プレー以外でもファンを魅了! 記憶に残る“ムードメーカー助っ人”の思い出

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2021年06月13日 18:00  AERA dot.

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写真ひょうきんパフォーマンスでプレー以外でもファンを魅了したラミレス (c)朝日新聞社
ひょうきんパフォーマンスでプレー以外でもファンを魅了したラミレス (c)朝日新聞社
 現役でムードメーカー的助っ人といえば、巨人移籍2年目のゼラス・ウィーラーを思い浮かべるファンも多いだろう。

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 昨年シーズン途中に楽天から加入すると、チームメイトのホームランを自分のことのように喜ぶ愛くるしい表情が「ハクション大魔王にそっくり」と話題になり、一躍人気者になった。

 今季も球団歴代6位タイの22試合連続安打を記録するなど、攻守にわたるハッスルプレーを見せ、陽気なパフォーマンスとともに、チームを盛り上げている。

 そして、ウィーラー以前にも、ひょうきんパフォーマンスや圧倒的な存在感でムードメーカーになった愛すべき助っ人たちが存在した。

 一番手として名前が挙がるのが、“踊るホームラン王”こと日本ハムのマット・ウインタースだ。

 1990年から在籍5年間で4年連続30本塁打以上、通算160本塁打を記録した不動の4番は、グラウンドのパフォーマンスでも異彩を放っていた。

 大相撲の曙に触発されてちょんまげのかつらをかぶったり、空手のパフォーマンスを演じるなど、陽気で行動的なウインタースは、91年7月に北九州で行われたダイエー戦で、ビジターにもかかわらず、ベンチ前でチアガールの動きに合わせて、オレンジ色のメガホンを持って、踊る姿が話題になった。その後、両手にポンポンを持ってダンスに飛び入り参加するようになり、9月16日の近鉄戦の試合前には、お得意の手品も披露した。

 翌92年、江戸っ子気質で短気な土橋正幸監督が就任すると、「ドバシさんが怒るからね」とダンスを封印していたウインタースだったが、同年6月4日のダイエー戦で、「ヒサシブリだから」とブーマー・ウェルズのユニホームを借り、ツルツル頭のかつらをかぶって大熱演。走塁練習中に集めた土を水で溶いて顔に塗りたくるという念の入れようだった。

 このほか、雨でノーゲームになった直後、西武のオレステス・デストラーデとヘッドスライディングを披露したり、ユニホームを上下逆さまに来て、逆立ちしながら歩いているように見せかけるなど、ファンを楽しませてくれた行動は、枚挙にいとまがない。

「野球はエンターテインメントであり、(プレーでもパフォーマンスでも)観客を喜ばせることが自分の仕事」というウインタースは、93年3月には、CNNの人気番組「ラリー・キング・ライブ」にゲスト出演し、本国でも注目を集めた。

 パの踊るホームラン王対し、“セのエンタメ王”と呼べそうなのが、アレックス・ラミレスだ。

 ヤクルト時代は、志村けんの「アイーン」や加藤茶の「加トちゃん、ペッ」をアレンジした「ラミちゃん、ペッ」、ダンディ坂野の「ゲッツ」など人気芸人の物真似芸を次々に披露。ホームランを打った直後やヒーローになったときに、新ネタやニューアレンジバージョンで笑いを取るのが、すっかりお約束になった。

 04年4月3日の横浜戦では、1対3の8回にエディ・ギャラードから左中間席に起死回生の逆転3ランを放ち、ヒーローインタビューに呼ばれると、なぜかタオルをかぶった姿でお立ち台へ。タオルを外すと、なんと、禿げヅラと付け髭の“加トちゃんスタイル”だった。

 スタンドが笑いの渦に包まれるなか、ラミレスは鼻の下の付け髭が落ちそうになるのを2本の指で押さえつけながら、「今年の新ネタを最高の場面で披露できてうれしいよ。たくさんのファンの前で勝てて幸せだね」と喜びをあらわにした。

 実は、これらのパフォーマンスは、来日後に始めたもの。メジャー時代は「挑発行為と受け止められるから」と慎んでいたラミレスだったが、来日1年目の01年、チームメイトの度会博文から「アイーン」を教わり、グラウンドで披露したところ、子供たちがとても喜んでくれた。

 以来、「ファンをハッピーにしたい」一心から“芸の道”を究め、巨人時代の09年の首位打者をはじめ、本塁打王2回、打点王4回の輝かしい実績とともに、グラウンドのエンターテイナーとして記憶されることになった。

 マウンド上の派手なパフォーマンスで強烈な個性を発揮したのが、86年に来日した阪急のアニマル・レスリーだ。

 三振を取るたびに「ガオーッ!」と吠え、ゲームセットの直後、捕手の藤田浩雅がマウンドに駆けつけると、グラブをはめた左手でカウンターブローをお見舞いした。

 本人は力を加減しているつもりなのかもしれないが、198センチ、104キロの巨体から繰り出されるパンチの威力はハンパではなく、藤田は脳震とうを起こしたこともある。以来、マウンドに行くときは、マスクとプロテクターでガードするようになった。

 過激なパフォーマンスについて、アニマルは「ユニホームを着れば、ファイトをむき出しにするのは当然だろう。特にストッパーは力でねじ伏せなければならない。ファイトが高まれば、オーバーアクションになる」と説明していた。

 だが、野獣のようないかつい外見とは裏腹に、「登板前に震えていた」という証言もあり、そんな弱気を奮い立たせるための行動だったようだ。

 1年目は7月前半までに13セーブを挙げ、オールスター出場も、夏場以降、急失速し、わずか2年で退団したのが惜しまれる。

 単なるパフォーマーで終わらないよう、プレーで文句なしの実績を残すことも、ムードメーカーの必須条件なのである。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。

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  • ダントツに「ウインタース」の世代です。記事にはレオのオーレとの共演のことが書かれているが、鴎のディアズとも共演したんよね。あとはハゲづら被って鷹のラガのユニ着たりw。?続く
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