ロンドン五輪で史上最高の成績をあげた選手たちが、日本代表の中核になれなかった理由

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2021年07月24日 11:31  webスポルティーバ

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五輪サッカーの光と影(5)〜2012年ロンドン五輪
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 2012年のロンドン五輪で、日本は五輪男子サッカーが現行のレギュレーション(1992年のバルセロナから五輪は23歳以下選手の大会となった。ただし東京五輪は例外的に24歳以下に)になって以来、史上最高の4位という結果を残している。

 グループリーグの開幕戦でスペインを相手に1−0と金星を飾った余勢を駆ると、第2戦のモロッコ戦も勝利し、早々に決勝トーナメント進出を決めた。ホンジュラスに引き分けた後、準々決勝ではエジプトを10人に追い込んで3−0と下し、メダルの気運も高まった。準決勝でメキシコに、3位決定戦では韓国に敗れ、あと一歩及ばなかったが、誇るべき成績を残したと言えるだろう。

 ただ、当時のメンバーで、その後の代表の主力になった選手は思った以上に少ない。3連敗だった北京五輪からは本田圭佑、長友佑都、内田篤人、岡崎慎司、香川真司、森重真人、吉田麻也が台頭したが、ロンドン五輪からは酒井宏樹だけと言っていい。山口蛍、酒井高徳も代表でレギュラーの座を確保したとは言えず、むしろ五輪メンバーから外れた大迫勇也、原口元気、柴崎岳、昌子源がロシアワールドカップで主力となっている。

 そんなロンドン五輪世代の実像とは?




「あんなに走り回るチームは見たことがなかった。常識的ではなかっただけに、チームが混乱していた」

 日本戦で猛然と走り続ける永井謙佑に面食らい、苛立ちを滲ませたファウルで退場したスペインのイニゴ・マルティネスの回顧である。その言葉はひとつのヒントになるかもしれない。

 ロンドン五輪の日本の戦いは、良くも悪くも歪(いびつ)で極端だった。徹底的な前線からのプレッシング。永井を筆頭に走り回り、相手を困惑させ、その虚を突いた。I・マルティネスの発言通り、それは半ば常軌を逸していた。そこまで体力を使えば技術精度が落ちるところを、構わずに走った。実際、チャンスを多く外したが、勝利した試合は先制に成功し、奇襲攻撃が功を奏したのだ。

◆日本代表が見せた守備練習のような一戦。「スペインの強さ」を誤解していた

 しかし、体力を消耗させ、動きが鈍くなった準決勝以降、厳しい戦いになっている。

 当時のメンバーは、所属クラブでようやく出場機会を得るようになった選手が多かった。宇佐美貴史を筆頭にしたプラチナ世代と期待されたエリート選手たちも、大半はクラブで実績を積み上げられていない。大会でエース的活躍をした大津祐樹でさえ、プロでの試合経験は浅かった。

 多くの選手は"むき出しの才能の脆さ"をにじませ、それをフィジカルと献身で補っていた。

 チーム一丸となった強さは誇ったが、そうせざるを得なかったとも言える。成熟が足りなかった。その証拠に、宇佐美、大津、永井などは欧州での活躍が期待されるも、経験の浅さを露呈。トップリーグでは通用せず、帰国を余儀なくされている。

 所属クラブでポジションを取れるか。それが当時の選考条件のひとつだった。その点、遅咲きの世代だったと言えるかもしれない。

「(横浜F・)マリノスを出るのはひとつの賭けでした」

 ロンドン五輪のメンバーに切り札として滑り込んだ齋藤学は、かつてそう説明していた。

 横浜FMでは3年間、ほとんど出場機会がなかったが、J2愛媛FCへの期限付き移籍で試合を重ね、ドリブラーとしての怖さを開花させた。

「試合に出る必要を強く感じていたし、そのために愛媛を選んだんですが。もし愛媛で出られなかったら、帰るところはなくなりますから、リスクは感じました。でも、そのままではずるずる行きそうで、自分から積極的に動く必要を感じて......」

 五輪を控えた前シーズン、齋藤は愛媛で14得点を記録し、ロンドン行きの切符を手にした。J2ながらこのような数字を叩きだした選手は、同世代では希少だった。

「愛媛では、オリンピックよりもプレーそのものに夢中でした。愛媛が大好きになり、このチームを勝たせたいという一心で、だから記者の人に、オリンピックについて聞かれても『考えていません』と答えていました。大会前にトゥーロン国際ユーストーナメントのメンバーに選ばれ、エジプト戦でなにもできずに負けて悔しくて。真剣にオリンピックを意識するようになりました」

 野心の目覚めは、2014年のブラジルW杯代表メンバー入りにつながった。その後は川崎フロンターレ、名古屋グランパスでプレー。Jリーグで有力なアタッカーの位置を占める。

 逆説的に言えば、試合を重ねれば成長の余地がある世代だった。

 ロンドン五輪で、オーバーエイジの吉田麻也とセンターバックを組んだ鈴木大輔も、そのひとりだ。アルビレックス新潟に入団以来、3シーズン、カップ戦を含めても二桁に出場試合数が達していなかった。五輪の前年に先発出場の座を掴み始め、メンバーに滑り込んだ。

「自分は各年代の代表は経験していますけど、エリートではなくて。試合に出る経験を積み重ねてどうにか成長できたのかなと思います」

 鈴木は、そう明かしていた。

「ロンドン五輪では、モロッコ戦でFW(ノルディン・)アムラバトとマッチアップしたのを覚えています。体を思い切りぶつけてもビクともせず、"やばい"と焦りましたね。でも、食いつきすぎるとスピードで裏をとられそうになったんで、(当時オランダの)フェンロでアムラバトとチームメイトだった(吉田)麻也くんのアドバイスをもらって間合いを変えて......。世界では即応が求められますが、何とかしのげて、試合中の発見がとても楽しかったです」

 鈴木は2013年、アルベルト・ザッケローニ監督が率いた日本代表でデビューを飾り、ハビエル・アギーレ監督には重用されつつあった。スペインのタラゴナでは1部昇格プレーオフを戦い、浦和レッズではアジアチャンピオンズリーグ決勝を戦った。代表には定着できていないが、戦いの中に居場所を見出してきた。今シーズンはジェフ千葉でJ1昇格を目指す。

 五輪という舞台に立つことで、選手は変身の触媒を得る。

 その点、酒井宏樹は五輪で殻を破った選手だろう。実力と経験が高みで交差。五輪の前までは基礎的なマーキングミスや判断の悪さが見えたが、強敵と戦うたび、プレーを改善させていった。失敗を糧にできるディフェンダー。それは異能と言っていいだろう。

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