ダリはなぜ”完璧な奇人画家”に仕上がった?「3大コンプレックス」から紐解いてみた

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2021年06月25日 19:10  週刊女性PRIME

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週刊女性PRIME

ダリの似顔絵 作画:ディンドン

 20世紀に活躍した画家、サルバドール・ダリは奇人だ。くるんとカールしたおヒゲ、数々の奇行、溶ける時計の絵……。詳しくは後述するが、見た目も作品も、明らかに常人離れしている。

 彼はあまりにキャラが完成しすぎて「どうしておかしくなったのか」や「何を表現しようとしていたのか」については、意外と知られていない。奇人・ダリが誕生した背景には、子どものときに両親から植えつけられた強烈すぎるコンプレックスがあった。

 今回はダリが10代で背負った3つのコンプレックスとともに、彼の独特すぎる絵画の手法について紹介したい。

「長男の代わり」といわれた幼少期

 サルバドール・ダリは1904年にスペインで生まれた。父方・母方ともに由緒正しき家系。言うなれば超ボンボン。現代の日本だったら東京・世田谷生まれ、慶應義塾幼稚舎育ちみたいな家庭で育つ。

 彼には3つ上に兄がいたが、ダリが生まれる前に亡くなっていた。このことが、ダリの人生に大きな影響を与える。

 1909年のある日、ダリ少年は両親に長男のお墓の前へと案内される。そして現代風に言えば「実は兄がおるんやで。あんたが生まれる前に死んだけど」と、デカめの爆弾を投げられるのだ。ダリは「まじか。妹しか知らなかった」と5歳ながらに衝撃を受ける。ビビっているダリに両親はこう言った。「兄の名もサルバドール・ダリなんよ。まぁ言うなれば、あんたは兄の生まれ変わりやね」

 初めての子どもを亡くした両親の悲しみもわかるが、このセリフはあまりにムゴい。ダリは当然「僕ってお兄ちゃんの代わりなんだ……」と悲しむ。そして健気にも「兄の代わりとして生きなければ両親に愛してもらえない」と考えるようになってしまうのだ。

 そんな彼はとても知的で早熟な子でありながら、意味もなく友人を橋から突き落とすなど、既に奇行はあったようだ。アイデンティティを喪失したことによる承認欲求が、幼い彼を奇行に走らせたのかもしれない。

 ダリは母親が元画家ということもあり、6歳ごろから絵を描き始める。母親は長男の生まれ変わりという背景もあってダリを溺愛。「ちょっと奥さん、聞いて! わが子の絵がすごいんですけど!」と絶賛するなど才能を応援してくれる存在であり、彼の心の拠り所だった。

 しかし父親が、母の優しさを凌駕(りょうが)するほどヤバかった。ダリに梅毒(性感染症の一種)の写真を見せては怖がらせるという、トリッキーすぎる虐待をしていたのだ。あれ、毒親ってそういう意味だったっけ……。

 画像検索はおすすめしないが、梅毒の写真はそこそこインパクトがある。ダリは子どもながら「こんな斑点できてしまうんか……性交渉って怖っ」とドン引きした。

 その結果、ダリは極度のお母さんっ子として育つ。しかし、悲しいことに愛する母親は、彼が16歳のころにがんで他界してしまう。そして、ここでも梅毒パパの暴走が止まらない。ママが他界してから即座に、嫁の妹と再婚したのだ。つまりダリからすれば、叔母が急に母になった。破天荒パパがダリに重い現実を背負わせすぎたんです。

 父親の“梅毒攻撃”と母親の死は、ダリの人生に強烈なインパクトを与えることになる。前者によって「女性恐怖症とED」に陥ってしまい、後者によって「マザーコンプレックス」になった。「強烈な自己承認欲求」も含めて、彼は10代という多感な時期に3つのコンプレックスを抱えることになるのだ。

生きづらさが内面の表現に向かわせた

 ダリは18歳で名門のサン・フェルナルド美術アカデミーに入学するが、習うのは昔ながらの伝統的な手法ばかり。「もっと新しいことしたいんですけど」と、老舗企業の新卒社員みたいな不満を抱いていた。

 そんな尖り切っていたダリは、在学中に印象派ピカソのキュビスム(立体主義)などの前衛的な表現に影響を受けつつ、バルセロナで初の個展を開催して話題に。さらには教授に向かって「ホントに悪いけど、私は教授よりはるかに賢いのでテストは受けないぜ」と告げて中退。芸術の都・パリを訪問する。

 当時のパリで流行っていたのが『シュルレアリスム(超現実主義)』。よくお笑いで使われる「シュール」の語源になった芸術運動だ。シュルレアリスムは「無意識的に作品をつくること」を目指した。

 例えば、シュルレアリスムの創始者である詩人のアンドレ・ブルトンは「自動筆記」といって、ババーッと超高速で書き連ねることで、思考をせずに言葉を紡いでいた。「カッコウを飼ってみたいけど、月に4、5回は弁護士になるので、まだ岐阜で踊ったことがない」といった感じ。脳で考えないから支離滅裂だけれど「無意識下には存在する言葉」が出てくるわけだ。

 つまりシュルレアリスムとは、「無意識」というフィルタを通して、アーティストの心のなかや人生で影響を受けたことを、そのまんま正直に表現するという考えなのである。

 これだけのコンプレックスを持っていたダリが、人の内面を突き詰めるシュルレアリスムにハマったのは、自然な成りゆきだったと言っていいだろう。

 彼は無意識を表現するために「夢」を使った。肘かけ椅子に座って、指の間にスプーンを挟んだまま眠る。うとうとして酩酊状態になると、スプーンが落ちてアラーム代わりになる。まどろみのなかで見た映像を、キャンバスに描いていたんです。

