熊田曜子の発言だけで、夫を“悪者”と決めるのは不公平? 「夫婦はどっちもどっち」だから“悪口”は難しいと思うワケ

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2021年06月04日 00:02  サイゾーウーマン

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熊田曜子公式インスタグラムより
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羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「すべて事実です」熊田曜子
本人直筆コメント、5月31日

 若かりし頃のビートたけしが、写真週刊誌「フライデー」(講談社)編集部を襲撃したことがある。

 当時、既婚者だったたけしは、妻とは違う女性と交際しており、その女性に対して同誌が強引な取材を行ったとして、たけし軍団の若手芸人を連れて編集部に押しかけた。その結果、傷害事件に発展し、たけしは懲役6カ月、執行猶予2年の判決を受けている。

 世間では、報道(言論)に対し、暴力で報復するのは民主主義に反するとたけしを叩く声が上がっただけでなく、編集部の強引な取材方法にも非難が集まった。そんな中、マスコミはたけしの実母・北野サキさんにコメントを取りに行ったが、彼女は「あんなどうしようもないやつは、死刑にしてください」という返答で、報道陣を爆笑させたという。

 自分の息子を死刑にしたい母親は、そうそういないだろう。「本来なら、かばうはずの身内が、死刑でもいいと思うほど怒っている」と突き放すことで、「お母さん、そこまで言わなくても……」と世間のたけしに対する溜飲を下げさせたのだと思う。実際、のちにたけしが「あんなことを言ってひどい」とサキさんに抗議すると、「ああ言わないと収まらなかった」と、愛ゆえの行動だと説明したそうだ。

 サキさんのコメント力はたいしたもので、たけしの前妻・北野幹子が不倫騒動を起こした際は、押し寄せたマスコミに対し「夫婦のことは、どっちがいいとか悪いとかない」と、今度は息子であるたけしも、その妻の幹子も責めない発言をした。

 なぜフライデー襲撃事件の時は息子を強く責め、妻の不倫は責めないのか。フライデー襲撃の事件は明らかに法律違反で、警察のお世話になる案件だし、被害者も存在するから、罰を与える必要がある。しかし、不倫の場合はそうではない。

 確かに、妻の不倫はいいことではないが、のちに報道された通り、たけし自身も妻子がいる身でありながら、“恋愛”をやめてはいなかった。家庭を顧みない夫の行為が妻を傷つけ、ひいては不倫の遠因となった可能性はゼロとはいえないだろう。「夫婦のことは、どっちがいいとか悪いとかない」というサキさんの言葉は、「たけしも幹子も、どっちもどっち」の意味だと思われる。

 しかし、離婚の場合は少し話が違ってくる。タレントたちは夫婦関係を解消する際、「相手が悪く、自分にまったく非がない」と言いたいのが本音ではないだろうか。特に女性タレントの場合、ひと昔前なら、離婚するとオファーが減ることもあったが、今は「離婚しても健気に頑張るシングルマザー」といったイメージがつけば、それを仕事に生かすこともできる。なので、夫婦間がうまくいかなくなると「夫のひどい仕打ち」を匂わせるタレントは多い。

 熊田曜子も、その一人だろう。『ノンストップ!』(フジテレビ系)に出演した際、干渉してくる義母の存在や、夫が手の込んだ料理を作っても食べないことを明かしていた(夫は手の込んだ料理よりも、刺身やサラダなど「切っただけ」の料理を望んでいるそうだ)。ネット上では「面倒くさい姑」「モラハラ夫」といった意見も見られたが、熊田の発言だけを聞いて判断するのは、いかがなものかと思う。

 断っておくが、「妻は義母や夫の言うことに従うべき」と言いたいのではない。熊田の義母や夫にもそれぞれ言い分はあるはずだし、熊田が明かしたエピソードの前後に何があったかもわからない。一般人である義母や夫は、熊田ほどメディアでの発言権が強くないことを考えると、彼らを一方的に“悪者”だと決めつけてしまうのは、アンフェアではないかと思うのだ。

