渡辺久信は根本陸夫の誘いを断り、野村克也のヤクルト入りを決断した

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2021年05月05日 11:11  webスポルティーバ

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根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第26回
証言者・渡辺久信(3)

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 想定外の出来事だった。プロ14年目、1997年のシーズンオフ、渡辺久信は西武から戦力外を通告された。11月下旬であり、時期的にも現役続行の道は狭まっている状況。「もう自分を獲得するような球団はないのでは......」とあきらめかけた時だった。ダイエー(現・ソフトバンク)球団専務の根本陸夫から電話が入った。

 実質GM として西武黄金期を築いた手腕を買われ、根本は92年オフにダイエーに移籍。西武時代と同様に自ら監督を務めたあと、フロントに入ってチーム強化に乗り出す。秋山幸二、工藤公康、石毛宏典と、西武の中心選手を獲得する戦力補強が当初は注目を浴びた。渡辺への電話も、ダイエー入りを打診するものだった。




 現在、西武のGMを務める渡辺にとって、先達である根本が目標だという。しかし現役だった当時は、誰よりも強烈に印象に残る人ではあったが、あえて距離を置いていた。なにかと意識はしていたものの、立場の違いもあって、近くて遠い存在だった。その距離が、一気に縮まる可能性が出てきたなか、打診をどう受け止めたのか。渡辺に聞く。

「根本さんがダイエーに行かれたあと、当然、なかなか連絡もできない状態でした。それが、クビになった時に『西のほうに来る気はないか』とお電話をいただきました。西武をクビになったのかということで、それはもういろんな話をしましたね」

 根本が監督として招聘した王貞治の下でプレーする。可能性はゼロではなかった。だが、渡辺は14年間で通算124勝の実績を持つ投手。11月下旬にもかかわらず、興味を示す球団はダイエー以外にも出てきた。そして、いくつかの選択肢があるなかで選んだのが、野村克也が率いるヤクルトだった。

「当時の野村さんが"再生工場"とか、"ID野球"とか、話題になっていたところもありまして。ただ、その時はなにより、東京、関東の球団というのが大きかったんです。私自身、関東が長かったですし、親のこと、家族のことを考えて......。それに、自分はもうこの先、長く野球はやれないだろうという考えもありました」

 どちらかと言えば、在京であることが決め手だった。ところがいざ入団すると、やはり「野村さん」が決め手だったのだと思い直すことになる。まずキャンプでのミーティングの違いに驚かされた。西武では、前年の相手チームの映像を用意して投手や打者のクセ、攻めるべきポイントなどを研究していく。要は、どう相手を攻略するかがミーティングの中心だった。
 
 対してヤクルトでは、「投手とは何をする者か」「打者とは何か」を野村が語ることから始まる。そのうえで一球ごとに状況を設定し、カウント別に投手と打者の心理を詳細に分析。その膨大なパターンを野村が自ら理路整然と解説し、ホワイトボードに書いていく。選手全員がそのすべてをノートに書き写す。

 長年の経験が蓄積された渡辺自身、打者心理は十分にわかっているつもりだった。それでも、このミーティングには大きな衝撃を受けた。蓄積されたままの野球理論が野村の解説で整理され、理解が深まるのを感じられたのだ。実際、ノートに書き写した内容を読み返すと納得できることばかり。自分がいかに素質と感性だけで野球をやってきたか、思い知らされた。

 迎えた98年のシーズン。渡辺は19試合の登板で1勝5敗1セーブに終わり、オフには現役を引退する。一方で、野村の指導によって自身の野球経験が理論化され、第二の人生につながる財産を得ていた。話を聞きに来る若い投手たちに、成長するために必要と思われることを整理して伝えられるようになっていた。

「指導者になりたいと思ったのが、その時です。以前はまったく頭になかったんですけど、野村さんの下で1年やってみて、指導することの面白さを感じていました。引退を発表したのちにテレビ、ラジオ、新聞からのオファーもありましたが、台湾に行って勉強をする道を選択したんです。これからも人生が長いことを考えたら、そちらのほうがいいかなと思って」

 当時、台湾のプロ野球界が日本人の投手コーチを求めていた。渡辺は自身でその情報をつかむと、西武監督の東尾修から助言を得て単身で海を渡った。所属したチームでは投手に関するすべてを一任されたが、なぜか日本語の通訳が付かない状況下、投げ方の手本を見せる意味で現役に復帰。3年間、投手兼コーチとして指導した。

 同じプロとはいえ、まだ台湾と日本の野球レベルに差があった時代。相当に目線を落として、丁寧に教える必要に迫られる。決して自分の物差しで図らず、相手のレベルまで降りることが大事と気づかされる。そうして、基本中の基本に立ち返った段階から指導したことで、自身の野球理論の確認にもなり、コーチングの基礎を実地で学ぶことができた。

 帰国後の渡辺は、2002年から2年間、解説者として活動。初めて外から12球団を見て視野を広げると、04年から西武の二軍投手コーチに就任。8年ぶりの復帰となった。翌05年からは二軍監督を兼任し、3年後の08年、一軍監督に昇格した。

「一度は疎遠になった球団でしたけど、野球人としていちばんいい軌道に乗せていただいたと思います。二軍のピッチングコーチから監督兼任、二軍監督専任、そして一軍の監督ですからね。ただ、もともと私自身、指導者になるタイプではない、なれないんだろうなと思っていました。というのも、私は球団に残れなかった人間です。

 当時、球団が西武になってからいちばん勝ち星を挙げたのは私でしたし、球団のためにいちばん協力したのでは、と思っていたんです。普通だったら、球団に残れる選手でしょう。でもクビになったわけで、その点、我が道を行き過ぎたかなと思うところはありました。そういう意味で、野村さんとの出会い、台湾での経験が本当に大きかったんです」

