女子バレー岩坂名奈が思い出す中田久美監督の言葉。「あのプレー、何を考えていたの?」

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2021年07月24日 11:51  webスポルティーバ

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女子バレー岩坂名奈
引退インタビュー 前編

 いよいよ幕を開けた東京五輪で、2大会ぶりのメダル獲得を目指す女子バレー日本代表。2017年に現在の中田久美監督が就任してから、3年間キャプテンを務めていたのが、今年4月に引退を発表した岩坂名奈だ。

 久光製薬スプリングス(現久光スプリングス)時代から指導を受けていた中田監督はどんな指揮官だったのか。親友・新鍋理沙とのエピソードも含め、自身のバレーボール人生と共に振り返る。




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――あらためて、バレーを始めたきっかけから教えてください。

「バレーを始めたのは高宮中学校(福岡県・福岡市)の1年生からですね。正式に入部する前の仮入部期間に、バスケットボール部を見学しに行こうと思ったら、その日はバレー部が体育館を使う日だったんです。入学後にできた友達が小学校からバレーをやっていて、その子に誘われて顔を出したという感じだったんですが、やってみたらすごく楽しくて。それで入部を即決しました(笑)」

――中学校の時のポジションは?

「その頃からミドルブロッカーでした。チームとしては地域の中でもそんなに強くないほうでしたが、3年生の時に、九州ブロックの『長身選手発掘育成合宿』(全国を9つのブロックに分け、長身選手の発掘育成を図る合宿)に私も呼ばれたんです。身長は、小学校6年生で180cm弱あったのは覚えていて、その合宿でも参加メンバーの中で一番高いくらいでした。ただその合宿は、周りのレベルが高すぎて......ほぼ未経験レベルだった私は別メニューでしたが、そこから一段階、成長のギアは上がったように思います」

――その合宿には、のちに久光スプリングスや日本代表でチームメイトになる新鍋理沙さんも参加していたそうですが、その時のことは覚えていますか?

「いえ、周囲の選手たちに圧倒されっぱなしで記憶にないんです(笑)。そのあと、高校に入ってから対戦相手として認識するようになりました。理沙は1年生のインターハイから活躍していて、私も会場でプレーを見ていました」

――岩坂さんが進学したのは、全国屈指の大分県の強豪、東九州龍谷高校でしたね。

「新たにたくさんのことを教えてもらって、それができていく達成感がありました。初めての全国大会が1年生の時の春高バレー(2007年)だったんですが、体育館の大きさや観客の多さなどに驚いてばかり。先輩についていくだけで精一杯という感じでしたが、チームは準優勝。翌年の春高バレーと、3年時のインターハイも優勝することができて、最後の国体が準優勝でした」




――華々しい成績を残しましたが、強豪校だと、練習も厳しかったんじゃないですか?

「今は変わったかもしれませんが、バレー部の練習時間は短くて、そこでいかに集中するかを重視していました。もちろん体力的に厳しい時もありましたけど、私自身は新しいことができていくこと、バレーの新しい楽しみ方を知れたうれしさのほうが大きかったです。今振り返ればいい思い出だった......ということなのかもしれませんけどね(笑)。もし、『もう一度、当時と同じ練習をしてください』と言われたら断ると思います」

――ユース代表やジュニア代表にも選ばれ、世界大会での優勝も経験。それを経た2009年 に久光に入りますが、入団の決め手は?

「当時の部長と副部長に声をかけていただいて、高校の監督とも相談して入団を決めました。そこで理沙と同じチームになって、『縁があるな』と思いましたよ。高卒で入団した選手は2人だけでしたから、『一緒に頑張っていこうね』と話したのを覚えています」

――同年には、18歳で日本代表メンバーに登録され、2011年のW杯では第2戦以降フル出場の大活躍。ベストサーバー部門2位、ベストブロッカー部門5位に輝き、新鍋さんと共にチーム最年少の「リサ・ナナ」コンビとして大きな注目を集めましたね。

「代表に呼ばれたばかりの時は、テレビで見ていた人たちと一緒にプレーできるうれしさと緊張が入り混じっていました。アンダーカテゴリーの代表とは違って、さまざまな世代の選手がいたので、理沙が一緒だったのは本当に心強かったです。

 2011年のW杯は、自分が持っているものをすべて出すことだけを考えて、がむしゃらにプレーしていました。その大会のおかげで、より多くの人に認識してもらえるようになったことを実感しましたし、もっと頑張らないといけないとも思いました」

――ただ、翌年のロンドン五輪は、最終メンバーに残ることができませんでした。

「チームは最終予選で出場権を獲得できた一方で、私は『何もできなかった』という思いしかありませんでした。もちろんメンバー落ちは悔しかったですけど、理沙が本戦で活躍しているのを見て自分を奮い立たせました」

――そんな2012−2013シーズン、前シーズンに久光のコーチを務めていた中田久美さんが、同チームの監督に就任します。そして3冠(皇后杯・Vプレミアリーグ・黒鷲旗大会)を達成するわけですが、岩坂さんから見た中田監督の印象は?

「初めはピリっと緊張感があるように感じましたが、すぐに、一番に選手のことを考えてくれる監督とイメージが変わりました。長く時間を割いて、選手それぞれに必要なことを伝えてくれた。これは全選手に共通することですが、普段の生活とプレーをする時のスイッチの切り替えや、目の前の1点へのこだわりなども教えてもらいました。

 プレーの意図に関しても意識が変わりましたね。ある日の練習で、『あのプレーをする時に、何を考えていたの?』と聞かれて答えられないことがあったんです。それ以降、ひとつひとつのプレーを"なんとなく"でやらないよう練習から気をつけるようになりましたし、目標の『優勝』という言葉もより具体的に、どうしたらそれに近づけるかを考えられるようになりました」

――試合ではどうでしたか?

「試合での指示はそんなに細かくはありません。『練習でやったことを出し切ろう』という感じで、チームがうまくいかない時は声をかけてくれました。その頃は、目の前の試合をどう勝ち切るかにこだわっている間にあっという間にシーズンが終わって、結果がついてくる。その繰り返しだったように思います」

(後編:悩む日もあった代表キャプテン時代)

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