大坂なおみと母との絆、テニスの原点。「いつだって私を笑わせてくれる」

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2021年05月09日 11:31  webスポルティーバ

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"なおみ"の名は、「英語でもフランス語でも通用するし、とくに日本では完璧な日本の名前として、馴染みやすく呼びやすいから」との理由でつけたと、母の環(たまき)さんから聞いたことがある。

 父親はフランス語を母語とするアメリカ人で、生誕地は大阪市。生まれながらにして色彩豊かなバックグラウンドを背負った我が子が、いずれの国からも親しまれるようにとの母の願いが、その名には込められていた。




 かつて「大阪で生まれた人は、みんなオオサカさんになるのよ」のジョークで笑いを誘ったなおみだが、3歳でアメリカに移った彼女には、誕生地で過ごした記憶はほとんどない。

 それでも母が撮影した写真には、大阪市の公営テニスコートで、ラケットを手に姉とたわむれるなおみの姿が多く写っているという。彼女のテニスの原点が、母の苗字と同じ名の町にあるのは間違いない。

 なおみにとって、テニスにまつわる最も古い記憶はニューヨークでの出来事。一緒に練習していた子の顔にボールが当たり、「怖くてずっと顔の前にラケットを構えていた」という、いささかトラウマチックなものだった。

 そして、テニスコートの記憶には、常に父親と姉のまりがいる。だがそこに、母がいることは稀だった。幼いなおみの記憶に強く焼きつく母は、早朝に起き、働きに出かける姿だ。

「母が、私たちのために払ってくれた犠牲のすべてを覚えている。母は、私の試合を見に来ることすらできなかった。朝4時に起きて、バスや電車に乗って働きに行っていたから」

 だから、いつの日か恩返しがしたいの----。

 テニスプレーヤーとしての成功を手にした今、彼女が何より望むのは、母の献身に報いることだ。

 一方で母のほうも、"ファミリーテニス"の場で最も弱い立場に身を置いた、次女の心境をおもんばかった。

「なおみにとっては、タフな環境だったと思いますよ。自分が一番弱い状態が、毎日続いていたんですから。お姉ちゃんには勝てない。お父さんには怒られる。家に帰れば、ホームワークもしなくてはいけない。子どもなりに、厳しい生活だったと思います」

 だから嫌になって、途中であきらめちゃう子たちもいる。そういう子どももいっぱい見てきた......と環さんは続けた。

 テニスコートでは、年長で先に上達する姉のほうに、どうしても父親の目は行きがちだろう。だからこそ母は、妹の心中に注意を向けたのかもしれない。

「お姉ちゃんは負けると時々、すごく落ち込んでいたの。そんな時、お父さんは『そんなにシリアスになることはないよ。単なるテニスじゃないか』って言った。そして、お母さんはどんな時にも、私たちをハッピーな気持ちにしてくれる。『そうよ、それでこそ私の娘よ!』ってね。お母さんはいつでも、私たちがやるべきことをやるかぎり、全力でサポートしてくれる」

 幼き日から変わらぬ母の姿勢を、なおみはそう回想する。

 ちなみに、「お母さんが方向性を決め、お父さんが細かいことを教えてくれるというのが、私の家族のルール」だと、大坂家の次女は規定した。

 母が決めた「方向性」を指標としたなおみは、ジュニア大会には出ることなく、14歳から姉とともにプロサーキットを転戦しはじめた。

 今でも「人生で最もうれしい勝利」と述懐する、姉からの勝利を下部大会で手にしたのは16歳の時。そのわずか半年後には、カリフォルニア開催のWTAツアー大会で、当時世界19位のサム・ストーサー(オーストラリア)を破り、一気に「次代の旗手候補」と注目されるまでになる。

「大阪で生まれた人は、みんなオオサカさんになるのよ」とジョークを飛ばしたのは、この勝利後の会見でのこと。大坂のユーモラスな性格と同時に、当時16歳の少女がいかにアメリカのテニス関係者の間でも無名だったかを物語るエピソードだ。

 それから4年後----。彼女は、幼少期からの「USオープンの決勝で、憧れのセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を破り優勝する」という夢を、自らの手で実現する。

 勝利を決めたなおみが駆け寄るファミリーボックスには、子どもの頃は「試合を見に来られなかった」母の姿があった。母親は左手で目頭を押さえて涙をぬぐい、右手でなおみの肩を抱く。抱擁の中で小さな子どものように泣きじゃくるなおみの頬を、母は左手で優しくなでた。

 そのニューヨークでの初戴冠から、2年半が経った。大坂のグランドスラムコレクションは3つに増えたが、初優勝のトロフィーは母親の手によって、鍵のかかったケースに大事にしまわれているという。

「だから、そこにトロフィーがあるなんて誰も気づかないの」と娘は苦笑いをこぼすが、鍵のかかったケースに込められた母の想いを、なおみは誰よりも知っているだろう。

 コロナ禍のなかで再開されたツアーでは、母親が試合会場に来ることは再び困難になった。

 それでも、なおみの心をほぐしてくれるのは、母なのは間違いないだろう。今年2月の全豪オープンでも準決勝での勝利後に母親と電話し、その内容の一部を次のように会見で明かした。

「お母さんったら、おかしいのよ。試合後に電話するといつも、『もっとボールを相手のコートに入れなさい』って言うの。お母さんにとって、ボールのスピードとかそんなことは関係ないみたい」

◆石井琢朗の娘と久保竜彦の娘がテニス・ダブルスでコンビを組んでいた>>

 母との会話を思い出したか、彼女の口角から自然と笑みがこぼれ落ちる。きっと母親と話している時、彼女は『世界最高のテニスプレーヤー』でも『新世代のオピニオンリーダー』でもなく、公営コートでボールを追っていた、子どもの頃に戻れるのだろう。

「お母さんは、いつだって私を笑わせてくれるの」

 そう言い目じりを下げる笑顔は、欧米風に呼ぶ「ナオーミ」ではなく、日本でも馴染みやすく呼びやすい「なおみちゃん」そのものだった。

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