大人になって気づいた「アセクシュアル」 恋愛できない私は欠陥品? 告白されても…1ミリもわからない

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2021年05月11日 07:00  ウィズニュース

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写真生まれつき、特定の誰かを愛することができない……。そんな「アセクシュアル」の当事者・雁屋優さんに、自らの人生観についてつづってもらいました(画像はイメージ)=PIXTA
生まれつき、特定の誰かを愛することができない……。そんな「アセクシュアル」の当事者・雁屋優さんに、自らの人生観についてつづってもらいました(画像はイメージ)=PIXTA

「愛することは素晴らしい」。ドラマや映画、流行歌を通じ、そんなメッセージが当たり前のように広められてきました。一方で社会には、他者に対する恋愛感情を生まれつき持てない、「アセクシュアル」の人々が存在します。ライターの雁屋優さんも、その一人です。「私は欠陥品なんだ」。周囲の「ふつう」に自分を合わせられず、苦しむ日々。救いとなったのは、一冊の漫画でした。「愛し愛されるべき」という呪縛から解放されたきっかけについて、つづってもらいました。

【漫画】女性の私 好きになったのは、女の子だった…「ごめんね」で伝わった恋愛感情

「愛を理解しない」のは悪いこと?
「誰かを愛せない自分は、欠陥品なんだ」。私は、そんな思いを抱えて生きてきた。なぜなら、他人に恋愛感情も性的欲求も抱かない「アセクシュアル」だからだ。

恋愛の意味でも、友愛の意味でも、私はリアルの誰も愛せない。そのことに気がついたのは、大人になってしばらくしてからだった。

恋愛感情を向けられても、友人から好ましく思われても、それゆえに私を気遣ってくれる人々のことが、1ミリもわからなかった。同じ感情を返そうにも、そのような思いは私の中にはないのだった。何で、返せないのだろう。そう思って苦しんだ。

もちろん、日常生活において何かいいことをされたら嬉しいしお礼はする。仕事上では助けてもらったらお礼はする。決して他人と断絶したいわけではない。恋愛、友愛問わず、特定の人と親しくすることなく、誰とでも私にとって適切な距離で関わりたいだけなのだ。

世の中には、愛は素晴らしいものだとする物語があふれている。漫画はもちろん、私が愛読する「ハリー・ポッター」シリーズも同じだ。

闇の魔法使いで、悪役のヴォルデモ―ト卿(きょう)は、若い頃から魔法の才能あふれる優秀な人物として描かれる。しかし主人公ハリー・ポッターとの決闘で、「愛を理解しない」ことにより、敗北してしまう。

作中でヴォルデモート卿は、自らを魔法の世界へと導いた人物・ダンブルドアから「愛を理解しない」と酷評されていた。愛の力が巨悪を打ち負かす。なるほど、物語的にはハッピーエンドかもしれない。

しかし「愛を理解しない」ことは、そんなに悪いことだろうか。

恋愛の呪縛を解いた、一人の女性
誰かを愛して、愛されなければならない。そんな価値観は、私を苦しめた。

誰のことも好きじゃないのに、そうしなければならないと思っていたから、バレンタインデーに好きでもない男の子にチョコをあげた。そうしなければならないのなら、やるしかないと思っていた。迎合できない価値観に合わせなければならないのは、しんどかった。

恋愛の形をした呪縛は、大学時代、同性である一人の女性との出会いがきっかけで、緩やかに解けていった。彼女は、私に告白してくれた人だった。

「同じ感情を返せない」。誠実でありたいと思い、私はそう伝えた。すると彼女は、アセクシュアルや、他者に恋愛的に惹(ひ)かれない「アロマンティック」といった概念について教えてくれた。

恋愛しなくてもいい。そうやって緩やかに呪縛が解けていった。なのに、友愛の形をした呪縛は、つい最近まで、私を息苦しくさせていた。

友愛に悩んで手に取ったコミックエッセイ
今年初め、確定申告を頑張るべき時期に、私はちっとも手をつけられなかった。とある理由で、友人関係に疲弊していたのだ。だから、日々仕事をするので精一杯だった。

ある日、限界を超えた私は、文章を書いたり本を読んだりしながら、ひたすら心の回復に努めた。そのとき、一冊のコミックエッセイを手に取った。

『迷走戦士・永田カビ』。作者の漫画家・永田カビさんは恋愛経験がない。しかし、やがて結婚や「愛し愛されること」に憧れる。マッチングアプリに登録したり、自らのセクシュアリティーと向き合ったりする中で、「人とパートナーになること」について考えていく。

自分が何を欲しているのか、何が必要なのか。答えを見つけようと、ボロボロになりながらも進むことをやめない永田さんは、まさに「戦士」そのものだ。

愛し愛されることは「必修課目」じゃない
この本を読んで、私は気付いた。「誰かを愛し愛される」必要なんてなかったんじゃないか。

永田さんは、「愛し愛されるまでにはハードルがあるのではないか」と仮定し、考えていく。そして読者から届いたメールを読み、「ハードルを飛び越える必要なんてなかったんじゃないか」と気付く。

その過程に触れたとき、私も「ああ、そうか、クリアしなければならない何かなんてなかったのだ」と、肩の力が抜けた。

もちろん、「パートナー間の愛」も友愛も素晴らしいことだろう。でも、それがない人は、人間として大切なものが欠落しているのだろうか。それは違う。自分を自分で愛し、大事にすることができたらそれでいいのだと思う。

私は、恋愛の意味でも友愛の意味でも、誰かを愛し、誰かから愛されることが人生の「必修科目」だと思っていた。だから、向けられる好意を少しでも嬉しいと思うなら、返さなければならないと思いつめてしまったのだ。

相手のためを思ってのことではない。そういうマニュアルがあると考えていたのだ。人生には必修単位なんてないのに。

自分で自分を大事にできるようになりたい
永田さんは、『迷走戦士・永田カビ』の中で、愛し愛されることで、自分の中の何かを埋めようとしていたことに気付く。そして「それって、おかしいというか、リスクしか無くないか……?」と思うようになる。

私も永田さん同様、「友人」によって自らの中の何かを埋めようとしていたのだ。その姿勢は、少なくとも私の生き方にはそぐわない。恋愛や友愛に、必ずしも重きを置かないからだ。

私は、人生に「正解」しようとしていたのかもしれない。誰かを愛せない人生は、不正解のように思えていたから。でも、そんなことはない。たとえ私が誰も愛せなくても、それは糾弾されるべきことではない。

自分で自分を大事にできれば、誰かを愛し愛されることは、人生の必修科目ではなくなるのかもしれない。愛し愛されなくても、生きていていいのだ。そうやって、私が私を認められたら、それでいいのかもしれない。

自分を縛っていた呪いが一つ、解けようとしている。

「誰かを愛さなければならない」と思う必要はない。愛したい人は愛したらいいし、そうでない人は愛さなくてもいい。愛だけが、目指すべき究極の目標ではないのだから。

それができればこそ、本当の意味で、多様性を認めあうことになるんじゃないか。

このニュースに関するつぶやき

  • 今の時代は多様性があっていいと思う。相手に共感する能力と慈しみの気持ちがある方が互いに関わりやすいよね〜。
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  • 愛=恋愛と考えるアホが多過ぎ。どんなものに対しても愛はある、お母さんへの愛、ペットへの愛、好きな花への愛、自分が大切と思うもの全てに愛がある
    • イイネ!76
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