年金繰り下げモデル「WPP」とは? 長生きリスクもカバーできる

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2021年06月24日 07:00  AERA dot.

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写真※写真はイメージです (GettyImages)
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 歌のように、年金も世に連れ……となるかもしれない。国が誘導を狙っている年金の「繰り下げ」をしやすくするような、私的年金や貯蓄・資産の使い方が提唱され始めているからだ。すでに実践者も出ている。これぞ人生100年時代の老後資金の“総力戦”だ。

【図】65歳から年金をもらい始めると…夫婦2人暮らしのシミュレーションはこちら

*  *  *
「できれば70歳まで続けたいです」

 関東地方に住むAさんは、ともに66歳の夫と昨年から、公的年金を遅くもらう「繰り下げ」を始めた。

 夫の給料が60歳定年後にガクッと下がったことに衝撃を受け、老後資金の勉強を始めた。贅沢(ぜいたく)をしたいわけではない。「現役時代とあまり変わらない生活を続けたい」のが動機だ。夫と相談しながら、エクセル表を使って年金のもらい方をあれこれ研究して決めた。

「全部を繰り下げると60代後半の生活費に支障が出るので、夫は老齢厚生年金を、私は老齢基礎年金を繰り下げることにしました」(Aさん)

 もっとも、思ったとおりには進まないのが人生だ。夫は勤め先を離れた後、アルバイト的な仕事を週数回していたが、この2月、急に「辞めたい」と言い始めたのだ。

「『十分働いた。休みたい』と。趣味が多いので、そっちに力を入れたいと思ったんでしょうか。80歳でも続けている人がいる仕事なので、もったいない気はしましたが、どうしようもありませんでした」(同)

 収入が減った分は“作戦”を変更し、預金で穴埋めして「繰り下げ待機」は続けている。

「ちょうどいい銀行定期があったので、それを取り崩しています。計算上は70歳までもちそうです。とにかく、やれるところまでやってみますよ」(同)

 ひょっとしたら、Aさん夫婦は今後、年金をもらい始める世代にとっての「スーパーモデル」になるかもしれない。

 本連前号では、公的年金や企業年金の受給の選択肢が飛躍的に増えて年金が「パズル化」しつつあること、その背景には高齢化や年金財政の逼迫(ひっぱく)で、「少なくとも70歳まで働き、余裕があればその間、年金を繰り下げてほしい」とする国の“意図”が読み取れることをみてきた。

「需要あるところに供給あり」か、あるいは「必要は発明の母」か──。国の意図をふまえ、時代の流れにのって生活する方法が、ここにきて出始めている。しかも、それがAさん夫婦の実践とピタリと一致するのである。

「考え方」として支持を広げているのは、日本年金学会の幹事も務める第一生命の谷内陽一氏が提唱する「WPP」理論だ。

「W」は「Work longer」、つまり「長く働く」。一つ目の「P」は企業年金など私的年金を指す「Private Pension」で、最後の「P」は公的年金を指す「Public Pension」。

 谷内氏が説く。

「会社を定年後、公的年金を受けながら、同時に企業年金や個人年金の私的年金を上乗せして老後の生活費を賄う、しかも両方とも終身、これが昔からの理想でした。しかし、低金利や長寿化で私的年金を終身にするのが厳しくなってきました。そこで、終身部分は公的年金に寄せて、そこ(公的年金)を増やして長生きリスクをカバーしようという考え方です」

 公的年金を増やすには繰り下げが必要になる。1カ月遅らせるごとに0.7%増え、65歳からもらう年金を上限の70歳まで遅らせれば年金額は42%増やせる(2022年4月以降は上限が75歳まで拡大)。しかし、繰り下げるには、その間の生活費がいる。そこで、企業年金や退職金、自助努力で貯(た)めた個人年金や貯蓄を、繰り下げ期間に集中投入して、繰り下げを成功させる。公的年金は終身だから、70歳以降は増額した公的年金で安心した老後が送れるというわけだ。

「プロ野球のピッチャーを考えてください。昔の『先発完投型』が、すっかり『継投型』に切り替わりました。それと同じで、先発である就労が厳しくなってきたら私的年金に中継ぎを頼み、最後は抑えの切り札を投入、増額した公的年金で締めるわけです」(谷内氏)

 なるほど、確かにわかりやすい。とりわけ自助努力の側面が大きくなる「中継ぎ」部分で目標を立てやすくなるのがミソという。

「5〜10年と期間が限られるので具体的な金額が見えてきます。民間の年金は給付期間が5〜10年の有期がほとんどですから、そうした実態にも合っています」(同)

 WPPを実際の家計に落とし込むと、どうなるのか。さまざまなシミュレーションの実績があるのは、ファイナンシャルプランナー(FP)の長尾義弘氏だ。

 谷内氏がWPP理論を発表したのは18年の日本年金学会だったが、実は同じ年に、長尾氏はWPPと考え方を同じとする、年金繰り下げを推奨するマネー本(『老後資金は貯めるな!』)を出版している。

