皇后さまと女官の複雑な関係明らかに!? 知られざる寵愛と「手紙」の存在

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2021年04月17日 20:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

前回まで……昭和時代の宮中で本当に起きた「魔女追放」事件。当時の皇后様(後の香淳皇后)の腹心の部下であったはずの女官・今城誼子さんは、宮中祭祀に非常に熱心な方で、皇后さまにも強い姿勢で祭祀に関して物申していましたが、それゆえに神がかりの“魔女”として汚名を着せられ、ついに宮内庁の権力者・入江相政氏によって追放されることになりました。

皇后さまと女官の複雑な関係

――皇后さまは寵愛していた女官・今城さんの退任時、突然の別離に嘆いておられるだけでなく、御機嫌なご様子の時もあったと、前回うかがいました。どうにも矛盾した様子を覚えるのですが……。

堀江宏樹氏(以下、堀江) この問題は重要かと思われます。ちなみに、皇室ジャーナリストの河原敏明さんは、この皇后さまの「矛盾」について特に言及なさっておられません。ですから、これは僕の推論ということになりますが……。

 天皇陛下に物申すことが立場上許されていない皇后さまにとっては、今城さんの言うことは確かに正論なのかもしれないけど、いつしか「正論で殴られる」というお気持ちに、なられていたのかもしれない。

 入江氏は、日記の中で皇后さまが「長年、魔女におどされつづけていた」ということを何度も書いています。宮中祭祀をもっと熱心にしないと、皇室は滅びる、日本はおかしくなるのでは? という“警告”が、今城さんからあったことは簡単に推測できますよね。それを「脅し」と入江氏は表現したのであろう、と。そして、それに信心深い皇后さまが影響されないハズがない、と思われます。

 昭和天皇に「祭祀をさらにご熱心に行ってください」などと伝えられるのは、皇后である自分しかいないと思われたでしょうが、同時に慎み深い方ですから、いくら侍従長を通したところで、皇后として天皇に物言いをすることは越権行為であると苦しく感じられていたのではないでしょうか。

 そして、皇后さまは、今城の言葉と自身の立場のジレンマに長年、苦しんでおられたのではないか……と。

 皇后さまにとって、今城さんは頼りになる女官だったことは事実でしょうが、彼女の存在が、皇后さまにとって一種の重荷であったことも間違いはないと僕は感じています。今城さんが退任すれば、その“しこり”もすべて取り払われたことになりますから、それが意識的・無意識的かはわからないにせよ、皇后さまの「御機嫌」のよさにつながっているのではないか、と。

――複雑な胸中ですね……。でも、信頼しつつも心的な重荷になっていた気持ちはちょっと理解できます。一方で、宮中から退任した今城さんのその後は?

堀江 当時64歳の今城さんは独身で、実家に帰るというわけにもいまさら……という状態でしたが、女官時代の今城さんに奉仕していた美佐恵さんという女性を養女にしていたそうです。

 女官が私的に雇う使用人のことを「家来」と呼び、家来は女官を「旦那さま」と呼びます。今城さんの養女になった当時の美佐恵さんは、30歳。家来から旦那さまの養女というのは、出世といえるでしょうね。

 今城さんが仕事を辞めるという昭和46年6月30日、皇后さまは「今回は讒言(ざんげん)によって、今城さんを解雇せざるを得なくなったけれど、あなたの人柄は私が保障するから、いつか折をみて再任する」という趣旨の直筆の手紙を手渡されています。また、赤坂御用地内で暮らしている頃、今城さんのところに皇后さまから電話が3回かかってきたとか……。

 女官として解任された後、今城さんは約半年の間、宮中近くの赤坂御用地内で暮らしていたのです。詳細は公表されていないのですが、関東の富裕な一族出身の美佐恵さんが継承した土地に、今城さんと住む家を新築するまでの配慮だったとか。

――皇后さま、今城さん、そして養女・美佐恵さんという女たちの関係が素敵ですね。

堀江 その後も今城さんと宮中との縁が完全に切れたというわけではなく、年に何回かは、宮中に招待され、皇后さまとも面会なさっていたようですね。入江侍従長による例の『入江相政日記』(朝日新聞社)の刊行がはじまった平成2年(1990年)には、まだご存命でしたので、入江氏による魔女呼ばわりに気づいておられかもしれませんが、誰にも会おうとはせず、何の反論もしないままでした。そして、平成5年2月に85歳で亡くなられたそうです。

――入江氏の日記ですが、全文公開ではないという説もありますね?

堀江 そうですね。ただ……魔女騒動が克明に記されてある昭和45年〜47年の3年の入江氏の日記を通読したのですが、彼が自分の「肛門の出来物」とか「水虫」の状態に一喜一憂する様子なども書かれたままです。

 あと昭和45年5月11日の日記では、美智子さま(現・上皇后さま)の祖母にあたる正田きぬさんがお亡くなりになったと書かれているのですが、なぜか「正田きぬ逝去」と、呼び捨てのままです。入江氏が、こういう呼び捨てをするのは非常に珍しいのですが。

 かつて入江氏が執筆したコラムの中で美智子さまの描かれ方を巡り、お二人に反目があったともいわれます。この呼び捨てにも、何らかの不和を感じさせる部分ではあります。

――水虫や痔のことまで、そのまま公開してるんですね(笑)!

堀江 そう(笑)。だから大幅な編集が行われていたなら、こういう入江氏のご家族にとって好ましくない部分もカットになるのではないでしょうか?

 ですから、入江氏の日記は魔女の件も含め、ほとんど内容は修正されずに世に出されたと考えてよろしいかと思います。昭和時代の宮廷を知るための第一資料ですから、ご家族の方の勇気とご英断には感謝しかありません。

――魔女の件でわかることは、宮中の祭祀の問題が非常に大変で、根深く、そして現代に引き続いているものであるということですね。

堀江 そうなんです。たとえば平成時代、天皇として熱心にご公務と宮中祭祀の二つを、こなしてこられた現・上皇さまですが、これは上皇さまがスーパーマンとでもお呼びしたいくらいの方だったからこそ、はじめて可能だったということです。

 昭和天皇が宮中祭祀を減らしていかざるを得なかった70代の時、上皇さまは上皇后さまとご一緒に、代理を立てずに、御自身で祭祀に出席されつづけました。

 昭和の伝統を平成時代には強化していかれたわけですが、それは上皇さまにとって、ご公務と宮中祭祀という二つの軸の両立こそ、天皇のつとめであるという強い信念がおありだったからでしょう。

 現時点ではコロナの影響で、皇室の方々のご公務は控え目になっています。それでも、皇居では宮中祭祀、つまり「いのり」は途絶えることなく続いているかと存じます。令和時代の皇室のご公務と宮中祭祀のバランスは、どうなっていくのか……。それについてお話しするのはまだ少し先のことになりそうです。

このニュースに関するつぶやき

  • ‥少し前にもこの記事があったね‥宮中祭祀も様々と大変なのでしょうが‥現天皇は代々神祇伯白川家から受けて来たという神事を復活させないと駄目かもしれませんね‥「仮称・小室宮家」が誕生してしまってからでは事ですから‥
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