当時のスター「テレビカー」、仰天ギミックの通勤電車「5000系」 京阪電車で感じる「昭和あの頃」ぶらり旅

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2021年04月15日 19:33  ねとらぼ

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写真京阪電車で今なお感じられる「昭和」を探索
京阪電車で今なお感じられる「昭和」を探索

 2021年3月、国鉄型特急車両「185系電車」が定期運行を終了。また1つ昭和・国鉄時代の名車が惜しまれながら引退しました。社会に目を向けてもここ1年、私たちの日常生活、特に「移動」の状況も大きく急速に変わっています。



【画像】今なお残る「昭和モーレツ時代」の通勤電車 5000系の様子



 移り変わりが激しくますます昭和が遠くなっていく今日この頃ですが、日本には昭和が残る鉄道路線がまだまだ残っています。今回は大阪と京都を結び、激動のあの時代にユニークな電車を送り続けた京阪電気鉄道で愛でる「昭和」をお届けします。



●高度経済成長期の申し子、豪快すぎる“座席昇降”ギミック「5000系電車」 引退間際の勇姿をぜひ



 昭和時代、とりわけ高度経済成長期の風物詩といえば「ギュウギュウ詰めの満員電車」。そんな高度経済成長期に登場し、活躍したのが5扉車の「5000系」です。



 5000系は1970(昭和45)年に登場した日本初の本格的な多扉車です。当時、京阪本線でもラッシュ時の混雑が深刻化していました。しかし当時の電圧は600Vで、8両編成にするにも難しい状態。「両数を増やせないならば、扉の数を増やそう」ということで、5000系はピンチに登場する中継ぎ投手のような役割を果たしました。



 そんな5000系はまだ現役で元気に活躍しています(2021年4月現在)。京阪電車では珍しい四角いお顔が今ではユーモラスに映ります。電車に詳しくなくても「四角い顔」か「5つ扉」を覚えておけばすぐに「5000系だ!」と分かります。



 5000系の最大の特長は片側に5つ扉があることです。しかしそのうち2つの扉は閉まったままです。座席を昇降することにより、朝ラッシュ時間帯は5扉で、それ以外の時間帯は3扉で運行する超器用な電車なのです。残念ながら5扉での運用は2021年1月29日で終了し、現在は3扉車として運行されています。



 車内は通勤電車らしくロングシートです。なぜかドアの前にも座席があります。ラッシュ時はこの座席が上がって収納され、扉も使えるようになります。「ウィーン」音とともに2扉分のロングシートが“座席ごと”昇降する様子はなかなかシュールな光景でした。この仕組みを考え、実現させた技術者に本当に脱帽します。



 5000系は時代の流れで廃車が進み、現在は1編成しか残っていません(2021年4月現在)。



 そして……5000系は、2021年6月に完全引退する予定となっています。



 5000系が廃車となる理由として挙げられるのがホームドアです。5000系はその特殊形状がゆえ、ホームドアと位置が合いません。



 令和時代に必須とされる主要駅のホームドア設備により、昭和な高度経済成長期の電車は適合できずに引退する……。時代の流れを感じずにはいられません。



 今回は乗った5000系は「区間急行 萱島行き」。区間急行は京橋を出発すると守口市まで止まりません。過去に何回か乗ったのは全て普通列車。区間急行として複々線区間を時速90キロで疾走する様子はとても頼もしいものでした。



●京阪らしい(!?)誇らしげな昭和の珍装備「回転グリル」



 5000系の車内を見回すと、天井に不思議な丸型の装置を見つけました。



 これは「回転グリル」という装置。簡単に言ってしまえば送風機です。暑い時期になると「回転グリル」自体がグルグル回り出します。5000系は全車冷房車ですが、クーラーの冷気を車内に満遍なく届けるためにありました。



 回転グリルの真ん中には「京阪の社章」が誇らしげに取り付けられていました。機能としてはよくある扇風機でいいのかもしれませんが、このあたりのセンスが「京阪らしいなあ」と思うのです。なお回転グリルは5000系のほかに2200系などにも設置されています。



●3000系テレビカーも「昭和のスター」だった



 ひと昔前の京阪電車のスターといえば「テレビカー」を思い浮かべる人も多いでしょう。



 テレビカーは、文字通り車内にテレビがある車両のことです。現在ならば動画コンテンツなど手元のスマホでサッと見られますが、ひと昔前は「車内にテレビがある」「出先でもテレビが見られる」ことにみんな驚き、喜んだものです。そんな昔のことではないですよね。筆者が子どもの頃、平成初期までは少なくとも……。



