出産の喜びから一転、直面した「早産」の現実 NICUの優しさが心を支えてくれた

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2021年05月11日 16:00  AERA dot.

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写真江利川さんは2006年5月に双子の姉妹を出産した。写真は同年9月、生後4カ月の時の1枚。すやすや眠る左側の子が長女のゆうちゃん、あくびをしているのが次女のぴぴちゃん/江利川さん提供
江利川さんは2006年5月に双子の姉妹を出産した。写真は同年9月、生後4カ月の時の1枚。すやすや眠る左側の子が長女のゆうちゃん、あくびをしているのが次女のぴぴちゃん/江利川さん提供
「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害を持つ子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出会った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。

【写真】筆者の江利川ちひろさん

■初めて知った早産のリスク

 早産は、子どもが小さく生まれるということだけでなく、子どもに病気や障害があらわれるリスクがあるということを、知らない人は少なからずいると思います。私もその一人でした。

 我が家の双子の娘の出産予定日は2006年8月でしたが、大幅に早まり、5月に生まれてきました。早産の影響で、長女は寝たきりの生活を送ることになり、その後の私と夫の人生は大きく変わりました。今回は今年で15歳となる娘たちが、妊娠八カ月で生まれた時の話です。

 5月は双子の娘の誕生月です。

 2006年のその日、早朝に夫と過去最大級のけんかをしました。私は切迫早産で入院中で、午後から院内で行われる両親学級に夫とともに参加予定でしたが、夫の会社でアクシデントが起き、行かれなくなったと言われたのです。この病院では両親学級を受講しないと、立ち会い出産ができないという決まりがありました。

私「参加しないと立ち会えないって何度も言ったよね?」

夫「わざとじゃないし、今日はたとえ出産でも行かれない」

■陣痛が始まる

 電話を切ってからも私のイライラは治まらず。

 後から思えば、この時すでにおなかの痛みはあったのですが、怒りのピークと重なり、大して気にはなりませんでした。けれども、その数時間後の診察で、子宮口が3.5cmも開いているとわかったのです。

「うーん、とにかくゆっくりしてね。このままだとすぐに生まれちゃうよ。最低でも30週末を目標にしよう」

 おなかの張りと赤ちゃんの状態を調べるために、分娩監視装置をつけました。しばらくすると頻繁におなかや腰が痛むことに気付き、ナースコールをするべきか迷っていると、助産師さんが来ました。

「陣痛が2分間隔なの。今、先生コールしてるから」

「えっ?」と言おうとした瞬間、大きな張りが来ました。痛みを伴って長く収縮する、今までにない感覚でした。

「とりあえず陣痛室に移ろう。ご主人電話つながるかな?」

 ……そうだ、けんか中だった。

 直後にドクターから詳しい説明を受けました。

「赤ちゃんが小さいので、今、NICU(新生児集中治療室)と調整していて、保育器の準備ができたら生まれることになります。自然分娩を希望されていたけれど、2番目の子が予想よりも小さかった場合、最初の子の陣痛に耐えられないかもしれない。2番目の赤ちゃん、すでにちょっと苦しそうなんだよね。今は硬膜外麻酔の予定だけれど、もっと状態が悪くなったら、早くに取り出せる全身麻酔に切り替えます。全麻は赤ちゃんも眠ってしまってリスクもあるんだけど、何より命を優先します。良いですね?」

 推定体重を出そうとすると、一人目はすでに頭が産道近くに降りているため計測できず、二人目は1400gと言われました。夫はもう病院のすぐ近くまで来ていましたが、これ以上は危険とのことで、会えないままオペ室へ向かいました。

