天龍さんが語る“前回の東京五輪の頃” アベベのように裸足で逃走した相撲時代 ピーター見たさに六本木へ!

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2021年07月25日 07:00  AERA dot.

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写真天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「オリンピック」をテーマに、つれづれに明るく飄々と語ってもらいました。

【写真】東京五輪に負けない!?こちらの試合で天龍さんはこの盛り上がり

*  *  *
 東京オリンピックが開幕したね。選手には、無事に競技を終えられるように祈っているよ。俺は毎日テレビで応援だ。

 さて、前回大会の東京五輪は1964年、俺が上京して相撲部屋に入って1年後に開催されたんだよね。しかし、俺は当時の秋場所で足首を捻挫して、そのケガを治すのに一生懸命で、オリンピックを全然見ていなかったんだ。

 日本中でオリンピックにわいていたけど、まだ序二段だった俺はそれどころじゃなかったし、上京してすぐに、高速道路ができて、川が塞がれて、どんどん姿を変えていく東京を目の当たりにしていたから、オリンピックも「どうせまたすぐやろうだろう」と高をくくっていたんだ。俺が40歳になるくらいにはまたやっているんじゃないかって。まさか、自分の人生のギリギリ、徳俵に足がかかっているころになって、ようやく見られるとは(笑)。

 そうそう、前回の東京五輪だけでなく、1970年の大阪万博も開催中に大阪にいたのに見に行っていないんだ。そういうのに乗らない天邪鬼(あまのじゃく)な俺がカッコいいと思っていたんだろうね(苦笑)。

 でも、大阪万博の何年か前に会場予定地に連れて行ってもらったことはある。「ここが万博の会場になって、新御堂筋ができるんだよ」って、なんにもないただの雑木林を見せられて(笑)。その後に万博を見ていれば感慨もあったんだろうけど、肝心なところを見ていない。

 五輪も万博も見るチャンスがあって見ていないことをいまだに女房から「あんたは本当に変わってるわー!」と馬鹿にされるよ(苦笑)。こんなところでも“周回遅れの天龍”だな……。その頃は相撲の世界にどっぷりだったから、「俺は世間一般とは違う世界にいるんだ」とテンパっていた自分がいたのも事実だ。今回は、その頃の思い出も振り返ってみようかな。

 相撲部屋に入ってから東京の中学校に転入したんだけど、相撲取りは学生服で素足に下駄で登校しなきゃならないから、すごく恥ずかしかったことを覚えている。学校が終わったらすぐに相撲部屋に戻って掃除や洗濯、ちゃんこ番、兄弟子の雑用をしなきゃいけなくて、放課後に学校の友達と遊ぶこともなくてね。部屋に戻るのが遅いと兄弟子から「この野郎! 学校に行ってサボりやがって!」と怒られるんだ。中学生が学校の用事をこなすとサボったことになるんだよ(苦笑)。

 相撲部屋で兄弟子というのは絶対でね。後に二所ノ関部屋の親方になった金剛こと吉沢は、俺より半年くらい遅く入った弟弟子なんだけど、彼の方が2〜3歳年上。俺と吉沢は体が大きくて将来を期待されていたようで、親方から目をかけられてかわいがってもらった。

 といっても、期待されていた分だけ、全体の稽古が終わっても「嶋田と吉沢はこの後に三番やれ」と言われて、稽古が続くんだ。それで俺が負けると「弟弟子に負けやがって!」と竹刀で叩かれる。弟弟子といっても、俺が14歳で吉沢は16〜17歳、体も彼の方が全然大きいんだから、こっちはたまったもんじゃない。

 毎日、稽古のあとの稽古が本当に嫌だったなぁ……。それで全体の稽古が終わると裸足で部屋を逃げ出すこともあったよ。両国橋を越えて浜町公園のあたりまで逃げてね。まわし一丁でうろうろしているところをよその部屋の親方に見つかって「そんなみっともない格好で外を歩くな!」と怒られたこともあったっけ。

 俺は13歳で相撲に入ったけど、それから3年くらいすると高卒で入ってくる新弟子もいる。彼らからしたら俺は2〜3歳年下だけど兄弟子だ。当時は高卒で相撲に入ってくるのはタバコを吸っていたり、酒を飲んでいたりする輩(やから)ばっかりだ。二所ノ関部屋ではタバコはご法度だったから、15〜16歳の俺が18〜19歳の新弟子に「お前ら! タバコなんか吸ってんじゃねぇ!」なんて、怒ったりしてね(笑)。18歳のヤツが15歳のヤツに偉そうにされて、どうせ陰で文句を言われていたんだろうな。
 
