実績十分、知名度抜群でJ加入も…。ひっそり消えていった11人の大物助っ人たち

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2021年06月19日 11:21  webスポルティーバ

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 アンドレス・イニエスタが自身37歳の誕生日を迎えた5月11日、ヴィッセル神戸との契約2年延長を発表した。イニエスタは2018年に神戸に加入し、W杯ロシア大会後からJリーグでプレー。昨季までの3年間でJ1リーグ戦63試合13得点を記録しているが、記録以上にそのパスやトラップなどのひとつひとつのプレーで観る者を魅了している。

 今シーズンもケガから復帰後、イニエスタは期待値と年俸に見合った働きを見せているが、過去を振り返れば、鳴り物入りで加入しながらも期待を裏切った大物助っ人は少なくない。そこで今回は、Jリーグから寂しく去った「消えた大物助っ人」をクローズアップしてみる。




 浦和レッズのサポーターにとって『ウーベ』と言えば、口髭が印象的だったウーベ・バインを思い出すだろう。西ドイツ代表として1990年W杯イタリア大会の優勝に貢献したMFは、1994年から3シーズを浦和でプレーして通算68試合25得点を記録。1995年には福田正博がJリーグ初の日本人選手得点王になったが、そのゴールの多くはバインからのスルーパスによって生まれたものだった。

 このバインの加入で押し出されるようにして、浦和を寂しく去っていったのが、もうひとりの『ウーベ』ことFWウーベ・ラーンだ。

 バインより2歳若い1962年生まれのラーンが浦和に加入したのは、Jリーグ初年度の1993年後期。24歳だった1986年にはW杯メキシコ大会に西ドイツ代表として出場し、同年のドイツ年間最優秀選手賞を受賞するなど、まばゆい経歴もあって大きく期待されての来日だった。

 しかし、フタを開けてみれば期待はずれ。ジーコ(鹿島アントラーズ)やリトバルスキー(ジェフユナイテッド市原/当時)、ラモン・ディアス(横浜マリノス/当時)といったほかのJクラブの大物助っ人が活躍するのを尻目に、ラーンは初年度リーグ戦7試合で1得点。2年目は出場がないまま、夏場にバインと入れ替わるように退団した。

 浦和の歴史を振り返ると、1996年に加入したDFバジール・ボリやMFブライアン・スティーン・ニールセンもフェードアウトした大物助っ人だ。

 ボリはフランス代表としてユーロ1992を戦い、マルセイユ時代の1992−93チャンピオンズカップ決勝ではACミランのマルコ・ファンバステンを引退に追い込むスライディングタックルを見舞った選手として有名だ。浦和加入1年目はDFラインの一角としてリーグ戦22試合に出場したが、1997年は故障などもあって出場9試合で退団となった。

 ニールセンは1996年後半から加わって背番号10をつけたが、出場は6試合のみ。ユーロ1996に出場した現役デンマーク代表の片鱗を見せることはなかった。その後、2002年W杯日韓大会のメンバーにも選ばれ、再来日を果たしている。

 その2002年のW杯日韓大会で"赤髪モヒカンヘア"の鮮烈なインパクトを残したのが、元スウェーデン代表MFのフレドリック・ユングベリだ。アーセン・ベンゲル監督率いるアーセナルの一員として9シーズン活躍したこともあり、2011年8月に清水エスパルスと契約した時の期待値は当時34歳でも高かった。だが、出場は8試合のみ。ケガの治療で帰国したまま2012年2月に契約解除となった。

 2002年W杯組で言えば、コスタリカ代表FWパウロ・ワンチョペも"消えた大物助っ人"だろう。1996年からコスタリカ代表でプレーし、W杯には2002年、2006年と2大会連続で出場。マンチェスター・シティやマラガなどで活躍し、2007年にFC東京に移籍した。鹿島戦で初ゴールを記録するも、右ひざの古傷が再発してそのまま退団。「コスタリカの怪人」の快足が日本で披露されることはなかった。

 1987年のバロンドールではルート・フリットの次点になるなど、全盛期は「欧州のマラドーナ」と異名をとった名選手も、ひっそりとJリーグを去ったひとりだ。ポルトガル代表として一時代を築いたFWパウロ・フットレである。

 32歳だった1998年にカルロス・レシャック監督の要請に応じて横浜フリューゲルスに入団。3試合連続ゴールを決めるなど期待をもたせた。しかし同年9月、レシャック監督が成績不振のために退任すると、その後は出場することなくシーズン終了後に引退。Jリーグでの成績は13試合3得点だった。

 ヨハン・クライフが率いた1988年から1996年途中までのバルセロナは「エル・ドリーム・チーム」と讃えられ、そのメンバーからはフリオ・サリナス(横浜M)やチキ・ベギリスタイン(浦和)などが日本に来て活躍した。だが、同じくエル・ドリーム・チームの一員であっても、Jリーグでは爪痕を残せなかった選手もいた。

 そのひとりが、1998年に横浜Mに加入した元スペイン代表MFのヨン・アンドニ・ゴイコエチェアだ。来日当初はサリナスと組んで23試合に出場したものの、シーズンが深まるにつれてベンチを温めることが増え、シーズン終了後に退団となった。

 もうひとりが、オランダ代表として1990年W杯イタリア大会に出場したFWリチャード・ビチュヘ。アヤックスで活躍し、クライフが熱望してバルセロナでもプレーしたストライカーは、2004年に35歳で大分トリニータに加入。だが、キャリア晩年のビチュヘに往年のすごみを望むべくもなく、9試合に出場したのみで日本を去った。

 消えた大物助っ人は、アタッカーばかりではない。南米最高峰の右サイドバックも、わずか1年で日本を去っている。

 ガンバ大阪に2003年に所属した「チキアルセ」ことフランシスコ・アルセは、グレミオやパルメイラスで活躍し、1998年、2002年と2大会連続でW杯に出場したパラグアイ代表DF。日韓大会から半年後にG大阪に加入すると、開幕戦でゴールを決めるなど鮮烈なデビューを飾った。しかしその後は出番を減らし、リーグ戦16試合の出場でチームを離れた。

 近年でも、期待はずれに終わってしまった助っ人はいる。カメルーン代表で活躍したMFアシール・エマナ(J登録名アチーレ・エマナ)は2016年7月、徳島ヴォルティスに移籍。当時J2の徳島にやってきてファンを驚かせた。しかし、公式戦に1試合も出場することなく同年末で退団することになる。

 ブラジル出身の元ドイツ代表FWカカウは、2014年8月にセレッソ大阪に加入。決定力不足を解消する存在として期待された。結果はリーグ戦12試合5得点で、救世主にはなれずチームはJ1から降格。翌2015年はJ2で6月までプレーしたが、12試合2得点の成績で契約終了となった。

◆和製ロナウド、小野伸二2世...。消えていった天才Jリーガーたち>>

 世界で築き上げた実績と知名度が高い選手ほど、Jリーグで見られることが決まった時の喜びや期待値は大きい。それだけに、彼らがひっそりとJリーグを去る寂しさは、狐につままれたような気持ちにさせる。それを幾度となく味わってきたからこそ、イニエスタのような"優良大物助っ人"ぶりが際立ってくるのだろう。

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