若くして日本代表デビューも…その後苦しんだ、かつての“次世代スター候補”たち

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2021年05月17日 18:00  AERA dot.

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写真A代表デビュー戦でも存在感を示した山田直輝 (c)朝日新聞社
A代表デビュー戦でも存在感を示した山田直輝 (c)朝日新聞社
 近年、若い世代のタレントたちが次々と頭角を現し、新時代到来を予感させている日本サッカー界。だが、未来は不透明であり、スポーツの世界では何も約束はされてはいない。いつの時代も早熟のまま表舞台から去る選手は世界中にあふれており、日本においても若くしてA代表デビューを飾りながらも伸び悩み、苦難のキャリアを過ごすことになった選手たちは数多くいる。

 Jリーグ発足以前、日本の未来を背負う男と言われた選手に、菊原志郎がいる。読売サッカークラブ(現・東京V)の「天才少年」として注目を集め、16歳で日本サッカーリーグに出場。柔らかいボールタッチと優れたサッカーセンスでラモス瑠偉や戸塚哲也らと黄金の中盤を築き、その活躍が認められて1990年に弱冠20歳で日本代表入りして計5試合に出場した。だが、J発足後は出番を失い、1994年に浦和に移籍するも怪我にも泣かされて活躍できず。日本代表にも呼ばれることなく27歳で現役から退いた。技術面は非常に優れていたが、体の線の細さに代表されるフィジカル面が改善されなかった。

 もう一人、Jリーグ創世記の天才が、山田隆裕だ。快速ドリブルを武器に超高校級と騒がれ、今も“史上最強”と呼ばれる伝説の清水商高のエースとして活躍。日産(現・横浜FM)入団後も早々に結果を残し、 1992年に20歳でオフト時代の日本代表に選出された。だが、メンタル面が追い付かず、1994年のW杯最終予選への参加を辞退。その後もしばらくは代表の招集リストには入っていたが、国際Aマッチに出場したのは1994年の1試合のみ。クラブレベルでは、横浜から京都、V川崎、仙台と渡り歩いた中でJ1通算224試合に出場したが、代表デビューをした当時に周囲が思い描いていた未来とは、大きく異なるものになった。

 その後も多くの逸材たちが日本代表のユニフォームに袖を通したが、その中で歴代5位の若さでA代表デビューを飾ったのが、山田直輝だった。U−15時代から世代別代表に常に名を連ね、「浦和レッズユースの最高傑作」と称された秀英MF。2009年、トップ昇格1年目から結果を残して岡田武史監督率いる日本代表に招集され、5月27日のキリン杯・チリ戦に18歳327日でA代表デビューを果たすと、試合終了間際に本田圭佑のA代表初得点をアシストして見せた。

 だが、その後は故障を繰り返す日々。2010年1月のアジア杯予選・イエメン戦で自身2試合目の代表戦出場を果たしたが、前半17分に相手のタックルを受けて負傷退場(右腓骨骨折)。高い技術と優れたプレービジョンを持ち、能力的には香川真司と甲乙付け難いものがあったはずだが、ピッチに立つ時間よりもリハビリ生活が長く、度重なる怪我が彼のキャリア形成を大きく阻んでしまった。

 同じく、歴代6位の19歳34日でA代表デビューを果たした米本拓司も、怪我によって成長を阻まれ、伸び悩んだ一人だ。中盤で高いボール奪取能力を発揮し、「デュエル」の強さと高い展開力も持ち合わせたボランチ。U−16日本代表に選出されて以降、将来を嘱望され、高校卒業後の2009年にFC東京に入団すると、1年目から主力として活躍し、ナビスコ杯ではニューヒーロー賞と史上最年少での決勝MVPを獲得。そのままの勢いで代表に招集され、同年12月のアジア杯予選・イエメン戦に先発フル出場した。だが、国際Aマッチ出場は結局、この1試合のみ。2010年2月と2011年4月に左膝、2016年7月には右膝の前十字靭帯を損傷(断裂)し、いずれも半年以上の長期離脱を強いられた。現在30歳。昨季終了時点でJ1通算269試合出場も、選手としての成長曲線は幾度も分断された歪な形になってしまった。

 さらに爆発的なスピードを誇った宮市亮も、10代でのA代表デビュー後に度重なる怪我に苦しんだ。中京大中京高時代の2009年にU−17W杯に出場。高校卒業後に、強豪アーセナルと長期契約を結び、オランダ・フェイエノールトへ期限付き移籍してインパクトのある活躍を披露すると、当時の日本代表・ザッケローニ監督からも期待され、2012年5月の親善試合・アゼルバイジャン戦で19歳161日での代表戦デビューを飾った。だが、その後はる故障離脱を繰り返して長く停滞。単発的な活躍が続いて、現在はドイツ2部のFCザンクトパウリでプレー。時折、「日本代表の秘密兵器」へ推薦する声が挙がることもあるが、国際Aマッチ出場2試合無得点のまま、現在28歳となっている。

 その他、水野晃樹や山村和也といった選手も、若くしてA代表デビューを果たしながらも伸び悩んだ面々。そして17歳322日という日本代表史上最年少出場記録を持つ市川大祐も、2002年の日韓W杯での16強入りに貢献はしたが、数字としては国際Aマッチ10試合出場と物足りない。18歳でデビューした小野伸二(56試合出場6得点)、19歳でデビューした香川真司(97試合31得点)は成功の部類に入るだろうが、全体としては日本代表での “若年デビュー”は失敗例の方が目立つ。

 森保ジャパンで10代デビューを果たした久保建英(ヘタフェ)と冨安健洋(ボローニャ)、20歳でデビューした堂安律(ビーレフェルト)らが、その歴史を覆すか。それともまた違う新星が現れるのか。世界的にも選手の低年齢化が進む中、代表デビューを果たした“そのあと”が、より重要になるのは言うまでもない。









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