ドラえもんのタイムマシンに乗って、僕は日本にやってきた

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2021年05月12日 07:11  @IT

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写真子どものころのタケオさん(後列)とご家族
子どものころのタケオさん(後列)とご家族

 国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回は、ベトナムのオフショア企業「New IT」を経営し、越境HRプラットフォーム「Linkus」で、外国人の就業や雇用をサポートする活動もしているNguyen Manh Hung(グエン・マン・フン)さんに登場いただく。自らを「タケオ」と名乗るグエンさんの日本との出会いは、1冊の日本の漫画だった。



【その他の写真】



 聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。



●私の名前はマン・フン。タケオと呼んでください



阿部川“Go”久広(以降、阿部川) お名前は、グエンさんとお呼びすればいいでしょうか。



Nguyen Manh Hung(グエン・マン・フン、以降タケオさん) タケオと呼んでください。昔ベトナムでは、日本や韓国のように漢字も使われていました。19世紀からはフランスの影響を受けてアルファベットになったのですが、ほとんどのベトナム語は、漢字と対になっています。私の名前、Nguyen Manh Hung(グエン・マン・フン)は漢字では阮孟雄です(チャットで漢字を書いてくれる)。日本語で読むと「ゲンタケオ」なので、日本の方々は皆、私のことをタケオと呼びます。



阿部川 なるほど。では、心置きなくタケオさんと呼ばせていただきます(笑)。生まれはベトナムのどちらでしょうか。



タケオさん ハノイの中心部から17キロほど北部で生まれ、高校までそこで育ちました。ハノイの中心部まではバスで1時間程度です。



阿部川 どんなお子さんでしたか。



タケオさん 甘えっ子だったと思います。私は子どものころから勉強が好きで成績も良かったので、その地域の成績優秀者が集まる小学校に通っていました。ただ、その学校は家から6キロくらい離れていたので、低学年のころから自転車で通っていました。



阿部川 どんな教科が得意だったのですか。



タケオさん 数学と物理です。両親は中学校の先生で、数学と物理を教えていました。中学のときに、たまたま父の部屋である本を見つけました。ベトナム語の本ですが、日本語だと……黄金の鍵、Golden Keyです。恐らく世界を開くための鍵といったシリーズで、数学、物理、科学の3冊がありました。



 その本には、日常の生活の中で仕組みを理解できなかったことが、具体的に、しかも面白く書いてあって、いろいろなことが納得できました。そのときから、数学や物理の世界が好きになったのだと思います。



阿部川 中学生のときの1日を教えてください。



タケオさん 中学校も自宅から少し離れていたので、自転車で通っていました。朝早く家を出て、学校に着いたら午前中は勉強です。ランチは先生が作ってくれて、友達と一緒に食べました。それから全員で少し昼寝をして、午後はまた勉強です。上の学校に行くための国家試験があるので、勉強中心の生活でした。



 でも、スポーツもよくしました。先生が「勉強ばかりしていると体が弱くなる」というので、15時以降は友達と校庭でサッカーなどをしました。



●晴れの日も、雨の日も、この長い通学路が私の友達だった



阿部川 高校生のころは、受験のために学習塾にも通っていたのですね。



タケオさん はい。受験を決めた高校2年生のときから、週に4日、自転車で通いました。文学的に言うと「晴れの日も、雨の日も、この長い通学路が私の友達だった」です(笑)。雨季もありますから、結構エネルギーが必要でした。



 午前中は学校で授業。それが終わるとすぐに、昼食は取らずに自転車のペダルを漕(こ)いで25キロの道のりを移動。塾に着いたらすぐに勉強。勉強が終わったらパンをかじりながら自転車を漕いで帰路に就く、といった感じでした。



 ベトナムではこれが、受験生の一般的な青春でした。勉強して大学に入らなければ、ある意味社会で勝てない、そのようにベトナム全体が信じていた時代ですから。私も当然のように、このような生活をしていました。



阿部川 一所懸命勉強なさったのですね。ところでPCを使い始めたのはいつごろからですか。



タケオさん 中学からです。トップクラスの中学では、ITの授業もありました。「Windows 3.1」の時代です。当時PCはとても高価で、個人で買えるようなものではありませんでしたが、学校にはありました。



 当時の私はPCの概念すら理解していなくて、驚きの連続でした。ただ、ビデオや音楽などは扱えない時代で、Pascalやアルゴリズムの勉強ばかりだったので、あまり面白いとは感じていませんでした。



阿部川 楽しくはなかった(笑)。



タケオさん 最初は。でも、やっていくうちにだんだん数学とつながりがあることが理解できてきて、面白くなりました。



阿部川 なるほど。そしてハノイ工科大学の電気通信工学科に進学。具体的にはどのようなことを学ばれましたか。



タケオさん 電気通信がベトナムではやっていて、特にネットワークやモバイルテクノロジーが躍進していた時期だったので、それに興味があって入学しました。まだ「iPhone」のようなスマートフォンはなくて、SMSでメッセージを送る仕組みや、なぜここの電波が強くてこちらは弱いのかなどの仕組みを勉強しました。



