89歳の靴磨きおばあちゃん、人が減った東京・新橋でお客さんを待ち続ける理由

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2021年05月16日 13:00  週刊女性PRIME

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写真いつもニコニコとした笑顔で迎えてくれる。新橋駅の名物おばあちゃん、中村幸子さん
いつもニコニコとした笑顔で迎えてくれる。新橋駅の名物おばあちゃん、中村幸子さん

「80歳を過ぎてようやく靴磨きの仕事が好きになった。どんな仕事でも“嫌だな、大変だな”と思ったら、お客さんはいらっしゃらない。楽しいって思うとお客さんが来る。仕事は好き、楽しいと思うことが大事ね」

 そう話すのはJR新橋駅前で50年もの間、路上靴磨きを続けてきた中村幸子さん(89)。

 雑踏を見つめながらその一角に小さく座り込み、靴を磨きながら変わりゆく街と人を見つめてきた。

露天商売の代名詞だった「靴磨き」

「路上靴磨き」とは露天商売のひとつ。昭和50年代ごろまで舗装されていない道路も多く、土で靴が汚れやすかったため、路上靴磨きはなくてはならない商売だった。

 終戦直後、戦災孤児が東京駅や上野、新橋など駅のガード下で仕事として靴磨きをしていた光景をイメージする人もいるだろう。映画や歌でもたびたび登場し、昨年亡くなった女優で歌手の宮城まり子さんの『ガード下の靴みがき』は大ヒットした。

 靴磨きは戦災孤児や女性たちの多くが選ぶ仕事だった。

 新橋駅にもかつては何十人も路上靴磨きが集まり、所せましと並んでいたが、今は中村さんただ1人。

 路上靴磨きは行政への届け出制だが、現在は新規で受け付けていないため、もはや消えゆく商売なのだ。

 中村さんは客席としても使う手押しのカートに商売道具を詰め、月曜から金曜まで足立区の自宅から約1時間かけて新橋まで通っている。

 店を開くのは同駅SL広場の一画。時折、常連らしき人々が通りかかっては気さくに声をかけていく。

 広場に中村さんがいないと、近くの交番に声をかける人がいるほどの人気ぶりなのだ。

「(休み明けに)“おばさんどうしちゃったの?”“死んじゃったんじゃないよね”って聞きに来たお客さんがいたよ、っておまわりさんが教えてくれるの」

 と中村さんは笑う。

“いないと困るよ”ってみなさんに認めてもらえてるから、一生懸命やらないとね

 そんなことを話していると早速、お客さんがやってきた。

 スーツ姿の男性が中村さんの前の椅子に座り、右足を足置き場に差し出した。

 すると中村さんは布やブラシで軽い汚れを手早く落とす。次に6種類ほどの靴墨の中からお客さんの靴の色に合うものを直接指にとり、丁寧に靴全体に塗り込むようにのばしていく。

 最後に布で丁寧にこすり、光沢を出すまでが一連の流れ。両足合わせてわずか15分ほどですっかりきれいになった。

 すべて手作業。指先がカットされている手袋からのぞく真っ黒な指先で、靴を美しくよみがえらせる魔法をかける。

「お客さんの靴をきれいにするため、私が汚くならないと靴磨きじゃないの。やたらにこすって光らせればいいってわけじゃない」

 そんな理念を持つ。

 心のこもった仕事ぶりにファンも多く、この日も気がつけば行列ができていた。

 関西から来た、という60代の男性客は出張のたびに中村さんの元を訪れる常連の1人。

「自分でも道具を持って磨いていますが、どうもうまくいかない。プロにやってもらうと違うね」

 と中村さんが磨き上げた靴を見ながら頬を緩める。そして「靴は大事ですよ」と強調する。

「人に会う前に靴をきれいにしたかったんです。靴で人柄も見えてきますからね。それに靴は手入れをしておくと長持ちするんですよ」(男性客)

 すると中村さんも、

「“父親がはいていた靴をはいている”ってお客さんも多いの。そういう方のためにも一生懸命磨いている。“あなたも息子さんにはかせなさい、大事にしなさいね”って」

靴磨きで見えた“人々の変化”

 靴磨き職人たちは働く人々を足元から支えてきた。

 現在では主に会社員たちが行き交う新橋だが、かつては銀座に繰り出す若者たちもあふれていたという。中村さんらは靴を磨きながら彼らのおしゃれと恋路を応援してきた。

「高度経済成長期のころには毎日午後5時を過ぎると女の子に会いに行く前に靴をきれいにしようっていう人がたくさんいたわね。銀座に繰り出す若者たちはみんなカッコつけたかったんでしょう」

 まばゆいネオンと人の波であふれていた時代当時を懐かしみ、目を細める。

 しかし、現在では銀座に行く前やデート前だからと靴を磨く人はほとんどいない。

「お客さんは営業職や仕事中の人が中心」

 バブル崩壊のときは先行きが見えず、不安そうな表情を浮かべた会社員たちの靴を磨いた。東日本大震災では接客中に激しい揺れに遭遇。計画停電の暗い街でも変わらずに駅前の片隅に座り続けた。

