25歳、ドラマチックに生きたい/巴奎依の社会不適号㉙

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2021年04月23日 20:11  ダ・ヴィンチニュース

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ダ・ヴィンチニュース

写真撮影=山口宏之
撮影=山口宏之

ネクライトーキーというバンドの歌の一節に
《お金もない、努力もしない 二十五を過ぎたら死ぬしかない》という歌詞がある。

メイクをする ということ/巴奎依の社会不適号㉘

初めてこの歌詞を耳にしたとき、私はすごく親近感を抱いたのを覚えている。

「私は何かが人とは違うはず」「どこかが人より優れているはず」。子どもの頃はそんなふうに自分自身に、そして自分の人生にものすごく期待をしていた。

だけど今、私にはドラマチックが枯渇している。
ドラマチックに生きたいと、切に思う。

穏やかで平凡な生活よりも、たとえ危険であろうと、刺激的で危うい生活の方に魅力を感じてしまう。

そして何よりも、私の人生はドラマチックであるはずだと、幼い頃に期待をしすぎてしまった。

ドラマチックとは何か、私は何をもってドラマチックだと感じるのか、具体的な理想像はまだないけれど、とにかく退屈でありたくない。刺激的でありたい。
私は私の人生の主人公なんだと実感したい。

だからネクライトーキーの歌詞を見たときに
特にこれといった努力はせず、ただ漠然と刺激を求める私の体たらくな願いの本質を語られたような気がして、妙に仲間意識を感じたのだ。

私に何か特殊なルーツがあったり、一国の王でもない限り、そしてそもそも一般社会で生きる限り、漫画のような人生はおくれない。

人生をリセマラしてみるか、ドラマチックに生きるために努力をするしかないのである。

こんな体たらくなまま25歳になってしまったため、「人生はなかなかつまらないということ」「ドラマチックには努力が欠かせないこと」をもっと早く知りたかったし、高校生のうちに最も教えてくれるべきことじゃないか、とよく思う。

この思考は私にとって唯一の砦で、
「たられば」であることは重々承知しているし、仮に高校で教わっていたとて、私が未来のために努力していたとも思えない。

だけどそのたらればに縋るしかないのだ。
それでしか、自分を正当化できないのだから。

子どもの頃から欲しいと願っていて、だけど子どもの頃は手に入れられなかった物。

たとえば、心をくすぐるジュエリーとか、ものすごく大きなぬいぐるみとか。

それを手に入れるだけでも、多少、ドラマチックを感じるのではないかと私は単純に考えた。

だけど、実際に手に入れてみると
欲しいと思っていた物が手元にあっても、それをどうすればいいか、どう思えばいいのか、正解が分からなかった。

手に入れて、その先は何?と。
それにものすごく怖くなった。

薄々分かっているのだ。
私が語るドラマチックとは何を指しているのか。

子どもの頃に欲しかった物を手に入れるでもなく、毎日ショッピングに出かけるでもなく。

ただ少しの苦労と、それを乗り越えられた自分自身を認めること。すなわち成功体験を積むこと。
リアルな方のシンデレラストーリーを、ドラマチックだと思っているんだ。

今、25歳という年齢が一番苦しんでいる気がする。
あとはもう、重い腰を上げるしかないのだ。

ともえ・けい
2012年よりA応P(アニメ“勝手に”応援プロジェクト)のメンバーとして活動をスタート。2020年8月2日に、A応Pを卒業。現在、インターFMにて毎週土曜28:30〜「DJサブカルクソ女の音楽解体新書」にてDJ番組を担当、DJCD「A応P BEST DJCD PRODUCED by DJサブカルクソ女」をリリースするなど、「DJサブカルクソ女」としても活動中。社会不適合者(自称)。

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