“代走のスペシャリスト”・鈴木尚広さんが明かす得意だった球場は?

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2021年07月16日 13:42  ベースボールキング

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◆ 盗塁のサインが出たこと一度もない

 現役生活32年、50歳までプロ野球選手として活躍を続けた日本球界のレジェンド・山本昌氏がMCを務めるトーク番組「マサNOTE 〜山本昌が記す球人の軌跡〜」(スポーツライブ+)。

 7月17日に初回放送される第17回のゲストは現役時代に代走のスペシャリストとして、代走で日本記録となる通算132盗塁をマークした鈴木尚広さん。

 鈴木さんが現役時代に指揮を執っていた巨人・原辰徳監督から盗塁に関して叱られたことがなく、代走で出るときには「『尚広ちょっと来い!』と言われて、好きな時に行っていい、任せたと一軍に上がった頃から終わるまで、その言葉だけでしたね。サインで動いた記憶はないですね」と絶大の信頼を得ていた。

 特に当時、毎年のように優勝争いを演じていた中日戦は燃えたという。「中日といえば谷繁さん。谷繁さんからどう決めるかしか考えていなかった。谷繁さんから決められれば、セ・リーグのなかで勝負ができるだろうと」と、当時中日の正捕手だった谷繁元信さんから盗塁を決めることに闘志を燃やしていた。

 また、中日の本拠地・ナゴヤドーム(現バンテリンドーム)は、「入った瞬間、アドバンテージがある」と得意な球場だった。「ただマウンドが高いので、牽制が怖い。高いところから角度がつくので、ターンが速い右ピッチャーの浅尾くんは怖かったです。浅尾くんの牽制だけは、来るなと」というエピソードを披露した。

◆ 代走でいくという覚悟を決めた瞬間

 “代走のスペシャリスト”と呼ばれた鈴木さんではあるが、悩んだ時期があったという。「ちょうど自分が過渡期に差し掛かってくる時期、30歳すぎて、若い選手が出てくる中で、僕も立ち位置を考えないといけない。野球人である以上、私もレギュラーで出たい。代走で終わりたくない、代走がかっこいいと思っていなかったですし、割り切ることができなかった」と、当時の心境を告白。

 FA権を取得し行使すべきなのか、残留するべきなのかーー。悩んで、原監督に覚悟を決めて電話したという。鈴木さんは「『後で出ること(代走)で終わりたくない、チャンスをください』と監督に伝えたら、『よしわかったと。チャンスをやろう』と言われて、チャンスをもらいそれをモノにできなかったんですけど、その瞬間に、代走でいくという覚悟を決めた瞬間でしたね。僕にとって大きな決断でしたね」と“代走”で生きていく決心がついたという。

 現在プロ野球界には周東佑京(ソフトバンク)、和田康士朗(ロッテ)、増田大輝(巨人)、高松渡(中日)といった“代走のスペシャリスト”がいる。鈴木さんは指導者として“代走のスペシャリスト”を育てたいという思いを持っているとのことだ。

『マサNOTE〜山本昌が記す球人の軌跡〜#17 鈴木尚広編』は、CS800 スポーツライブ+にて7月17日(土)12時00分から初回放送。

☆協力:スポーツライブ+『マサNOTE 〜山本昌が記す球人の軌跡〜』

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