Jリーグ史上最大の移籍失敗例。代表クラスの超大物がまさかの結果に【2020年度人気記事】

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2021年05月05日 19:01  webスポルティーバ

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 2020年度下半期(20年10月〜21年3月)にて、スポルティーバで反響の大きかった人気記事を再公開します(2月5日配信)。

 Jリーグでは今季開幕を前に、移籍の動きが活発だ。なかでも、各クラブの主力級が新たな戦いの場を求めるケースが少なくない。

 とはいえ、ときに「鳴り物入り」などと形容されるような大物選手の移籍であろうと、そのすべてがうまくいくわけではない。過去の実績から活躍が期待されながら、移籍先のクラブで思うような成績を上げられなかった選手も当然いる。

 先日、当コラムでは移籍を機に復活を遂げた選手を何人か紹介したが(※2月2日配信。『柿谷曜一朗や齋藤学は蘇るか。J史に残る移籍で復活した名選手ベスト3』)、そのなかのひとり、大久保嘉人は移籍の"明"だけでなく、"暗"も知る選手である。

 2013年にヴィッセル神戸から川崎フロンターレへと移籍したことをきっかけに、大久保がかつての輝きを取り戻したことは前に記した。移籍1年目の2013年は前年の4ゴールから26ゴールへと得点数を激増させ、得点王を獲得。以来、3年連続でJ1トップスコアラーの座を守り続けた。

 ところが、川崎と蜜月の関係を築いたかに見えた大久保は2017年、FC東京への移籍を決断する。

 前年の2016年にしても4年連続得点王こそ逃したものの、15ゴールを記録。川崎の得点源として重責を果たしていたが、史上初の3年連続得点王は安住の地にとどまることなく、新たな戦いの場を選択したのである。

 しかし、この選択は結果的に裏目に出た。

 FC東京が13位と低迷したシーズンで、大久保自身も8ゴールしか挙げられず、ゴール数は前年からおよそ半減。翌2018年には川崎に出戻るが、わずか12試合出場2ゴールを記録するにとどまった。

 自らの身を置く環境を変えることが、劇的なブレイクのきっかけとなりうることは確かだが、そこにはおそらく相性やタイミングといった不確定要素も関わってくる。大久保の歩みは、よくも悪くも移籍の怖さを雄弁に物語っている。

 時計の針をJリーグ草創期まで巻き戻せば、移籍の難しさを物語る、また別の事例に思い当たる。

 それはすなわち、期待を大きく裏切った移籍の例であると同時に、Jリーグ史上最高の大物移籍だったと言ってもいい。

 その大物選手とは、1996年当時の前園真聖。アトランタ五輪で活躍し、日本代表でも次代を担うエース候補として注目されていた前園は、いくつものCMに出演するなど、当時はサッカー界のみならず、日本を代表する有名アスリートとして絶大な人気を集めていた。

 そんな前園は、所属クラブである横浜フリューゲルスとの間で契約交渉がまとまらず、退団が決定。進路が決まらないまま越年した結果、1997年1月、ようやくヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)への移籍が決まった。




 当時はまだ、国内移籍を制限するローカルルールが存在しており(日本サッカー協会が定める選手移籍規程により移籍金算出基準が決められており、契約満了時であっても、移籍元クラブは年俸と年齢で決まる移籍金を受け取る権利があった)、現在ほど選手の移籍が当たり前ではなかった時代である。

 まして並みの選手ではなく、日本屈指のスター選手の移籍となると、それまでにまったくと言っていいほど前例がなかった。現在の日本代表選手に例えるなら、いまだ堂安律がガンバ大阪で、同じく冨安健洋がアビスパ福岡でプレーを続けていたとして、彼らが今季から鹿島アントラーズや名古屋グランパスへ移籍するようなものだろうか。

 現在は将来有望な若い選手であればあるほど、海外クラブへ移籍してしまうことが多い。それを考えれば、これほどの大物移籍はこれから先ももう起こりえないかもしれない。当時23歳の前園の移籍金は、基準の満額で4.5億円。交渉の末、推定3.5億円の移籍金が動いたと言われている。

 だが、この世紀のビッグディールも、ふたを開けてみれば、期待を裏切る結果に終わった。

 Jリーグ初代王者となったヴェルディも、1996年の成績は7位止まり。J屈指の人気と実力を誇ったクラブは過渡期にあった。世代交代が必要なかつての王者にあって、前園はひと際大きな注目を集めたわけだが、彼がその期待に応えたとは言い難い。

 移籍1年目の1997年は28試合出場5ゴールと、数字のうえではまずまずの結果を残してはいる。だが、ヴェルディのさらなる低迷(1stステージ16位、2ndステージ12位)もあって、前園のプレー内容は低調なものに。その結果、日本代表からも遠ざかることになった前園は、同年に行なわれ、日本がワールドカップ初出場を決めることになるアジア最終予選にも出場することはなかった。

 結局、前園は翌1998年になっても調子が上向かないまま、シーズン途中に期限付き移籍でブラジルへ。破格の移籍金が動いた、Jリーグ史に残る大物移籍劇は、こうして寂しく幕が下ろされることになったのである。

 また、国内クラブ間での移籍ではなかったが、ブンデスリーガからJリーグへ復帰した高原直泰の移籍も、似たようなケースと言えるだろう。

 2006−2007シーズン、フランクフルトに所属していた高原は、ブンデスリーガでの自己最多となるシーズン11ゴールを記録し、まさに充実期を迎えていた。ときを同じくして、イビツァ・オシム監督が率いる日本代表でもエースストライカーとして活躍。2007年夏のアジアカップでは、別格の力を見せていた。

 そんな高原が2008年、Jリーグ復帰を決断。移籍先に選んだのが、浦和レッズだった。

 しかし、前年にアジア王者となった浦和を、さらに高みへ引き上げると期待されたストライカーの移籍1年目の成績は、27試合出場6ゴール。2年目になっても、32試合4ゴールと振るわなかった。

 2007年当時の際立ったパフォーマンスはもちろん、ジュビロ磐田時代にはシーズン26ゴールを挙げ、得点王とMVPの二冠を獲得していることを考えると、まさか、まさかの結果だった。

 大物の移籍であればあるほど期待は大きく、その分、期待に応えられなかったときの失望も大きくなる。ファンの大きなため息を聞くのは大物選手ゆえの宿命とはいえ、移籍とはかくも難しく、リスクをともなうものなのである。

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