ではない。とすれば、保存と無断複製を続けるフシがはたして正義と言えるのか、はたまた消し去ろうとするノックのほうが自然の摂理にかなっているのかは、微妙なところだ。


 このように『不滅のあなたへ』は、人類が近づきつつあると感じている「すべてが記録され、複製され、第三者によって利用される時代」が訪れたときに何が起こるかを描いた寓話として読める。


これから始まる第2部は打って変わって現代日本の女子高生が主人公?
 文明レベルが古代から徐々に時代を下ってきた第1部「前世編」は2020年1月17日刊行のコミックス12巻で完結する。予告を見るかぎり、第2部は現代日本の女子高生が登場するところから始まるようだ。まったくどこに向かうのか、今のところ未知数だ。


 すべての謎が解明されるのではなく、多くの謎が残されたまま終わる可能性もある。そうなったとしても、それはそれでかまわない。


 「答えよりも問いが多い」ことはル・グィンの『ゲド戦記』や荻原規子の勾玉三部作をはじめとするすぐれたファンタジー文学の特徴であり、それゆえに読者それぞれの解釈を誘発し、深く、多面的に考えさせるものとなるからだ。


 ただいずれにしても今なら「この話はいったいどこに向かっていくんだろう? どう着地するんだろう?」と読者同士が互いの考察を交わしながら読むという「連載をリアルタイムで追う」ことならではのおもしろさが体験できる。それを逃す手はない。


 読むなら今だ。


■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。


このニュースに関するつぶやき

  • >読むなら今だ←いや、大今良時の長期連載は最初期と最終話直前だけ読んだ方が良い。『起承転結』の内の『承転』の中だるみ感がハンパ無いから。
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