内縁の夫が「新たなる妻を迎えようとした」……傍聴に人々が殺到した、殺害未遂の女医の告白【神戸毒まんじゅう殺人事件:前編】

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2021年05月03日 22:01  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 兵庫県の西側にあるM病院で副院長を務める橋本義男(仮名・当時28)のもとに神戸大丸からカルカン饅頭が届いた。お中元やお歳暮の時期でもないその届け物を義男の母親が受け取ったのは、1939年(昭和14)4月26日のこと。カルカン饅頭は義男の好物だった。ところが、2個を義男とその実弟が食べ、残りを実妹が、勤務する小学校に持って行き、職場の皆と食べたところ、饅頭を食べた全員がチフスに罹患した。饅頭の表面にはチフス菌が塗られていたのである。義男は一時期重体となるも回復。だが実弟はのちに死亡した。

 問題のカルカン饅頭を送りつけたのは、女医の永尾花子(同・当時29)。あらかじめ、ある細菌研究所からチフス菌の培養器3基を持ち出して神戸大丸に出向いた花子は、そこで購入したばかりの饅頭を便所に持ち込み、チフス菌を全て塗りつけてから発送していたのだった。

 花子がチフス菌付きの饅頭を食べさせたかったのは、義男だった。

【神戸 毒まんじゅう事件】

 女医が饅頭を使い男を毒殺しようとしたこの事件は、第二次世界大戦勃発の年にありながら、世間の耳目を大いに集めた。のちに神戸地裁で行われた公判では、限られた傍聴券を幸運にも手にした者らが午前7時頃から法廷に詰めかけ、午前8時半には法廷をぎっしりと埋め尽くした。一般傍聴席の8割が女性で占められていたという。

 9時半の開廷の頃には、花子の姿を見ようとする人々が法廷外にあふれた。女性の関心を集めたのは、この事件が義男の裏切りをきっかけとしていたものだったからだろう。

 二人の出会いは花子が東京女医学校を卒業し、神戸市民病院に勤務していた頃。ここに見学に来た学生が義男だった。やがて義男から結婚を申し込まれるも、年齢が下だったこと、性格も違っていたことなどから、花子はこれを再三断っていたのだという。やがて義男のあまりにも熱心な求婚に根負けする格好で、31年(昭和6)に内縁関係を結ぶ。すぐに同棲や結婚へと至らなかったのは、義男の事情によるものだ。

 求婚にあたりお互いの家族を交えて話し合いが行われた際、義男は経済的な苦境も打ち明けていた。そこで花子が経済的援助を行い、義男が学位取得を目指すことが約束された。だが義男による援助の要求は、徐々にエスカレートしてゆき、花子の負担は増していったという。

「佐藤へ送金するため女ひとりが夜道を3回も往復して5円作ったり、弟からタバコ代50銭を無心されるのも断り、時には兄の金を無断で借りて送金したこともあった」(神戸地裁での花子の証言)

 やがて義男への送金のため、花子は勤務していた病院を辞め、郷里に戻って開業した。

「1〜2年開業して月々学費を送れば、橋本も何か内職を探すとのことでした。兄には橋本が学校を出たばかりだから、私がついていては研究の邪魔になるから帰って来たといって開業した」(同)

 義男が学位を取得すれば晴れて同棲が叶う。いずれは結婚し、二人で共に人生を歩んでゆく……そう信じて花子は援助を続けていた。そしてようやくその日が来た。

 36(昭和11)年5月、義男は見事学位を取ったのだ。しかし、花子との同棲話は一向に進展する気配がなかった。それどころか、義男には新しい女性を探すそぶりすら見られるようになったのだ。

「橋本は、計画的に学費を出させるために私と結婚し、単位を取った上で、また新しい結婚をする気であったように思います」

 花子は証言台の前で、当時の義男の思いをこう推測する。当時、花子はこのように抱いた疑念を燃料に、徐々に恨みを募らせていた。貢がせるだけ貢がせて、学位を得たら古草履のように捨てられるだけなのか……。

「私を踏み台にして学位を得た橋本が、なんら恥ずるところなく独身者として新たなる妻を迎えようとしているので、橋本への愛は一転して憎しみを帯びるようになりました」

 こうした発言が週刊誌などで報じられるや否や、花子への同情論が巻き起こった。3日続いた公判の終盤、検察官は殺人ならびに同未遂罪として花子に無期懲役を求刑したのに対し、裁判所はのちに、傷害ならびに同未遂罪とし、なんと懲役3年の判決を言い渡したのである。

 当然ながら検事はこれを不服として控訴。舞台は大阪控訴院に移った。そこでも花子への注目度は衰えることはなく、裁判所に詰めかけた人々の群れで大騒ぎとなる。開廷後ほどなく「傍聴満員」のフダが掲げられたが、締め出された人々は一目でも花子の姿を見ようと雪崩れうちに。天満署の警官が出動する騒動となった。別の期日では前夜の午後6時から蓙を敷いて並ぶ傍聴希望者もいたという。

――続きは5月4日公開!

参考文献
「週刊朝日」(朝日新聞出版)1940.3.3
「サンデー毎日特別号」(毎日新聞出版) 1957.5.1

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