西の単車天国「神戸」を走る50年以上前の路面電車 街に溶け込んだアメリカンスタイル!

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2021年05月08日 07:00  AERA dot.

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写真軽快なアメリカンスタイルの神戸市電300型は、低床式に改造したブラッシュ21E型単台車を装備していた。吉田町一丁目(撮影/諸河久:1968年4月2日)
軽快なアメリカンスタイルの神戸市電300型は、低床式に改造したブラッシュ21E型単台車を装備していた。吉田町一丁目(撮影/諸河久:1968年4月2日)
 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回も引き続き「単車」と呼ばれた四輪で走る路面電車の話題だ。筆者は1960年代後半の学生時代、高価だったカラーポジフィルムを携行して各地の路面電車を訪ね歩いている。今回は函館、横浜、岐阜の続編として神戸、岡山、高知で活躍した忘れ得ぬ単車たちを紹介しよう。

【50年以上前の神戸や岡山、高知港をバックに走る光景など、当時の貴重な写真はこちら】

*  *  *
 地下鉄と違い、路面電車の魅力は街並みを観察しながらあちこちに移動できること。明治の開港以来、海外の文化を織り交ぜながら美しい街並みを形成した神戸にとって、路面電車の存在は大きかった。

 冒頭のカットが、カラーポジフィルムで記録した神戸市交通局(以下神戸市電)の300型単車だ。1968年春、35mm判のコダック・エクタクロームX(ISO64)を携行した市電ロケの一コマだ。同型はアメリカンスタイルで神戸の街に溶け込んだ人気の車両。1966年から始まった路線縮小や大阪型ボギー車も健在な状況から、市内を走る単車のカラー撮影は諦めていた矢先のハプニングだった。吉田町一丁目停留所で突然300型単車が眼前に現れた。朝の通勤時間帯に応援仕業に入ったと推察され、系統番号を掲示しない姿を捉えた幸運な一瞬だった。

 この354号は300型―Aと呼ばれる車型だった。1932年に交通局工場で自重9.5トン、定員60(28)名(カッコ内は座席定員)の半鋼製車体を新製。A車と呼ばれた木造高床式単車が装備したラジアル式ブラッシュ21E型単台車からラジアル装置を撤去、低床式に改造した軸距3050mmの台車が流用されており、エアーブレーキが装備されていた。

■西の単車天国・神戸市電

 次のカットが300型単車よりも洗練された車体を持つ400型低床式単車だ。最初の訪問時に辛うじて撮影した一コマで、当時はカラー撮影が叶わなかったので、モノクローム作品を掲載する。写真の408号は旧411型から戦後改番された18両が残存したうちの一両だった。1932年に交通局工場で自重9.5トン、定員56(26)名の半鋼製車体を新製。D・F車と呼ばれた木造低床式単車が装備した軸距2590mmのブリル21E型単台車を流用し、エアーブレーキ装備だった。

 東の横浜市電に対して、西の「単車天国」といわれた神戸市電では、1960年代に入っても軽快なアメリカンスタイルの300型、400型の2形式74両の低床式単車が在籍して、頻繁に市内を走っていた。「単車天国」に黄昏が訪れたのは、大阪型と呼ばれる大阪市電の中古ボギー車が導入された1964年だった。1966年の再訪時、18両在籍した400型は全滅しており、石屋川の車庫で残存していた予備役の300型にカメラを向けている。

■岡山や高知で活躍した単車たち

 岡山電気軌道(以下岡山電軌)は1912年の開業以来、半世紀以上も単車だけで運行されてきた稀有な路面電車で「単車天国」は岡山電軌に相応しい愛称だった。ボギー車の導入は1966年から始まったが、それまでは4形式29両の単車が在籍していた。

 岡山電軌が秋田市交通局を始めとする各都市からボギー車を積極的に導入した結果、1970年代初頭に「単車天国」は瓦解してしまった。

 写真は岡山駅前を発車して清輝橋に向かう岡山電軌の100型低床式単車。写真後方には岡山駅前を交互に発車する東山行きの100型が発車を待っている。背景の国鉄岡山駅では1972年に開業が予定されていた山陽新幹線の高架工事が始まっていた。

 写真の106号は自社工場で1950年に鋼体化改造され、台車はブリル21E型に類似した日立21E型低床式単台車を流用した。自重7.7トン、定員42(16)名で、当初ブレーキは手用だったが、後年エアーブレーキに改造された。鋼体化前は日本車輛で1928年に製造された旧106号低床式単車で、乗降扉を持つ木造車体だった。

 余談であるが、岡山電軌は写真のような古い車軸を錘に使った自社製の「石津式パンタグラフ」を開発し、独特の外観を醸し出している。

 最後のカットが、カラーポジフィルムで撮影した高知市内を走る土佐電気鉄道(以下土佐電鉄/現・とさでん交通)の300型高床式単車。黒潮香る桟橋通五丁目停留所で高知駅前行きが発車待ちのシーンを狙った。画面の背景はフェリーや観光遊覧船が発着する高知港だ。

 300型は1904年の開業以来使われてきた木造単車を、1953年から1955年にかけて自社若松町工場で鋼体化改造して誕生した。この324号は、1909年製の旧35号の電気機器やブリル21E型高床式単台車を半鋼製車体に流用して1955年に登場。自重9.3トン、定員50(20)名。単台車の担いバネをコイルバネとオイルダンパの併用に改造して乗り心地の改善を図っており、空気ブレーキ装置も付加された。車体の形状は1952年に新造された200型ボギー車を模倣している。

■もしも、都電400型木造単車が鋼体化されたなら

 写真は江本廣一氏が一之江線(通称今井線)東荒川停留所で撮影された都電400型高床式単車。戦後になって二回改番された三代目にあたる402号は旧475号で、1923年鶴見木工(浅野財閥系の造船関係会社)の製造。車体は木造で、自重9.1トン、定員52(12)名、台車は軸距1830mmのブリル21E型高床式単台車を装備していた。

「歴史のイフ」を想像するのは愉しいことだ。土佐電鉄300型は都電6000型と同系の外観だったことから、もしも、木造の都電400型単車が鋼体化改造されたなら、土佐電鉄の300型に類似した400型鋼製単車となったかな……という想像を巡らしている。

■撮影:1968年4月2日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの軽便鉄道」(イカロス出版)など。2021年4月に「モノクロームの国鉄情景」をイカロス出版から上梓した。

※AERAオンライン限定記事

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