世紀の冤罪・袴田事件 再審を求めて袴田巌さんの姉・秀子さんが特派員協会で会見

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2021年04月20日 08:31  しらべぇ

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日本に赴任する欧米諸国の大使で知らない人はいない。それほど知られた冤罪が袴田事件だ。19日、日本外国特派員協会で、元プロボクサー袴田巌氏の姉の袴田秀子氏、弁護団長の西嶋勝彦弁護士、弁護団事務局長の小川秀世弁護士が袴田津件について会見を開いた。

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■1966年の「袴田事件」

事件を振り返ろう。1966年6月30日午前1時30分頃、静岡県清水市横砂(現静岡市清水区横砂東町)の味噌製造会社(通称こがね味噌)専務宅で火災が発生し、ほぼ全焼した家屋の中から専務(41)とその妻(39)・次女(17)・長男(14)の4人の焼死体が発見された。

実況見分などの結果、死体には鋭利な刃物によると思われる多数の刺傷があり、焼け残った着衣などにガソリン臭があったほか、会社の売上金が入った布小袋が持ち出された疑いがあったため、警察は強盗殺人・放火事件として直ちに捜査本部を設置した。

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■当初から無実を主張

逮捕されたのが、現場のすぐ裏側にあった味噌製造工場2階の従業員寮に住み込んで働いていた元プロボクサー・袴田巌さん(当時30)。

ほぼ丸一日という長時間にわたる過酷で人権無視の取り調べで袴田さんは犯行を自白し、調書がとられたが、裁判では一貫して、無罪を主張した。しかし、一審、二審で死刑判決が下され、1980年、最高裁で刑が確定した。

しかし、弁護団による2度の再審請求などを経て、2014年3月27日、静岡地方裁判所が再審開始と死刑及び拘置の執行停止を決定、東京拘置所から釈放された。

後に東京高裁が再審を取り消したが、最高裁が判決を東京高裁に差し戻し、今、袴田さんは再審を待っている。拘置所・獄中にいたのがほぼ半世紀の48年。まさに血のにじむような戦いだった。

■長く面会謝絶

袴田さんは拘禁ノイローゼからだろうか、1990年代半ばから、姉・秀子さん、弁護士との面会も拒否するようになった。秀子さんは当時、衆院議員だった保坂展人世田谷区長に相談。袴田さんの誕生日にあたる2003年3月10日、保坂氏や秀子さん、弁護士らと東京拘置所で接見した。

私ごとになるが筆者は14歳の時、保坂氏が教育ジャーナリストだった1994年に初めて出会った。氏の影響をジャーナリストを志し、今に至る。保坂氏とはずっと付き合いがあったため、当時、袴田さんがどういう状況だったか、リアルタイムで聞いていた。

■自分を全能の神と発言

袴田さんが釈放された直後に、世田谷区長室で事件についてインタビューした。死刑囚・袴田さんは28分間の面会で次のような意味不明の言葉を繰り返したという。

「袴田巌はもういない。ムゲンサイサイネンゲツ(無限歳歳年月?)歳はない。地球がないときに生まれてきた。地球を作った人」

「神の国の儀式があって、袴田巌は勝った。日本国家に対して5億円の損害賠償をとった」

「全世界のばい菌と戦っている。(ばい菌に)死刑判決を下している。昨年1月8日まで袴田巌はいた、もういなくなった。1月8日に全能の神である自分が吸収した。中に入っていった。私の智恵の一つ。なくなっちゃう」

「神の儀式で決まった。死刑囚はしょうがない。死刑も廃止した。東京拘置所は廃止された。監獄は廃止した。東京国家調査所、オレは所長一番偉い。私は世界一の男だ。ばい菌が一つになった・・・1月8日死刑執行は拒否、いなくなった。袴田巌はいなくなった」

「監獄はなくなった。廃止された。東京拘置所はなくなった。東京国家調査所、所長……。死刑執行をできないようにした」

■死刑の恐怖心・絶望から妄想に

保坂氏は筆者に袴田さんの心境について次のように語った。

「袴田さんが最後に反応したのが、静岡地裁が再審請求を棄却した1994年です。刑務官に聞きましたが、袴田さんはじっと棄却文を読んでいたそうです。

それ以降、精神に異常を来し始めたようです。察するに、無実であるにもかかわらず最高裁まで闘い抜いたのに死刑判決が下された。再審請求も棄却された。それに対して絶望を抱いたのではないでしょうか。

それとやはり死刑に対する恐怖心があった。恐怖心を消すために、自分が全能の神となり、死刑を廃止し、東京拘置所も廃止したという『夢の中』へ逃げたのだと推し量ります」

■今も夢の中に

筆者は特派員協会で、秀子さんに、袴田さんの出所後の生活について質した。

秀子さんは「今は、巌の外出につきそう『見守り隊』のメンバーや私と、週の半分ドライブ、週の半分は今一緒に暮らしている浜松の町を散歩しています。釈放した後、巌と暮らす準備が整っていなかったため、2ヶ月は東京の病院に、1ヶ月は浜松の病院に入院させました」と語る。

消灯の時間の後に電気をつけてまわるとか、トイレに入った後、トイレットペーパーでドアのノブを何回も拭くということがあったという。

生活をともにしてからは、「一緒に暮らし始めた当初は一日10時間くらい家の中を歩いてまわりました。外にも出ませんでした。男性の人が来ると『面会謝絶』と言って会おうともしなかった。ラーメンを一度食べると、半年ぐらい毎日、ラーメンをたべるということもありました」と話す。

症状が少し改善されている例として「最近はあくびをするようになった。笑うこともあります」と語った。

■司法制度の前近代性があらわに

長く袴田事件を取材しているジャーナリストは筆者に「自分を苦しめたのが男性たちなので、女性の面会だと安心するようです。あと、毎日、日記をつけているんですけど、今でも支離滅裂。話すことも、”妄想”が多い。他方、散歩しているときに工事現場に出くわしたら、『ここにボクシングジムができるんだな』とふと、つぶやくこともある」と語った。

半世紀を超えて闘ってきた冤罪事件は、東京高裁で再審が始まることになる。そこで、完全に無罪判決が下されたときに、袴田さんにとっての勝利。しかし、それまでの時間は帰ってこない。日本の司法制度の前近代性に警鐘をならす事件といえるだろう。

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(取材・文/及川健二

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  • 結局まだ無罪なわけでもないし真犯人も捕まっていない。 真相は???
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  • 半世紀前のことをまだ言い続けるメディアがそれでも反省してないのは何故ですか?
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