 京阪テレビカーの歴史は意外と古く、1954(昭和29)年に登場。カラーテレビになったのは3000系が登場した1971(昭和46)年のとき。この頃に受信区間が全路線になり、テレビ放送コンテンツの王道だった野球中継や大相撲中継などに乗客は釘付けになったそうです。テレビカーは8000系が登場した平成時代までありましたが、2013年に廃止されました。



 そんな昭和のスターとも重なる3000系テレビカーは、枚方市・樟葉の大型商業施設「くずはモール」で展示されています。3000系でまず注目すべきは塗装。黄色と赤の組み合わせは長年「京阪特急色」として親しまれていました。現在は塗装変更により見られなくなりました。



 京阪特急のシンボルである「鳩マーク」もきちんと掲げられています。この鳩マークは後継の2代目3000系でも使われています。



 車体側面には誇らしげに「テレビカー」の文字。各編成の1両がテレビカーでした。



 テレビ画面は車端部にありました。運行当時はブラウン管テレビでしたが、展示車両では液晶パネルに変わっていました。いま、実際に映像を流すならば仕方ないか……。画面では京阪3000系の活躍を記録した動画が流れています。



 車内は特急専用列車にふさわしく2+2列の転換クロスシートが並んだ構成です。京阪特急は座席指定車両の「プレミアムカー」を除いて特別料金が不要。転換クロスシートが少なかった昭和時代において、関西圏でない人は特に、特別料金不要の3000系に驚きを禁じ得なかったとか。当時の京阪ならず関西私鉄ご自慢の車両でした。



 展示車両では、実際に転換クロスシートに座ることもできます。現在の車両にはあまりない、ソファのようなふわふわの座り心地。ちょっとレトロな白カバーとともに昭和ノスタルジックが倍増します。転換クロスシートだけを見れば現在も十分通用する車両だと思います。



 車内には1972(昭和47)年当時の京阪電車路線図+地図もありました。当時は京都方の終点は三条駅となり、大津方面へ向かう京津線と接続していました。また七条〜三条間は現在のような地下路線ではなく、鴨川沿いを走る風光明媚な路線として知られていました。



 ドア付近に「補助いす」が設置されているのも見逃せません。珍しいですね〜。「補助いすは京橋〜七条間でご利用下さい」と書かれた三角形の案内板もいい味を出しています。



 3000系は1971年の登場以降、約40年にわたり京阪特急のシンボル的列車として活躍しました。一部の車両は富山地方鉄道で現在も使われています。テレビカーは廃止されましたが、料金以上の豪華な内装という3000系のDNAは後輩の8000系や2代目3000系に引き継がれています。



 3000系テレビカーが展示される「SANZEN-HIROBA」には、京阪電車に掲げられていた各種ヘッドマークも展示されていました。琵琶湖を描いた「びわこ連絡」のヘッドマークに注目。3000系にも掲げられていたこのヘッドマークは、京津線経由で琵琶湖遊覧船に接続する特急列車に掲出されていました。



 くずはモール最寄り駅の樟葉へは淀屋橋から特急で約30分。運賃は360円です。



 2021年6月、間近に控えた京阪5000系の引退で、今なお昭和が色濃く残る京阪電車でも“あの頃の思い出”がまた一歩遠のきます。さみしいことではあります。でも、京阪の良き伝統は確実に伝承されていることも感じます。需要の移り変わりが激しいこの時代、単にノスタルジックに浸るのではなく、どのように京阪の伝統が継承・発展するかに注目したいです。



(新田浩之/1987年神戸市生まれ。主に鉄道と中欧、東欧、ロシアの旅行に関する記事を執筆。2018年からチェコ政府観光局公認の「チェコ親善アンバサダー2018」を務める)



(※本取材は2021年3月緊急事態宣言解除後、2021年4月大阪府・兵庫県のまん延防止等重点措置実施前に感染症対策を施して実施しました)


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  • 京阪5扉は萱島行の区間急行でお世話になりました。・・・冬場降りてるシートに座ると寒いんだ。懐かしい思い出、51年間お疲れ様でした。
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