 いわば、マイナスから始まった渡辺の指導者人生だったが、08年、監督就任1年目でのリーグ優勝、日本一となって実を結ぶ。翌09年こそ4位に下降するも、10年からAクラスを保持。その間、戦力補強においては、積極的に選手獲得をフロントに働きかけていた。

 07年オフ、ヤクルトからFAで石井一久を獲り、10年には工藤を横浜(現・DeNA)から復帰させた。一方、09年から監督を辞任する13年までの間に、12件ものトレードを成立させている。監督時代から編成の仕事への意欲、願望があってのシニアディレクター(SD)就任だったのだろうか。

「そういうことではないんです。ただ、球団の幹部だけじゃなく、オーナーからも『どんどんチームを強化していってほしい』と言われました。考えてみれば、現役時代はもちろん、指導者になってからも自分を育ててくれた球団。今度はフロントとしてチームを見ていきたい、という気持ちが出てきたんです。そしてその時『やるからには根本さんを目指す』と決めました」

 13年10月のSD就任後、チームは14年から3年連続でBクラスに低迷。これは根本が監督を務めた79〜81年以来だったが、その責任を取る形で16年12月、編成部長を兼ねていた鈴木葉留彦球団本部長は本部長専任に。代わって渡辺がSDと編成部長を兼務することになった。

 こうして17年、渡辺は球団編成部門のトップに立った。同時に、辻発彦が新たに監督となったチームは2位に浮上。翌18年には10年ぶりのリーグ優勝を果たすと、ここで渡辺の球団本部GM就任が決まった。

 SDから編成部長兼任を経てGM。編成としてもいい軌道に乗っているようだが、現状、12球団の編成トップのうち、選手経験者は渡辺を含めて4名。また、2021年から楽天GMの石井一久が監督兼任となり、4名とも監督経験者となる(オリックス福良淳一/ヤクルト小川淳司)。根本がそうだったとおり、現場を熟知し、なおかつ指導者経験もあればGMとして理想的なのだろうか。

「どうなんでしょうね、それは。たとえば、アメリカのGMを見ると、選手経験がなくてもいろいろな資格を持っていて、マネジメントに長けたプロの人たちが就任しているケースがたくさんあります。でも、日本の球界に関して言うと、そういうなかで人と人とのつながりも大事になってくるところがある。
 
 当然、シビアに見なければいけないところも絶対に出てきます。人と人のつながりで、すべてうまくいくものではありません。そのことを踏まえたうえで、選手=現場を知っていた人が編成のトップを務めるのもありなのかなと。そういう考え方もあるのかな、と思いますね」

 MLBのGMと違って、日本プロ野球のGM、編成トップは、球団予算をすべて扱うまでの権限は持っていないという。実際、根本もそこまでの権限はなかったわけだが、球団幹部はもとよりオーナーと直に交渉して説得し、チーム強化に必要な予算を確保していたといわれる。

「GMは現場と会社の間に入って仕事をする人なので、現場の意見を吸い上げながらもしっかり会社とも交渉してチーム強化できる。これがいちばんだと思いますし、予算の話になったら自分の意見を言えないとダメだと思う。それが通る通らないは別にして。今の時代だから難しい部分もあるんですけど、それでもしっかり、間に入ってやらないと意味がないですから。

 ただ、根本さんみたいな人はもう出てこないと思います。実際、ああいうふうになりたいなという気持ち......今でもすごく持っていますけど、根本さんが活躍した当時と比べて時代が変わり、野球界も変わりました。そもそも会社のなかにいる人間としたら、コンプライアンスもありますので。いろんな意味で、出てこられないでしょう」

 いかにも、ドラフトひとつ取っても、根本が突いたような抜け道は閉ざされた。ドラフト外での入団はなくなり、有望選手の囲い込みに利用された練習生も廃止され、アマチュア選手への裏金問題も起きた。それでも渡辺が根本を目標とする理由はどこにあるのか。距離を置きながらも、ずっと意識してきたのはなぜなのか。

「それはもう、根本陸夫という男が成し遂げたことを見たり、聞いたりしてきたからです。初めは近鉄で、広島、西武、ダイエーと渡り歩く流れを見てきて、どこのチームも強くなっている。ただ、監督としては勝っていない。ということは、監督のタイプじゃないんです、あの人は。

 ある程度、チームをつくり上げて、勝てる監督にバトンタッチする。それって、かっこいいじゃないですか。いや、本当にかっこいい、と思うんですよ、そういうことができたなら。だから行動力ですよ。そこまでやってのける行動力がすごいと思うから目標なんです」

 根本と違って、渡辺は選手としての実績がある。指導者経験も豊富で、監督として最高の結果も出している。編成としても着実にステップアップしてきた。そのうえで人望があって、人脈もある野球人と高く評価する周りの声もある。たとえば、渡辺にとって盟友の大久保博元は「今の野球界で、根本のオヤジみたいなGMになれるのは渡辺さんぐらい」と語っていた。

「いやいや、デーブはちょっと話を盛るクセがあるんでね(笑)。だいたい、野球界における影響力の大きさを考えたら、私なんてまだ足元にも及びません。たぶん、あそこまでいくには120歳ぐらいまで生きないといけないんじゃないかと思います。今、私は50代半ばなので、あと70年ぐらい生きないと無理、ということですよ」

つづく

(=敬称略)

このニュースに関するつぶやき

  • 渡辺久信といい…辻発彦といい、ヤクルトにいた記憶があんまり無いんだよな!(元オリックスの馬場もだが…)
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  • 晩年の久信は酷かったな〜頭髪とともに成績が���ä���
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