アテネ五輪、台湾戦で日本ベンチに迫られた重要な決断。高木豊は中畑清に「わざと負けますか?」と聞いた

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2021年05月17日 11:31  webスポルティーバ

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アテネ五輪・守備走塁コーチ
高木豊が振り返る激闘 後編(中編:キャプテン宮本慎也が背負ったもの>>)

 コーチとして中畑清監督代行を支えながら、アテネ五輪本戦を戦った高木豊。後編では、アマチュア最強チームのキューバとの戦い、よもやの敗戦を喫したオーストラリア戦、メダルを獲るための戦略の迷いなどを語った。

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――五輪では常に高い壁として立ちはだかったキューバ。そんな最大のライバル相手に、日本は予選リーグで初めて勝ちました。同試合では、先発の松坂大輔投手が右腕に打球を受けながら、投げ続けたシーンがありましたね。

高木豊(以下:高木)大輔に「どうだ?」と聞いた時、「ちょっと待ってください」と言ったそぶりから、かなりの痛みがあるんだろうなと思いました。ベンチ裏でユニフォームをめくると、二の腕にボールの縫い目の跡もついていましたからね。なので、ちょっと時間を置こうと思ったんですが、審判には早めの投手交代を促されました。大会の規定で、治療という目的でもなかなか延ばせないみたいで。

 そうこうしていると、大輔が手をグーパーグーパーし始めたんです。「握力はしっかりしているから投げられます」と言うので、「本当に大丈夫か?」と確認したら、「大丈夫です」と言ってマウンドに向かいました。普通は戦闘意欲がなくなるものですが、根性あるなと思いましたよ。

――松坂投手の力投もあってキューバに歴史的な勝利を挙げますが、伏兵のオーストラリアに、予選と準決勝の2度、敗戦を喫してしまいました。日本代表が普通に力を出せれば勝てる相手だったのではないですか?

高木 僕も勝てると思いましたよ。ただ、キューバに関しては大量のデータが手元にくるんですが、オーストラリアのデータはまったくなかったんです。当然、捕手の城島(健司)は「この打者は1球目を打つのか打たないのか?」などを確認したかっただろうし、(宮本)慎也も「足の速い打者は?」などと聞いてきました。

 でも、それに答えられない状況で、僕も「なんでデータがないんだ?」と他のスタッフに聞いたんですよね。そうしたら、「アマチュアのチームの時も負けたことがないし、大丈夫ですよ」と。準備不足であることは事実でした。




――予選が終わった時点で、準決勝でオーストラリアと戦うことが決まりました。やはり意識しましたか?

高木 そうですね。ただ、その前(本大会予選)の台湾戦で、我々は判断を迫られました。3回に3点を取られて、6回終了時点で負けている時、中畑さんに「このまま日本が負けたら、オーストラリアは台湾に抜かれて予選で落ちます。でも、この台湾戦に勝ったら、準決勝で当たるのはオーストラリアです。このまま、わざと負けますか?」という話もしていました。

 準決勝で、もう一度台湾と戦うか、もう一度オーストラリアと戦うか。台湾のデータは豊富にある一方で、オーストラリアのデータはないという状況も踏まえて......みんなでずいぶん悩みましたけど、最終的には中畑さんが「勝ちにいくぞ」と。「全勝で金メダル」と掲げながら、脳梗塞で本大会には来られなかった長嶋茂雄監督の意志を貫こうと。選手たちにも「どっちが戦いやすいか?」と聞きましたが、「オーストラリアと戦いましょうよ」と返ってきました。

 その台湾戦では、先発の上原(浩治)も全身にテーピングをして満身創痍で投げていましたし、そういう姿を見たら上原に負けをつけることは許されないとも思いましたね。そうやってみんなが奮起して、結果としてサヨナラで勝利したんです。

――リベンジを期して臨んだ準決勝のオーストラリア戦は、0−1で惜しくも敗れました。1点ビハインドで迎えた7回に、2死一、三塁という場面がありましたが、そのチャンスを生かせなかったことも痛かったと思います。

高木 打者が藤本(敦士)の時ですよね。マウンドにいたのは、当時の阪神の同僚でもあるジェフ・ウィリアムス。左対左ではすごく打ちにくい投手であることは明らかで、右の代打を出すか否かを迫られる場面でした。

 当時、フリーバッティングではありましたが、相川(亮二)の調子がすごくよかったんです。どこかで使いたいなと思っていて、「ここか?」とも考えましたが、中畑さんは藤本に任せた。結果は内野フライでしたね。

 試合後、中畑さんには「代打は考えなかったですか?」と質問したら、「考えたよ。だけど、ジェフも藤本との対戦は初めてだし、藤本に任せようと思ったんだ」と言っていました。藤本も調子は悪くなかったですし、それを踏まえた判断だったと思うんですけど、あの時に中畑さんの隣にいることができたら、間違いなく「代打いきましょう」と進言していました。でも、首脳陣が3人体制だったから、大野(豊)さんはブルペンにいて、僕は三塁コーチャーズボックスにいた。中畑さんは相談する人がいなかったんです。悔やまれますね。

――相手の先発、クリス・オクスプリング投手を攻略できず、ビハインドでその場面を作ってしまったのも判断を迷わせる原因になりましたね。

高木 オクスプリングは、抑え投手として登録されていたんです。それが先発で出てきたもんだから......奇襲ですよ。その上、データもないので、戦いながら勝機を見つけるしかない。仕掛けも遅くなるし、バッターはどんなボールを投げるか確認するために手を出しづらい。オクスプリングの調子もよく、なかなか打てずに、じりじりした展開が続きました。

 向こうのキャッチャーはディンゴ(2000年に中日に在籍したデーブ・ニルソン。登録名はディンゴ)だったんですけど、日本をいろいろ分析していたようで、うまく抑えられてしまいました。

 その試合では(松坂)大輔が先発だったんですけど、相手はどの打者もよく粘って、凡打で打ち取られた打者をハイタッチで迎えていたんです。大輔は球数が多いということもわかっていて、球数を増やして体力が落ちたところを捉えようとしていました。その時期のアテネは気温が40度近くまで上がることもあって、その日は日差しも強かった。相手は、そうしたことまで計算していたと思います。

――オーストラリア戦に敗れた翌日のカナダ戦で勝利して、日本代表は銅メダルを獲得。日本へ帰ってきた時は、成田のホテルで長嶋監督が出迎えるシーンがありました。

高木 長嶋監督には、やっぱりお土産として金メダルを持って帰りたかった。「よくやった。ご苦労さん」という言葉をかけてもらいましたが、申し訳ないという気持ちが強くて、あまり顔を見ることができませんでした。

 表彰台でキューバの選手たちが金メダルをかけられた瞬間、「やはり、金じゃなきゃダメだ」と思いましたよ。輝きが違いました。選手たちも僕と同じことを感じたのか、日本に帰ってきて出迎えられる時に、全員がメダルを外していましたね。

 そのあとにまた国際大会に出た選手もいますが、戦いが終わった直後は「もう二度とやりたくない」って、みんなが言っていました。「でも、時間が経ったら、この緊張感をもう一度味わいたいと思うんじゃないの?」と聞いたりもしましたが、「いや、もう二度と嫌です」と(笑)。コーチの僕も嫌でしたね。それだけ、野球人生でプレッシャーを一番感じた大会でした。

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