 また、彼はシュルレアリスト時代に「偏執狂的批判的方法」を発明する。1つのイメージでも、記憶や妄想というフィルタを通すことで、人それぞれで見え方が違うという絵画理論だ。

 例えば「柴犬の写真」を見たとき、過去に柴犬を飼っていた人は「子どものときを思い出すわぁ」などと連想するだろう。結婚を決めた彼氏が柴犬を飼っていたら「休日は朝ごはんを食べて、近所の公園で散歩して……♪」と、理想の暮らしをイメージするかもしれない。ダリは「育ってきた環境によって捉え方は千差万別だ」と、SMAPの名曲『セロリ』の歌い出しみたいなことを言った。

 ダリはジャン・フランソワ・ミレーの絵画作品『晩鐘』について「夫は帽子で股間を隠しているんだと思う」と解釈したという。 (ちなみにダリは『晩鐘』を「この絵、なんだかトラウマ呼び覚ましてくる。見れば見るほど萎える」などと言いつつ、こよなく愛していた)。

 ミレー自身は「畑仕事中に聞こえてくる鐘の音に合わせて祈りを捧げている絵を描いたんだよ」と述べている。しかし、女性恐怖症でEDだったダリには無意識的にそう見えているんです 。

 有名なダリの作品『記憶の固執』(これが、前述の“溶ける時計の絵”)も、偏執的批判的手法を用いて描かれている。ダリは溶けていくカマンベールチーズを見て「あっ、時計だっ……!」と連想した。

 チーズ(終わりが“柔らかい”もの)を見て、時計(“硬くて”永続的なもの)を連想する。これもダリがEDにコンプレックスを持っていたことに由来しているのかもしれない。

大衆から承認されたダリの“心情”

 美術好きなら「ダリといえばシュルレアリスム」というイメージを持つ方も多いかもしれない。しかし、彼は先述した創設者の詩人・アンドレ・ブルトンと喧嘩して、シュルレアリスムの団体からは追放されている。

 その後、1934年に渡米。そこでダリを世間に売り出したのが愛妻・ガラだ。ダリは25歳のときにガラと出会う。彼は女性恐怖症のせいで経験もなかったが、10歳年上のガラの包容力にイチコロだった。ガラは緊張しすぎて笑いが止まらなくなったダリを優しく抱きしめ、勇気づけた。彼女は恋人であり、母でもあったのだ。

 そして超優秀なマネージャーでもあった。実は彼女、ダリと結婚する前にポール・エリュアールという詩人と結婚していて、ポールを有名にしている。ガラは無名の若手アーティストをプロデュースする能力に長けていた。ダリは後年、ガラが亡くなった際に「人生の舵をなくした」と途方に暮れた。それほどまでに、ダリはガラにすべてを委ねていたのだ。

 ダリはガラのマネジメントやプロモーションの甲斐もあって、アメリカで大ブレイクする。絵画だけでなくインテリアデザイン、演劇舞台美術の仕事など、とにかく大人気。ダリが作れば何でも売れた。

 ダリの奇人っぷり、ナルシストぶりが発揮されるのは、特にこのころからだ。

「潜水服を着て講演会に登場し、しかも酸素供給がうまくいかず死にかける」「象に乗って凱旋門を訪問する」「“ははは、リーゼントだよ”とフランスパンを頭に乗せて取材にやってくる」「カリフラワーを詰めたロールスロイスでスピーチ会場にやってくる」「書店イベントで病院のベッドと偽医者・看護婦を配置し、自著を買ってくれた人に脳波のコピーをプレゼントする」など、どこからツッコめばいいのかわからないレベルのヤバい人となった。

 マスコミはダリの奇行を報道し、世間的に彼は「天才すぎておかしな人」というキャラクターになるわけだ。

 しかし、実はプライベートでは、まじめでおとなしい人であったそう。秋元康並みのキレ者だったガラの戦略も含めて、彼は「天才・ダリ」を演じていた部分も少なからずあったのではないか。

 かつて、妹のアナ・マリアが『妹が見たサルバドール・ダリ』という、ダリの私生活を書いた暴露本を出したことがある。ダリは大激怒して妹に「もう俺の財産は相続させねぇ!」と絶交したほか、友人たちに「この本は読むなよ!」と手紙を送った。それほどまでに「素顔の自分」をさらけ出すことに抵抗があるのだろう。

 彼は天才を演じまくった結果「毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。『サルバドール・ダリである』という喜びを」と発言するまでに至った。

 幼少期から少年期にかけて「自己承認欲求」に始まり、コンプレックスを背負い続けたサルバドール・ダリ。逆境からスタートした彼は、最終的に世間から「ナルシスト」と言われるほど自己肯定感に満ち溢れた。

 ダリの代名詞である「ナルシズム」はキャラクターだったのかもしれない。しかし、彼の名言に「天才を演じると、天才になれる」という言葉がある通り、逆境を跳ねのけて獲得した自己肯定は決してハリボテではなかったに違いない。

(文/ジュウ・ショ)

【PROFILE】
ジュウ・ショ ◎アート・カルチャーライター。大学を卒業後、編集プロダクションに就職。フリーランスとしてサブカル系、アート系Webメディアなどの立ち上げ・運営を経験。コンセプトは「カルチャーを知ると、昨日より作品がおもしろくなる」。美術・文学・アニメ・マンガ・音楽など、堅苦しく書かれがちな話を、深くたのしく伝えていく。note→https://note.com/jusho

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