田淵幸一、落合博満が残した不名誉な記録…「すべてが裏目に出てしまった」不運な男たち

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2021年05月18日 07:10  ベースボールキング

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写真若かりし頃の落合博満を襲った珍事とは…? (C) Kyodo News
若かりし頃の落合博満を襲った珍事とは…? (C) Kyodo News
◆ “負の連鎖”に泣いた田淵幸一

 人間、やることなすことうまくいかない時もある──。

 それはプロ野球選手も然りだ。




 当然ながらチームの勝利に貢献するはずだったのに、次から次へと間の悪いことが重なり、意に反して不名誉な珍記録の主人公になった選手もいる。

 今回は、そんな“エアポケット”にはまり込んだ不運な男たちを紹介していきたい。

 「1試合6アウト」に加え、「サイクルアウト」というとんでもない負の連鎖に泣いたのが、阪神時代の田淵幸一だ。



 1975年7月11日の巨人戦。0−1で迎えた7回無死一・二塁の一打同点、一発出れば逆転という場面で登場した4番・田淵。

 横山忠夫の2球目、内角をえぐるシュートに思わずのけぞったが、ボールは避けたバットに当たり、捕手・矢沢正の前に転がった。


 だが、ファウルと思い込んだ田淵は一塁に走ろうとしない。一塁走者の藤田平と二塁走者のボビー・テーラーもその動きにつられる形で、スタートが遅れてしまう。

 矢沢はすかさずサード・富田勝に送球し、富田からセカンド・土井正三に転送。さらにファースト・王貞治に送られ、あっという間に三重殺が完成。遅まきながら一塁に走り出した田淵は、ボールが王のミットに収まったとき、まだ本塁と一塁の中間あたりだった。


 こうして絶好のチャンスを逃した阪神は、横山にプロ初完封を許し、0−5の完敗。

 田淵は「バットのグリップエンドに当たった。シュートを避けようとしたんだけど、僕はキャッチャーのどこかに当たって、跳ね返ってフェアグラウンドに落ちたと思うんです」と納得しかねる様子だったが、実は、ボールはバットに当たった直後、ホームプレートの前に転がっており、田淵の勘違いだった。


 しかし、たとえファウルと思っても、一塁に走っていれば、こんな最悪の結果にはならなかった。

 ちなみに、この日の田淵は2回の1打席目が三振、4回一死一塁での2打席目が三ゴロ併殺とあって、7回の三重殺打と併せて一人で“6アウト”を稼いだばかりでなく、単独アウトに併殺打、三重殺打の“サイクルアウト”まで達成してしまった。

 さらに、8回の守りでは、一死一塁で王の捕邪飛を落球した直後、ダメ押しの通算650号となる2ランをプレゼントしており、まさに“仏滅日”だったといえる。


◆ 落合博満は1イニングで“ひとりスリーアウト”

 田淵ほどインパクトは強烈ではないが、ロッテ時代の落合博満も1イニング一人で「スリーアウト稼ぎ」の珍記録をつくっている。

 1981年9月3日の南海戦。落合は3−1とリードした6回無死一塁のチャンスに二ゴロ併殺打。

 それでも、ロッテ打線はここから2つの四球を挟んで4連打と火を噴き、4点を追加したあと、押し出し四球で8−1と一気にリードを広げる。

 ところが、なおも二死満塁のチャンスで落合は投ゴロに倒れ、併殺打と併せてこの回の3アウトすべてを稼いだばかりでなく、5打数1安打で打率も.325にダウン。前日まで2位の島田誠(日本ハム)に抜かれてしまった。
 
 そんな中、当の本人は「えっ、そうですか。気にしてませんよ」と意に介することなく、9月5日の西武戦で4打数2安打を記録。たった2日で島田を抜き返すと、同年は自身初の首位打者を獲得している。

 やはり、人間、気持ちの切り替えが大切だ。


 一方、併殺打なしで1イニング・3アウトを稼いだのが、巨人時代の石渡茂だ。

 1985年5月4日のヤクルト戦。7回に4番・原辰徳の一発で7−8と1点差に追い上げた巨人は、中畑清の安打と吉村禎章の四球で、なおも無死一・二塁と押せ押せムード。

 ところが、次打者・石渡は送りバントを試みたが、なんと空振り。飛び出した二塁走者・中畑は捕手・八重樫幸雄の送球に刺され、アウトになってしまった。

 そこで、王貞治監督は次の3球目にヒットエンドランのサインを出したが、内角の難しい球が来たため、石渡はまたしても空振り。一塁走者・吉村も二塁で憤死となった。

 そして、石渡は次の4球目、スライダーを見逃し三振。まさかの“一人3アウト”稼ぎにより、巨人は追撃のチャンスを潰してしまう。

 この時は8回に篠塚利夫のタイムリーで追いつき、最終的に8−8の引き分けに持ち込むことができたのが、せめてもの幸いだった。


◆ 史上初の“サイクル盗塁死”

 最後は、二盗・三盗・本盗のサイクル盗塁よりもレアな“サイクル盗塁死”を紹介する。心ならずもこの珍記録を達成したのは、日本ハムの捕手・加藤俊夫である。

 1979年5月3日のロッテ戦。両チーム無得点の2回に三塁への内野安打で出塁した加藤は、次打者・古屋英夫の安打で二進後、三盗を試みたが、タイミングはアウトながら、有藤道世の落球に救われてセーフになった。ただし、記録上は盗塁死である。塁上に残った加藤は、菅野光夫のバント安打で先制のホームを踏んだ。

 そして、6回の3打席目には左越えソロ、7回にも2点タイムリー三塁打と、やることなすことツキまくっていた。だが、古屋の四球で二死一・三塁となったあと、本盗を試みてタッチアウトになり、この日2度目の盗塁失敗。

 さらに9回にも、一死から四球で出塁したが、打者・高代延博のとき、二盗に失敗してしまう。この結果、1試合で二盗・三盗・本盗のすべてに失敗するという“サイクル盗塁死”が実現した。

 ちなみに、1試合に3度も盗塁に失敗したのはパ・リーグタイで、過去に3例あったのだが、サイクル盗塁死は史上初の珍事。同年、加藤は計9度の盗塁死を記録しているが、そのうちの3分の1がこの試合で生まれたものだった。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)

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  • 「タブラン」よりもひでぇ。���ޤ���
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  • 打者3順の猛攻中自分だけ3回凡退するとか…
    • イイネ!23
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