「WPPを聞いたときは『同じじゃないか!』とビックリでした。当時、私は還暦を前に自分の老後資金のことをあれこれ考えていたんです。運用しようとすると100%の保証はない。では、どうすればいいかを考えていて行き当たりました。年金繰り下げなら安全で合理的、しかも初心者でもできます」(長尾氏)

 偶然の一致には驚くばかりだが、それはともかく、家計のシミュレーションである。長尾氏は、厚生労働省のモデルに近い世帯、ここでは架空の「鈴木家」を想定して考えたいと言う。次のようなケースだ。

 鈴木家には、65歳時点で貯蓄2千万円があるとする。夫の年金は老齢基礎年金と老齢厚生年金合わせて年間200万円、妻の年金は両方で100万円とし、65歳以降の生活費は総務省の家計調査の平均値より少し上の年間400万円とする。

 普通に65歳から年金をもらい始めると、2人の年金収入300万円に対して支出は400万円なので、毎年100万円の赤字が出る。すると2千万円の貯蓄は20年しかもたない。

「私は、貯蓄は2人の介護費用として800万円準備できていればいいとする考え方をとっています。とすると、2千万円の貯蓄のうち1200万円は60代後半に使っていいことになります」(同)

 つまり、年間240万円が使えることになる。これに年間160万円を就労収入で稼げれば、繰り下げ待機生活が成り立つ。アルバイトでもいいし、勤め先に就業確保策があればそれでOKだ。

「70歳まで繰り下げることができれば、夫婦の年金は42%増で年間426万円に増えます。生活費が賄えるうえに、70歳以降も貯蓄が増えていきます」(同)

 谷内、長尾両氏がそろって強調するのは「65歳(あるいは70歳)までに『○○○○をしなければならない』などと硬直的に考える必要はなく、個人の状況に合わせて柔軟に対応していけばいい」ということだ。

 谷内氏が、

「勤め先に確定給付年金(DB)と確定拠出年金(DC)の両方があるなら、60歳以降の給料減をDCで補って、60歳代後半はDBでつなぐ手が考えられます。また、老後資金が想定以上に積み上がったのなら、70歳以降、増額した公的年金への上積みを考えてもいい」

 と言えば、長尾氏も、

「不幸にして貯蓄が貯まらなかったのなら、働く期間を延ばして就労と年金のバランスを変えればいい。また、繰り下げでも思うほど年金収入が増えないのなら、少し節約して生活費を減らすことも考えられる」

 実は、年金制度自体がかなり柔軟にできている。

 老齢基礎年金と老齢厚生年金を一緒に繰り下げる必要はない。冒頭のAさん夫婦のように、基礎、厚生をそれぞれ単独で繰り下げできる。例えば、年下の配偶者がいる場合、一定の条件を満たせば年金制度の「配偶者手当」と呼ばれる「加給年金」が厚生からもらえる。配偶者が65歳になるまで年間約40万円と、なかなか貴重な金額だ。このため老齢基礎年金だけを繰り下げて老齢厚生年金は受給すれば、加給年金が受け取れるうえに年金も増やすことができる。

 また、繰り下げは、体調を崩して働くのが難しくなったり、家計が苦しくなったりすれば、いつでもやめることができる。その場合、やめたときまで増額されてきた年金をそれ以降も受け取れるし、あるいは、繰り下げを選ばずに65歳からもらえる年金額をまとめて一時金で受け取ることもできる。

 どうやらWPPの考え方を採り入れれば、さまざまな年金プランを組めそうだ。

 専門家の間でも評価する声が多い。ニッセイ基礎研究所の中嶋邦夫上席研究員は、組み合わせが新鮮だったという。

「60歳現役から65歳現役へ移行したときも、企業年金を“つなぎ”に使う考え方はありました。でも、それを60代後半にずらして公的年金の繰り下げとセットにしたことが新しい」

「同一労働同一賃金」が絡んでくる可能性を指摘するのは、FPの山崎俊輔氏だ。

「この考え方が浸透してくると、能力的には50代のころとさほど変わらないので、60代の賃金が必然的に上がると私はみています。すると『W』に上乗せする『P』も軽くなり、DBなどが10年の有期でピッタリはまる会社が出るのでは、と思います」

 ところで、冒頭のAさんは、ただただ驚くばかりである。自分が思い描いていた年金の世界が“理論化”されていることを知ったからだ。

「WPPですか? まったくの初耳ですね。でも、公的年金という生涯もらえるものを増やして老後の生活を安定させるというのは、まさに私が考えたことでもあります」(Aさん)

 柔軟に考える点もAさんはしっかり先取りしている。現在はパートで働いていて、夫婦ともに70歳まで働くのが当初の計画だったからだ。

「夫が辞めて貯蓄を取り崩していますが、夫は余裕を取り戻して平和に生活できています。まあまあ、といったところです」(同)

 同じような考え方が同じころ、自然発生的に出て、実践者も現れる──。WPPはパズル化する年金の一つの「解」になるかもしれない。(本誌・首藤由之)

(以下次号)

※週刊朝日  2021年7月2日号

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