 熊田といえば、雨が降っていた休日に3人のお子さんを連れて出かけた都内某所の児童館で、「大人1人に子ども2人まで」というルールのために入室を断られたとオフィシャルブログに書いて炎上したことがある。児童館の場所を正確に書いていること、また、雨が降っていることを書き添えるあたり、ちょっと“責めグセ”があるのではないか。発信力のある熊田が児童館の場所を明記すれば、そこにクレームをいれる人もいるだろうし、「雨が降っていた」という言葉には、「雨で大変な中、わざわざ出かけたもかかわらず」というニュアンスがにじんでいるような気がする。

 熊田の失望もわかるが、児童館の職員はルールに基づいた仕事をしたまでで、この対応が「悪い」とは言えないだろう。もちろん、子どもを連れて行った熊田もまったく悪くない。自分と相手がいることだと、「自分(相手)が正しい、相手(自分)が悪い」と、つい白黒つけたくなることは多いが、実際は「自分も正しい(間違っている)、相手も正しい(間違っている)」というケースは多くあり、それは夫婦関係において最も生じるのではないかと思うのだ。

 熊田夫婦の関係は悪化の一途をたどっていたようで、5月18日、顔を叩かれたとして熊田が110番通報し、夫は暴行罪で逮捕された。熊田は被害届を取り下げず、双方が弁護士を立てて話し合いをしているとの報道も出たため、離婚は時間の問題だと思われた。

 そんな中、6月1日発売の「フラッシュ」(光文社)は、「夫の長年の友人」の話として、夫が熊田に暴力をふるったきっかけは、彼女の不倫を疑ったからであり、またその“暴力”も、熊田が被っていた布団をひきはがした瞬間に、手が顔に当たってしまった“偶然”だと話していた。

 くしくも、この報道がネットニュースとして配信された5月31日に、熊田は離婚を発表。「報道されております通り、令和3年5月18日の深夜、私が夫から暴行を受けたこと、身の危険を感じた私が警察に連絡したこと、駆けつけて下さった警察官に夫が逮捕されたこと、私がこの件について被害届を提出したことなどはすべて事実です」「夫からの暴力行為は今回が初めてではなく、夫が帰宅する時間が近づくと恐怖を感じようになってしまっており、そのような状態でこれ以上婚姻生活を継続することは難しい」とつづっている。もちろん、暴行の事実があったなら、それは許されることではないが、自身の不倫疑惑報道が出てしまうと、“不倫疑惑の妻”と“暴力夫”という、「どっちもどっち」な印象が強くなるだろう。

 これまで沈黙を守ってきた熊田の前夫だが、離婚して他人になってしまえば、ある意味自由に発言できるはず。本人が語らなくても“知人”の話として、今後、熊田に関する真偽ないまぜのネガティブ報道が出てくる可能性は否めない。これまではメディアにおいて熊田の発言権が強く、義母や前夫の愚痴を聞いた世間は、彼女に共感や同情をしていた。しかし、今回の離婚を経て「どっちもどっち」になったことで、前夫の声も熊田の声と同等に届くようになるだろう。

 そうすると、たとえ間違った情報であっても、イメージに傷がついて痛手を負うのは、世間にその姿を知られていない一般人の前夫ではなく、タレントである熊田のほうではないか。

 夫の悪口といえば、タレント・上沼恵美子のお家芸だが、彼女は「夫のいいつけに従って、仕事をする範囲は西は姫路、東は京都まで」「三歩下がって歩く」「夫とケンカしたときは、自分が必ず謝る」ことを自分に課していたという。ここまで徹底して“夫と妻の関係”を世間に提示するからこそ、テレビ局勤務の一般人である夫の愚痴をこぼしても、実生活に支障をきたさず、かつ「あれは芸です」と煙に巻くこともできるのだろう。

 夫の悪口は共感を集めやすいテーマかもしれないが、実は相当な腕を必要とするもの。熊田ほかママタレ各位は、簡単に手を出してはいけない領域だと肝に銘じるべきかもしれない。

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