元ソフトバンク島袋洋奨が母校で指導者に。甲子園優勝経験を育成に生かす

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2021年05月09日 06:31  webスポルティーバ

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「今日は打者を圧倒できているな」

 春の沖縄大会を制して九州大会に出場した興南高校。最速145キロのストレートを軸に、昨年秋の九州王者・大崎高校(長崎)を相手に9回一死まで3安打、12奪三振という快投を演じた山城京平をスタンドから静かに見守っていた新米コーチが称える。

 コーチの名は島袋洋奨。2010年に興南のエースとして甲子園春夏連覇を達成。その後は中央大を経てソフトバンクに入団するも、2019年に戦力外通告を受け現役を引退した。




 引退後は母校である興南の事務職員を務めながら、今年2月5日に学生野球資格回復の認定を受け、晴れてコーチとなった。現在は事務職員を務めながら、グラウンドではおもに投手を担当し、甲子園を目指す選手たちの指導に当たっている。

 高校時代の大活躍もあって、沖縄では"英雄"として今も絶大な人気を誇っている。しかし、華々しいスポットライトを浴びた一方で、大学時代はヒジの故障やイップスに陥るといった挫折を経験。ドラフト5位で飛び込んだプロの世界でもケガとの戦いを強いられ、5年間の在籍で一軍登板はわずか2試合。結局、1勝も挙げられずにユニフォームを脱ぐという厳しい現実を突きつけられた。

 恩師である興南の我喜屋優監督は人生をスコアボードにたとえ、「高校時代はあくまで試合序盤。最終的にしっかり根を張り、花を咲かせばいい」と教え子たちに説いている。しかし、まだ28歳の島袋については「すでに人生のスコアボードの中盤に差しかかっている」と我喜屋監督は言う。

「彼は高校野球ですばらしい花を咲かせた。しかし、どんな花でも必ず散るのです。ただ、散ったあとにどういう根っこづくりをして、再び花を咲かせていくのか。その姿を子どもたちに見せてくれることを期待しています」

 大学、プロとさまざまな指導者と出会い、多くのことを学んできた。それを教材にしながら、一方的に押しつけるのではなく、多様的で、かつ選手たちからのリアクションが得られる指導者になる。それが島袋の目指す形であり、我喜屋監督も大いに期待しているところである。

 現在の高校野球は、複数投手制が主流となり、1週間500球ルールなど、投手をケガから守るさまざまな施策が打ち出されている。

 島袋自身、2010年の甲子園で春は689球、夏は783球を投げ、大学時代にも登板過多による影響で故障した経験がある。

「好投手を何枚もつくらないといけないし、そういう指導が求められていると思います」

 そうは言うが、島袋が選手たちに求めているのは"投げ切る力"だ。

「何枚もつくるといっても、40〜50球しか投げられない投手を複数つくるということではないんです。あくまで前提としてあるのは完投能力。9回を投げ切れる投手を育てることを主眼に置いています」

 高校生の投手を育成、強化する道筋は、島袋のなかで確立されつつあるようだ。

「まずはボールの強さですね。決して『低め、低め』と意識させず、まずは自分の持っている球に強さを求めなければなりません。強いボールを投げられるようになれば、次にその再現性を高める。それができて初めて、コーナーへコントロールする技術を身につけていけばいい」

 そしてマウンドに立つ投手は、チームの核としての自覚が求められる。少なくとも「エース」と呼ばれる投手には、マウンドの立ち居振る舞いやパフォーマンス、チームを引っ張っていくという気概が必要になる。

 もちろん、島袋はそれだけのプライドを持ってマウンドに上がっていたという強い自負がある。だからこそ、「エースはチームメイトから信頼を勝ち取るためにも、相手を圧倒しなければいけないんです」と言うのだ。

◆佐々木、奥川より早くブレイクか。オリックス宮城大弥には制球力、分析力がある>>

 九州大会の大崎戦で三振の山を築いた山城は、相手ベンチからの「真っすぐだけだぞ!」の声に感情をむき出しにした。その姿は、島袋の目にはいつも以上に相手打線を威圧しているように映った。こうした闘争本能こそが、島袋が母校に持ち帰った最大の手土産だといってもいい。

「(山城)京平はまだまだ幼い部分がありますが、力的には将来が本当に楽しみな投手です。これだけの投手ですから、当然、京平の言動を下の世代の子は見ています。それをしっかりとさらに下の世代にも受け継いで、伝統化していければいいなと思いますね」

 そう語る島袋だが、高校時代に残した「闘争心」と「エースの矜持」はしっかりと下の世代に受け継がれている。

 今年、開幕からオリックスのローテーション投手としてブレイク中の宮城大弥は、島袋にとって小中高の後輩にあたる。年齢は9歳離れているため直接関わりはないが、二度の甲子園出場を経てドラフト1位でプロ入りした宮城もまた、島袋を筆頭に「興南のエース」のプライドを継承してきたひとりである。そんな宮城の活躍を、島袋は我がことのように喜んでいる。

「すばらしいとしか言いようがないですね。すでにパ・リーグを代表する左腕と言ってもいいと思います」

 これからは宮城のような投手をひとりでも多く育てることが使命となる。そして最後に島袋はこんな話をしてくれた。

「野球部に復帰することが決まった時、高校時代のユニフォームを引っ張り出して着てみたんです。『まだちゃんと入るな』と思って......気が引き締まりました」

 指導者として第二の野球人生をスタートさせた島袋。これからの活躍が楽しみでならない。

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