サッカーから学んだチーム力で、Jリーガーからリユース業界の革命児へ バリュエンスグループCEO・嵜本晋輔<現代の肖像>

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2021年06月17日 17:00  AERA dot.

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写真リユース業界の革命児といわれる元サッカー選手の視線の先には、グローバル戦略が広がる(撮影/加藤夏子)
リユース業界の革命児といわれる元サッカー選手の視線の先には、グローバル戦略が広がる(撮影/加藤夏子)
 バリュエンスグループCEO、嵜本晋輔。ガンバ大阪の選手になって3年目、嵜本晋輔は戦力外通告を受けた。目の前が真っ暗になった。やがて父の会社に入社。仕事の遅れを取り戻すかのように、がむしゃらに働いた。兄たちと支え合い、リユース業で嵜本はめきめきと頭角を現した。社員800人を抱え、チームワークを大事にし、失敗はチャンスと考える。それは嵜本自身がサッカーから得た宝だ。

【写真】仕事が趣味の嵜本も時には社員とゴルフやフットサルに興じる

*  *  *
 日本国民の大半の心配をよそに、このコロナ禍の中、東京五輪・パラリンピックが開催へ突き進んでいる。日本選手団は日本五輪史上最大の500人超と予想されているが、宴の後、彼らは厳しい現実を突きつけられる。五輪だけを見据えて全エネルギーをつぎ込んできたため、大会が終わった途端に多くの選手はセカンドキャリアに戸惑う。これまで、そんな選手を数多く見てきた。

 プロアスリートも同じ。野球やサッカー選手で現役を退き、コーチやフロントに残れる人はほんのわずか。多くは第二の人生に頭を抱える。

 そんな厳しい環境の中、華々しいセカンドキャリアを切り開いた選手がいる。Jリーグ「ガンバ大阪」のMFだった嵜本晋輔(さきもとしんすけ)(39)だ。ラグジュアリーブランド商品のリユース市場で成功し、起業7年目でマザーズ上場を果たしたバリュエンスグループのCEO。創業10年目の今期は売り上げ580億円を見込み(8月決算)、グループを含めた社員数は800人。古臭いイメージのリユース市場にデジタルマーケティングやDX(デジタルトランスフォーメーション)をいち早く導入し、リユース業界の革命児と称されている。

 コロナ禍でも攻める姿勢は健在だ。この1年間でアジア、ヨーロッパ、アメリカにブランド買い取り専門店「なんぼや」を10店舗以上オープンさせ、グローバル企業への脱皮を推し進めている。実業家として活躍する嵜本は、「すべて、あの日があったから」と遠くを見やる。

 2003年9月、嵜本はガンバ大阪の強化部長に呼び出され、クラブハウスの会議室に向かった。02年に開催されたFIFA日韓ワールドカップの残り火でサッカー人気に沸いていた時期。入団3年目の嵜本は試合出場がまだ4試合だったが、同じMFの中田英寿や中村俊輔のような選手を目指し懸命に技を磨いていた。大好きなガンバでサッカーができることに至福を感じ、未来への希望に満ちあふれていた。部屋に入ると、強化部長が無機質な表情で口を開いた。

「君は来季から戦力外です。サッカーを続けたければ自分でチームを探してください。以上」

■プロ3年でクビは当然 当時は他責の塊だった

 その間ほんの2、3分。刹那、目の前に真っ黒なシャッターがガシャリと下りた気がした。自分の存在価値が、指先からするりと抜け落ちる。

 戦力外通告を受けても、シーズンが終わるまでは所属したまま。しかし紅白戦にも出してもらえず、仲間の気遣いもつらかった。嵜本は言う。
「戦力外通告から退団までの3カ月間は針の筵(むしろ)。もちろん、移籍チームを探すための練習と自分に言い聞かせていましたが、心は千々に乱れていた」

 21歳の青年にはあまりにも過酷な現実だった。

 しかしこの経験が現在の嵜本を作り上げているのも事実。嵜本は、起業家としての成功をどんなに称えられようと、危機意識を忘れることはない。そして謙虚。若手経営者にありがちな尖ったところはなく、自分の考えを言う前にまずは他人の話に耳を傾ける。嵜本と家族ぐるみの付き合いをしているセルソース社長の裙本理人(つまもとまさと)(38)は、経営者として基本的な考えが似ていると語る。裙本もまた、再生医療関連のバイオベンチャーを立ち上げ、創業4年目でマザーズに上場を果たした。

「僕らは、社会問題を解決することをテーマにしない限り、会社は成長しないと考えています。そうすればおのずと売り上げもついてくる。嵜本がこれからやろうとしているのはまさにそこ。そのためには既存のものを手放すこともいとわない」

 また、ガーナにある世界最大の電子部品廃棄場から拾ったゴミでアート作品を創り、売り上げを現地に還元しながら地球環境保全活動をしている芸術家の長坂真護(まご)(36)は、嵜本の穏やかな人柄に癒やされていると笑う。

「若手経営者の集まりか何かで会ったのですが、自己主張が強いグループの中でひたすら人の話に耳を傾けている姿が、かえって目立っていました。つい最近まで、元Jリーガーだったことも知らなかった。晋輔さんのことを自分が一番の友だちと考えている人を、僕は10人ぐらい知っています」

 謙虚な姿勢と危機意識はガンバをクビになったことで、常に意識するようになった。

 1982年、大阪府で3兄弟の末っ子として生まれた。小学4年からサッカーを始め、中学・高校と全国大会に出場。ドリブルが上手く常にチームの中心選手だったが、背番号はエースの10番ではなく11番。父・政司(75)が笑いながら言う。

「10番をつけたい選手がいるとすぐに譲ってしまう。ガンバ時代は自分でシュートできるチャンスがあるのにパスを出す。サッカー選手としては大成しなかったけど、人を生かす性格は今、経営に役立っているんじゃないでしょうか」

 嵜本は今考えれば、3年でクビになっても当然の選手だったと語る。試合に出られなければ、監督の起用の方法がおかしいとか、あの選手より僕の方が上手いのにと、自分の実力のなさを他人のせいにしてばかりいた。ファンサービスも自主練習もあまりしないで遊びに行っていた。他責の塊だったと反省する。翌年、日本フットボールリーグ(JFL)の佐川急便に所属したが、自分の実力に見切りをつけ、ピッチを去る決意をした。

 引退してすぐ、父が大阪で経営していた従業員20人ほどのリサイクルショップに入社。長兄・将光(41)、次兄・晃次(40)も高校卒業と同時に家業を手伝っていた。

(文・吉井妙子)

※記事の続きは2021年6月21日号でご覧いただけます

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