阿部川 当時、このような仕事ができるようになりたいとか、エンジニアになりたいなど、具体的に考えていたことはありましたか。



タケオさん 大学4年くらいのときに、ITの道に進みたいと思いました。当時既にインターネットが普及していて、Webサイトもたくさんありました。「そういえば、ITを小さいときから、いろいろ勉強してきたなあ」と、昔のことを思い出したのです。それまで勉強したことももちろん好きでしたが、自分はITをもっと勉強したかったのだと遅まきながら実感したのです。もちろん電気通信の中にもデータベース設計のようなIT関連の教科もありますから、それからは、ITの科目を中心に勉強しました。



●ドラえもんの想像力のすごさに憧れた



阿部川 ところでタケオさんはドラえもんが大好きなのですよね。加えて日本のアニメも大好きだとか。何歳くらいから日本の漫画やアニメを好きになったのですか。



タケオさん 話が少し長くなるのですが……私が子どものころ、ベトナムはとても貧乏な国でした。両親は先生として働いていましたが、それだけでは生活費が足りない。でもそれは普通で、どの家でも副業をしていました。私の家では、若いころに背中を手術して腰や右足の弱かった父が、家族のために毎日頑張って洋服作りもしていました。そんな父の姿を見て感動していました。



 小学生のころは、遊び時間はほとんどありませんでした。父母が忙しかったので、手伝ったり、家事をしたりしていたからです。そのころ実は「おもちゃ」という単語を知りませんでした。遊び道具は自分で作っていましたから。



 中学生になったころからベトナム全体の経済が発展してきましたので、少しだけ生活が楽になりました。そんなときに、生まれて初めてドラえもんを見て、「これは超面白いなあ」と思いました。日本人の想像力のすごさを感じました。そして、ドラえもんをきっかけとして、日本の社会や文化に興味を持つようになりました。



阿部川 漫画は日本文化の誇りです。この連載でいろいろな国の出身者にお話を伺ってきましたが、どなたもドラえもんとドラゴンボールは必ず読んでくれていて、うれしく思います。でも、漫画家になろうとは思わなかったのですか。



タケオさん 絵もできますが、俳句や詩の方が好きで、今でもベトナム語で書いています。生活とか、友情とか、恋とか、単純な日常のこととか、社会問題とか。書くことはストレスの解消にもなっています。全部集めたら、ちょっとした本にはなるかなあ。



阿部川 ベトナム語の俳句なんて、カッコ良過ぎますよ。



●ドラえもんのタイムマシンに乗って日本に来た



阿部川 大学を卒業してからは、何をなさっていたのですか。



タケオさん 卒業前に東京のIT企業の面接をオンラインで受けて、代表との対面面接を経て、採用通知をもらいました。2006年6月にハノイ工科大学を卒業し、8月には来日しました。それからずっと日本に住んでいます。



 日本に来たのは、実はドラえもんの影響です。彼のオープンな考え方といいますか、そこから影響を受けたことが大きいのです。ドラえもんを読んでいるうちに、「私はまだまだ若いのだから、世界にどんどん出ていこう」という気持ちでいっぱいになりました。



 ではなぜ日本を選んだのかというと、よく「日本はベトナムよりも100年近く先を行っている国だ」といわれています。ですから、日本に行くということは、ドラえもんのタイムマシンに乗って、100年先の未来に行くのと同じことではないかと考えたのです。そう思ったらワクワクしてきて、いてもたってもいられませんでした。



阿部川 どんなお仕事をされていたのですか。



タケオさん Webのシステム開発です。大学を卒業してから初めての仕事でしたが、大学でさまざまなプログラミング言語を学んできたので、すぐに対応できました。



 1年目は、英語で仕事をしました。英語はベトナムにいるときから教科として学んできていましたので。日本語は、来日してから独学で勉強しました。



 英語で仕事をしながら日本そのものの勉強をしているうちに、「自分の目的は仕事だけではない。せっかくだから日本でしっかり暮らしてみたい、もっといろいろなところの勉強もしたい」と思うようになりました。もちろん生活がありますから仕事をしないといけないのですが、それ以上に、もっと勉強したいと思うようになりました。



阿部川 それで、豊橋技術科学大学に入学したのですね。



タケオさん 研究生として1年、修士課程で2年通いました。専攻は自然言語処理です。ご存じかも知れませんが、ドラえもんのお話の中に「ほんやくコンニャク」という道具があります。日本に来たばかりのころは、日本語が全く分からず生活面でも困っていましたので、「ほんやくコンニャクがあればいいなあ」と、よく思っていました。



 きっと私と同じように思う人はたくさんいるだろうし、将来的にはロボットやAIが人間と同等にコミュニケーションができるようになるだろうと考えていました。ですから、その2つが結び付く、情報工学における自然言語処理を選んだのです。



阿部川 素晴らしい動機ですね。



タケオさん いえいえ、ドラえもんのおかげです(笑)。



 晴れの日も雨の日も自転車のペダルを漕ぎ、勉強にまい進したタケオさんの青春。2021年5月11日掲載の後編では、大人になったタケオさんが日本で起業した理由や、ふるさとベトナムへの思い、を伺った。


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