 商売はさまざまな社会情勢に左右されてきたが、このコロナ禍は大打撃だった。

「新橋から人がいなくなった」

 リモートワークが進んだため、メイン客層となる30〜50代の男性客はめっきり減ってしまったのだ。

 1日に100人ものお客さんの靴を磨いたこともあったというが、近年は多くて30人。一ケタの日もある。

 最近、実感しているのは昔と比べて「人々の足が速くなってきた」ことだ。

「昔はね、お客さん同士でも1時間でも2時間でも立っておしゃべりしてたね」

 しかし、今は磨き終われば会話もそこそこ、すぐに帰っていく人ばかり。

「みんな忙しくなったのか、早く家に帰らなきゃいけない人も多いんでしょうね」

 足早に駅に向かっていく人の流れを眺めながら寂しそうにつぶやいた。

家出同然で上京、ドラマのような半生

 そんな中村さんの半生も波乱に満ちていた。

 1931年(昭和6年)警察官の父と看護師の母のもとに、6人きょうだいの3番目として静岡県浜松市で生まれた。

「戦争中は父やきょうだいを残し、母と2人で母方の親戚の家に疎開したの……」

 寂しかった幼少期を思い出し、眉間にしわを寄せた。

 14歳で終戦を迎え、18歳でヤマハ(日本楽器)に入社。東京に仕事へ行った父の話を聞くたびに、東京への憧れを強く抱くようになった。

「“東京っていうのはお前たちが行くところじゃない、お金がないとやっていけない”とよく言われました。でもそんなことは耳に入ってなかった。とにかく東京が見たかったんです」

 '50年(昭和25年)、19歳の中村さんは小さなトランクと1万円足らずの現金のみを持って東京行きの夜行列車に飛び乗った。家族には内緒で、家出同然の上京だった。

 夫・薫さん(故人)と出会ったのは27歳のとき。

 公園で休んでいたときに数人の酔っぱらいの男にいじめられたところをかばってくれたのがきっかけだった。

「杖をついた男性が、何人もの男を相手に1人で追い払ってくれたの。それが主人。足が悪いのに私をかばってくれて“この人すごい人だな”“優しいな”って」

 まるでドラマのワンシーンのような邂逅。その後、映画などのデートを重ねるうちに、一緒になることを決めた。

 だが、中村さんにとって、薫さんとの結婚は事実婚を含めると3度目。

 1度目は、上京してすぐのころに上野で出会った、17歳年上の人。男性との間に子どもができたが、彼には妻子がおり、道ならぬ恋だった。

 2度目は浅草の靴職人。入籍したが、酒癖が悪く結婚生活は長くは続かなかった。その夫との間にも子どもが1人。2人の幼子を連れての再婚だった。

 薫さんは大学卒業後、都内で税理士をしていた。5歳のころにポリオ(小児まひ)を患って以来足を悪くし杖をついて生活している。さらに、糖尿病のため思うように働けず、収入は安定しない。

 そのため中村さんが大黒柱として家計を支えなくてはならなかった。家族は夫と姑、それに子どもが5人の計8人。中村さんの小さな肩に生活がのしかかっていた。

 靴磨きを始めたのは40歳のときだった。

「果物のリヤカー引きで家族を養っていましたが、肉体労働への限界を感じていたの」

 そんなとき、果物をよく買ってくれていた靴磨きをしていた女性から“子ども5人もいるなら、靴磨きやんなさい。あなたならできるわよ”とアドバイスをもらい、この世界に飛び込んだ。

 中村さんが靴磨きの地として選んだのは新橋。実は薫さんとの思い出の場所なのだ。

「結婚前、夫に新橋に連れて来てもらったことがあった。有楽町やほかの街で靴磨きをしていたこともあるけど、なんか合わないのよね。すぐ新橋に戻ってくるの」

「私を待つ人がいる」と今日も新橋駅前に

 だが、家族のために懸命に働いていた中村さんに悲劇が襲ったのは新橋で靴磨きを始めて11年が過ぎたころ。'82年(昭和57年)、最愛の夫は肺がんのため58歳でこの世を去った。

 以後、昭和から平成、令和と時代は変わっても夫の面影が残る新橋で靴を磨き続ける。

 そんな中村さん自身も70歳のときに直腸がんが判明。緊急手術のあと、約2か月間入院、1か月ほどの自宅療養のすえに新橋へと舞い戻った。

 さらに昨年3月には、仕事帰りに自転車と接触して転倒。左足の骨を2本骨折する大ケガを負った。その際も、入院3か月ほどで仕事復帰したという。

 大病を患ったり、入院をしても仕事を続ける理由について中村さんは「お金のためじゃない」ときっぱり。

「この仕事は人のためにやってる。“あの常連さんが待ってくれてるんじゃないのかな”って、顔が浮かんでくるの」

 待っていてくれるひとりひとりが中村さんの原動力となっている。

「お金はないけど、5人の子どもは健康で病気もしないでいてくれた、孫もひ孫もできたしそれが財産ね」

 今年7月で90歳を迎える中村さんには夢がある。貯金をして、今度は自分のために使うこと。

「1人でもお客さんが来てくれることがありがたい。それにうちにいたらテレビの電気代も水道代もかかるし、一銭にもならないでしょ。だから身体が動かなくなるまでは仕事したい」

 取材の終わりがけ、20代の会社員の男性が中村さんのところに立ち寄った。

「転勤になったので、東京最後の記念にと初めて来たんです」と緊張しながら教えてくれた。

 靴磨き後、感想を尋ねると、晴れやかな表情ではにかんだ。

「普段なら空き時間にはスマホを見ていますが、今はずっとおばあさんの手元を見ていて、作業に見入ってしまいました。それに靴を通して手の感触が伝わってきて心地よい時間でした。やってもらってよかったです」

 そう話し、仕事に戻っていった彼の背中も、希望に満ちていた。

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