いま劇場でもっとも輝いている“衝撃作” 「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」レヴュー

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2021年06月14日 20:03  ねとらぼ

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ねとらぼ

写真劇中でキリンが繰り返し唱える「ワイルドスクリーンバロック」(「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」予告編より)
劇中でキリンが繰り返し唱える「ワイルドスクリーンバロック」(「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」予告編より)

“つかぬことを伺いますが この近くに鉄道線路はないでしょうか? 数日前すぐ近くで汽笛の音を聞いたのですが どう歩いても線路が見つかりません。ぼくの乗る汽車はもう発ってしまったのか それともまだ来ないのか……(演劇実験室「天井桟敷」『身毒丸』より)”



【動画】「劇場版スタァライト」予告編



 「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」が今現在、劇場でもっとも輝いている映画だろうことは間違いない。テレビシリーズの放映開始から約3年、同作は、表現手法の最先端を脇目も振らずに爆走しながら、音と動きを届けるというアニメーション本来の歓びに満ちている。シリーズの予備知識は必要ない。2021年に公開された劇場アニメとして、間違いなく時代に名を残す衝撃作だ。



 寮制の学園、日々ひそかに行われる「レヴュー」という名の決闘、物理法則を無視する不可思議な舞台装置、他の少女アニメと一線を画する変身バンク……。「セーラームーン」シリーズの主要スタッフであった幾原邦彦・榎戸洋司を始めとする制作集団・ビーパパスによって世に放たれたカルトアニメ、「少女革命ウテナ」からの影響を想起せざるを得ない舞台設定、絢爛な演出、さまざまなセリフ。



 「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」のテレビシリーズ、その総集編となる映画版「再生産総集編 ロンド・ロンド・ロンド」から感じられたのは、新しい物語というよりは先駆者となる作品群からの強い影響とそのミックスアップ、およびそのアップデートだった。「ああ、このキャラはウテナでいえばこれに当たる」「テロップの使い方がそのままエヴァンゲリオンの『DEATH』だな」と、一歩引いたところから見ることのできる作品だった。



 特に「ウテナ」については、古川知宏監督が幾原邦彦を師と仰ぎ「輪るピングドラム」「ユリ熊嵐」に参加、「BROTHERS CONFLICT ブラザーズコンフリクト」「ココロコネクト」などで共同絵コンテを寄せていることからも、その多大な影響が感じ取れた。



 それが本作、具体的にいえば「ロンド・ロンド・ロンド」のエンドパート、“ワイルドスクリーンバロック”の存在が明かされてより、シリーズのこれまでの檻を大きく踏み越えることになる。



 舞台少女たちに迫る、グロテスクな(演出上の)死、学園からの卒業を目前とした物語。主人公・愛城華恋にとっては望む星を手にしてしまったあとの物語が始まることになる。学園の中で目指していた“スタァ”の物語が終わり、もはや役者を決めるオーディションとしてのレヴューは行われない。本作で続くのは、彼女たちの人生の物語である。



 実際のレヴュー演出面については、とても文章で例えられるものではない。キリンが幾度となく唱える“ワイルドスクリーンバロック”。その元ネタになっているであろう“ワイドスクリーン・バロック”とは、SF小説においてある種の転換点をもたらすためにブライアン・W・オールディスが提唱した概念。要するに並行世界・時間移動・宇宙規模の事件・仮想理論等、とにかくアイデアを詰め込みに詰め込んだ、情報密度が桁違いの作品を指す言葉である。



 本来は『パラドックス・メン』のみを形容する言葉だったが、ベイリー『禅銃<ゼン・ガン>』をはじめ、次第にジャンルとしてみなされるようになった。その言葉に恥じることなく、本作のレヴューシーンはテレビシリーズとは比べものにならないほどの奇想・アイデア・躍動感にあふれており、劇場にて目と耳で感じることそれ自体に強い歓びが待ち受けている。



 それを支えているのは、よりはっきりと示された彼女たちのキャラクターの描き込みである。



古川 「『レヴュースタァライトって何?』」といったら、この9人なんですよ。9人を愛でて、愛してもらうために、全セクションが奉仕したいなというふうには思っていました。



テレビ版放送終了時の古川知宏監督インタビュー/「WHAT’s IN? tokyo」より



 テレビシリーズでの各舞台少女は、一部を除き主に華恋との対立構造をもとに描かれていた。「このまま埋もれていられない」星見純那の必死さ、「再演を止めるわけには行かない」大場ななの嘆き、「2人でスタァとなる」ことを認められない天堂真矢、「華恋と運命の舞台に立つ」ことを決めきれない神楽ひかり。



 しかし今回、彼女たちはそれぞれ自分の人生とより真正面から向き合うことになる。夢を諦め、妥協することが成長か。置かれた場所で咲くことが幸せか。好敵手をこのままにしておいて良いのか。卒業は誰しもにとって、自分にとってなにが必要で、そうでないかを決める時だ。



 心の内を叫び、胸の渇望を謳い、自身の本当の目的に気付く。少女たちそれぞれの行く先に思いをはせられるのは、これまで彼女たちの感情が、それこそレヴューのなかで示されてきたからに他ならない。



 その中で華恋だけが、何も持っていないことに気づいてしまう。「神楽ひかりと運命の舞台に立つ」という彼女の人生の目的は、すでに達成されているからだ。



 他の少女たちに目的を与えることとなった華恋だけが陥った空白を、彼女もまた埋めなければならない。若さの持つ弱さはその不安定さであり、同時にその強さは未来への可能性、言い換えれば何も決まっていないところである。「再生讃美曲」で、“ああ 私たちは何者でもない 夜明け前のほんのひととき”と謳われるように。



 自分が何をしたいのか、これからどうなっていきたいのかを決める。文字にしてしまえば、本作の2時間の内容は全てそれだけで終わってしまう。ただ、これは誰しもの人生にとって根源的かつ、答えのない問いである。だからこそ共感を持たせながら、舞台装置を使った心象風景を、アイデアの続く限りいくらでも膨らませることができる。



 もちろんその中で、影響を受けた作品からの引用も忘れていない。メタファーとしての線路と駅に庵野秀明・寺山修司イズムを感じさせ、各レヴューには元ネタとなる絵画を用意し、世界観を補強している。それぞれの舞台を強固に演出しつつも、某大作映画をそのまま強引に引用してしまうあたりは、古川監督ならではの茶目っ気といったところだろうか。



 本作が「“劇場”でしか味わえない{歌劇}体験」というキャッチコピーに恥じることのない大傑作であることは疑いようがない。昨年(2020年)から映画業界にとって不遇の年が続いているが、劇場で見ることができて本当に良かったと、心の底から感謝したい。



(将来の終わり)


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