■ここを出る時にはパパとママに

 オペ室の中では誰もが慌ただしく動いていました。

 麻酔が効いて帝王切開が始まる直前、スタッフのひとりが私のところに来て、夫と母と義母が手術待合室に到着したと教えてくれました。

「パパもおばあちゃんたちも外で待っているからね。ママ、頑張ろうね」

 ……そうか、ここを出る時にはもう、ゆうくんはパパで私はママなんだ。しかもゆうくん、出産でも無理と言っていたのに、来れたし(笑)。

 思わず笑いそうになりましたが、オペ室の張りつめた空気から、笑顔を飲み込んでしまいました。

「ずいぶん降りちゃってるなぁ。足の間に何か挟まっているような感じする? もし、押されるような感覚があったらすぐに教えてね。とにかく急ごう」

 わずか数分で長女が生まれました。その瞬間、「にゃあ〜」と一言だけ聞こえましたが、すぐに泣き声が消えました。

■「今は対面する余裕がない」

「もうひとり出るよ」

 生まれたはずなのに、声がしませんでした。

 状況を教えてほしくて周囲を見渡しましたが、産科のドクターも助産師さんも顔が真剣で、全員の視線が次女だけに向けられていて、話しかけられる雰囲気ではありませんでした。

「二人とも女の子だよ。妹さんが苦しそうで、今は対面する余裕がなくてね。たぶん1400も無いと思うから、帝王切開で良かったよ。お姉ちゃんより先にオペ室から出して、このままNICUでお預かりしますね」

「お父さん呼んで!」「エレベーター止めてって伝えて」

 遠くでは大勢の大人の声が響いていましたが、子どもたちの声は全く聞こえませんでした。

 赤ちゃんはどうなってしまうのだろう。

 ドラマで見たことのあるシーンでした。

 翌日、子どもたちの主治医となった「ター先生」が病室に来て、現状の説明をしてくれました。

「おふたりとも安定して過ごされています。まだ人工呼吸器を使っていますが、お姉ちゃんは数日で外れそうなくらい元気です。この状態なら恐らくもう命の危険はありません。妹さんは少し苦しい状態が続いて心配しましたが、今は落ち着いています」

■命の危険は10%、麻痺が残る確率は20%

 出産直後には夫がター先生から説明を受けており、その時点では命の危険が10%、身体に麻痺が残る確率が20%と言われていました。

 夫が「すいぶん高い確率ですね」と言うと、先生は穏やかに「5人に4人は元気に育ちますよ」と答え、夫は「でもうちは双子ですが」と言って笑ったと聞きました。もちろん、我が家の子どもたちは4人に入ることを前提に。

 ター先生の表情から前日の不安は消え、私は早く赤ちゃんたちに会いたくなりました。

 母親が初めて早産児に会う時は、そのメンタルを考えて、なるべく家族が来られる時間に合わせて調整するそうです。

■「ごめんね」しか言えなかった

 多忙な夫はこの日は夕方しか時間が空かず、私は朝からそわそわしながら来院を待っていました。おなかの傷は痛みましたが、車椅子に乗れなければNICUに行くこともできず、懸命に歩く練習をしながら「(赤ちゃんに会えない)この状態の方がよっぽどメンタルに悪いよ」と思っていました。

 でも、実際に小さな我が子たちを見ると、言われていた意味がよくわかりました。二人とも人工呼吸器等のたくさんの管につながれ、掌に乗りそうな大きさしかなく、次女のスネは私の人差し指と同じ太さでした。

 身体を拭くだけで疲れてしまうので、上半身と下半身を1日置きに清拭すること、自力でミルクが飲めるまで2カ月以上かかること、それまでは鼻から入れたチューブを使い、1日1ccからミルクを流し始めること……。どの説明を聞いても「ごめんね」しか言えず、そのたびに涙が止まらなくなりました。

■NICUの優しさと支え

「苦しそうに見えるかもしれませんが、この子たちはこの状態が一番快適なんですよ」という、ター先生の言葉だけが救いでした。

 NICUはとても優しい空間で、ドクターや看護師さんたちが他愛ない世間話も交えながら、常に家族の不安に寄り添い、包み込んでくれるようなところでした。

 激務の中、子どもたちの似顔絵を描いてくれたり、温かいコメントを毎日カードにして渡してくれたり。

 当時は自分のことで精一杯で、周りを見る余裕はありませんでしたが、何があっても逃げ出さずに面会に通えたのは、スタッフの方々の大きな支えがあったからだと思います。

 子どもに病気が見つかった時、出会うドクターによって、その後の家族のQOLは大きく変わります。NICUからずっと我が家に寄り添い続けて下さる先生方に、感謝の気持ちでいっぱいです。

〇江利川ちひろ/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ

※AERAオンライン限定記事

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