武田鉄矢 妻に言われた「家に金八はいらない!」嫌われない”老いの極意”とは?

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2021年05月14日 11:30  AERA dot.

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写真たけだ・てつや/1949(昭和24)年、福岡県生まれ。(写真/加藤夏子)
たけだ・てつや/1949(昭和24)年、福岡県生まれ。(写真/加藤夏子)
「贈る言葉」「幸せの黄色いハンカチ」「3年B組金八先生」と音楽から映画、ドラマまで、知らない人はいないほど幅広く活躍する武田鉄矢さん。現在発売中の朝日脳活マガジン『ハレやか6月号』では、芸能界随一の勉強家でもある武田さんに「老い」への思いを伺いました。

【お宝写真】25歳の武田鉄矢の長髪ショットはこちら

*  *  *
 60歳を境に、いい年寄り、値打ちのある年寄りになりたいという野望が芽生えてきました。私の考えるいい年寄りとは、アニメの「日本昔ばなし」に出てくるおじいさんとおばあさんです。「このおじいさんは絶対に人をだましたりしないだろう」「このおばあさんが握ったおにぎりは絶対においしいに違いない」と思えるような人たちです。

 でも、年を重ねれば誰もがいい年寄りになれるわけではありません。少しでも油断しようものなら、鶴もスズメも寄ってこない、扱いにくい年寄りになってしまうから、やっかいです。

 私の故郷、博多には「博多祇園山笠」という伝統的なお祭りがあります。山車(だし)をかいて(肩に担いで)市内を走り抜け、その速さを競うという勇猛なお祭りで、各町内には長老と呼ばれるトップがおります。その下に取締や衛生、総務などそれぞれ役職を与えられた人がおり、町一番の元気もんが赤手拭(※)といった感じで組織されています。
 
 長老は町内でも尊敬されるいい年寄りです。長老が亡くなると、次の山笠の練習では山車をかいた若い衆が長老の家の前で足を止め、山笠を揺らしながら「博多祝い唄」を大合唱。故人を送ります。そしていい年寄りは、故郷の土にかえっていく。なんとも粋な風習じゃないですか。
 
 私は、そんな故郷の博多を家出同然で飛び出して、芸能の世界に入ったのは24歳のころです。海援隊というフォークバンドのグループを組んで紅白歌合戦にも出場しました。「3年B組金八先生」などドラマでもヒット作にも恵まれ、この年になっても、芸能活動を続けています。
 
 ろうそくに灯(とも)した火のように小さなラッキーチャンスからはじまって、「いつ吹き消されても文句はいえないぞ」という覚悟で歩んできた芸能人生です。

■夫婦は2回結婚することで生涯添い遂げられる
 
 50歳のころ、自分が「わからぬこと」をそのままにせず、大学ノートに書き留めていくということをはじめました。拙著『老いと学びの極意』のなかでも触れていますが、「分数の割り算は、なぜ割るほうの分子と分母をひっくり返すのか?」といった小学4年生のころに感じた疑問から始まって、夫婦仲に至るまで、わからぬことを知ったかぶりせずに解を求めていこうというものです。
 
 大学ノートにコツコツと書く作業は、夜空に星を描くのと似ています。いくつもの星が描かれ、60歳のころになると柄杓(ひしゃく)や白鳥、子熊の形に連なって星座が見えはじめるようになりました。
 
 奥さんとの関係も60歳くらいまでは、正直言ってハラワタが煮えくり返るような感情を持ったことが何度もありました(笑)。ところが「彼女の主張にも一理ある」と、少しずつ思えるようになりました。
 
 30歳のときに「金八先生」のドラマが始まって、すっかり役に入り込んでいた私は、家でも「金八」を演じてしまっていたんです。家でテレビを見ながら、「アラブ問題について考えてみよう!」とか、教師口調で言われたら彼女もたまったものではありませんよ(笑)。「母に捧げるバラード」のヒット以降は、家計的に苦しい時期も続き、ようやく収入が安定したと思ったら、今度は家に金八がやってきたわけですから。
 
 ある日、とうとう爆発して「うるさい!」って怒鳴られました。そこで私も反省すればよかったのですが、「なんて失礼な!」と感情的になり大げんか。そんなことがしばしば起こりました。
 
 とある心理学の本に、「1回だけの結婚では、本当の夫婦にはなれない」といったニュアンスのことが書かれていました。同じ人と2回結婚しなければ、一生添い遂げることはできないという意味です。私たちもようやく数年前に2回目の結婚を果たしました。もちろん、1回目のように式を挙げお祝いをするわけではなく、2回目は静かで穏やかな、ちょっとした瞬間です。
 
 それは、老後について2人で話し合っていたとき。

「この先、お互いに年を重ねていくけど、あまり先のことを考えすぎないようにしよう」。そう私が提案すると、彼女はうなずいて同意してくれました。年をとってから、あまり先のことばかり考えてしまうと不安になる。これは誰だって同じです。だから、「今見えているところだけを目標にして生きていこう」と話をして、お互いに握手を交わしました。
 
 この瞬間こそが、まさに私たち夫婦にとっての2回目の結婚だったと思っています。

■コロナ禍に新しいこと3つに挑戦してみた
 
 62歳のときに心臓の大動脈弁を置き換える大手術をして以来、食事の健康管理は奥さんの指導に従って、食物繊維が豊富な玄米や野菜などが中心です。たまにたんぱく質もとりたいと思って、「私よりも10歳以上年上の加山雄三さんは肉ばっかり食べているぞ」と、抵抗を試みるも「あなたとは内臓のつくりが違うから」とピシャリ。
 
 頭の健康のためには、本を読んだり、物を書いたり、あとはクイズ番組を見たり、脳トレなんかもけっこうやっています。
 
 あと効果的なのは、“すぐ動く”こと。奥さんから「もうパジャマに着替えたほうがいいんじゃない?」と言われたら、面倒くさがらずパッと手足を動かして着替える。脳や筋肉の瞬発力を保つのは、老化防止にも良いと自分を納得させています。
 
 65歳から合気道を始め、月謝の払いもよかったおかげで(笑い)、3段に昇進しました。ただ、コロナ禍で道場が休みになってしまったため、3つの運動に挑戦しました。1つは足腰の鍛錬に縄跳びを1日100回。2つ目は、膝を柔らかく動かすためにけん玉。けん玉もずいぶん上達しました。

 3つ目はスティックボードといって、スケートボードのような板の前後に1つずつの車輪がついたもの。これは合気道にも必要な丹田が鍛えられます。イルカの立ち泳ぎのように腰を振って前に進むんですが、これがなかなか難しいんです。
 
 過去にこだわらず、自分の考えにも固執しない。そしてあまり先のことばかり考えずに、今できることをやってみる。そんな一つひとつの積み重ねが、いい年寄りに成長していくコツではないでしょうか。

※赤手拭(あかてのごい):赤一色で染められた山笠の役職を表す手拭い。若手を統率する役目。

(構成・文/山下 隆)

たけだ・てつや/1949(昭和24)年、福岡県生まれ。大学在学中から海援隊として音楽で活躍。「母に捧げるバラード」「贈る言葉」など大ヒット曲を生み出す。俳優としても映画「幸せの黄色いハンカチ」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞するなど才能を発揮。主演ドラマ「3年B組金八先生」は、日本の学園ドラマの金字塔とも呼ばれる。漫画『お〜い!竜馬』(小学館)の原作を担当するなど、著書も多数。古希を超えても第一線で活躍し続ける秘訣をつづった『老いと学びの極意団塊世代の人生ノート』(文春新書)発売中。

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