 タバコがご法度の一方で、酒は体が大きくなるからと、10代でも相撲部屋では飲んでよかったんだ。あくまでも当時は、だからな! 浅草の6区あたりでも居酒屋やストリップ劇場では相撲取りは半額にしてくれたりと、大目に見てくれる風潮があったんだ。特に若い相撲取りは稽古が厳しくて、上下関係もあって、夜に出てきて憂さ晴らしするにはいいだろうって、甘やかしてくれてたんだろうね。当時は金もないのに飲み歩いていたよ。

 そうそう、その頃、雑誌で「ニューハーフのピーターが六本木で働いている」という記事を読んだ相撲仲間に誘われて、その店に行ったこともあるんだ。ピーターもいてチラっと見たくらいだったけど、とてもきれいな人だなと思ったね。

 そこで会計をしたら1万円ちょっとだったんだけど、2人合わせて8〜9千円しかなくてね。そこで、2人でいざというときにへそくりとして持っていた、小さく折り畳んだ千円札を出し合ってね。デカい相撲取りが体を小さくして、ちまちま一枚一枚、千円札を広げている姿は、我ながらみっともなかったよ(笑)。後にテレビでピーターに会ったときにそのことも話したよ。本人にも話せたし、今では楽しい思い出だ。

 オリンピックの話に戻るけど、プロレスラーにはアマレスでオリンピックに出場した選手も多いだろう。ただ、俺は現役当時、相手に対して「元オリンピック選手」ということを意識することはなかった。今、こうして思い返してみると、特にマサ斉藤さん、長州力、ジャンボ鶴田は動きに無駄がなく、そつなく技術的に上手かったなという印象だ。そんなことよりも、オリンピック選手として選ばれて、アマレスの頂点を極めてからプロレスに入るまでに、いろいろな葛藤があったんだろうなと、彼らの気持ちを慮(おもんばか)る方が強かったね。

 アマレスだけでなく、柔道のアントン・ヘーシンクに対しても同様だ。彼は前回の東京五輪の柔道無差別級で金メダルを取って、その後、1973年に全日本プロレスに入っているので、親近感があるんだ。オリンピックで金メダルを取った彼が、どんな気持ちでプロレス入りしたのか、余計なお世話だろうけど、その気持ちを詮索するような気持ちになったもんだ。
 
 柔道といえばロサンゼルス五輪で足をケガしつつ、金メダルを取った山下泰裕も印象的だね。当時は俺も結婚して、娘が生まれて、嶋田家の歴史が始まった中でのオリンピックだったからよく覚えているよ。その山下が金メダルを取った会場にプロレスで試合をする話があったんだけど、テロか何かの問題で無くなってしまった。そこで試合をしたかったなと今でも残念に思うよ。

 それからオリンピック選手といえば、東京五輪と1968年のメキシコ五輪に出場した体操選手、ベラ・チャスラフスカもよく覚えている。とても美人で華麗な技を繰り出していて、若い俺はとても魅了されたよ。あとはなんといってもアベベだね! 裸足で走っている姿がとても印象的だ。なんといっても、俺も裸足で相撲部屋から逃げ出したりしていたから親近感がわくんだ(笑)。

 そのせいか、本来は相撲や競馬といった、短時間で勝負がつくスポーツが好きなんだけど、マラソンだけはスタートからゴールまでずっと見てしまうね。2時間以上も走って、何度も順位が入れ替わって、ドラマがあるよね、靴が脱げてコケちゃう人とか、ね。

 今回の東京五輪はコロナ禍で、選手に迷惑がかからずに、平穏無事に終わってくれればという気持ちで応援している。選手にはなんの罪もないし、選ばれたら出場して一生懸命やるしかないからね。無事に自分の種目を終えられるように頑張ってほしい。

 今回の注目は競泳かな。そこから入って、自分のオリンピック観戦の気持ちを盛り上げていこうと思う。それから、馬術競技の会場の馬事公苑は、昔の散歩コースだった場所だ。恥ずかしながら、そこが前回と今回もオリンピック会場になっていることを知らなかった。こっちも、楽しみだね。みんなも、オリンピックにはいろいろな思い出や思い入れもあるだろう。そんな思いを乗せて、今回はテレビで選手を応援しよう!

(構成・高橋ダイスケ)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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