作家・小川糸が語る死「もしかしたら気持ちいいかもしれない」

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2021年07月25日 16:00  AERA dot.

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写真小川糸 (撮影/写真部・高野楓菜)
小川糸 (撮影/写真部・高野楓菜)
 映画化もされ、海外でも人気の『食堂かたつむり』でデビューした小川糸さん。デビュー作から「興味シンシンになりました」という作家・林真理子さんが、ドラマが放送中の『ライオンのおやつ』やデビューまでの道のりを伺いました。

【林真理子さんとのツーショット写真はこちら】

*  *  *
林:小川さんはベルリンにずっと住んでいらして、今はコロナの関係で日本にお帰りなんですか。

小川:このタイミングでないと戻れないと思って、コロナに背中を押されるような感じで、ベルリンのアパートは引き払ってしまいました。犬を飼っているので、連れてくるには検疫とかいろんな手続きが必要で、ギリギリ滑り込みで去年の3月の終わりに帰ってきたんです。

林:ベルリンって小川さんのイメージとぴったりですよね。小川さんってパリとかニューヨークじゃないし、バルセロナでもないし。

小川:ベルリンみたいにちょっともの足りないぐらいなところが、私にはちょうどいいですね。華やかなところは自分が舞い上がっちゃって、平常心でいられないんです。パリなんか何もかも素敵で、食べものもおいしすぎるし、ハレの場所だなと思っちゃうんです。ベルリンは全体的に何となく暗くて地味で、落ち着きます。

林:小川さんの『ライオンのおやつ』(ポプラ社)が連続ドラマ化されて、今、NHKのBSプレミアムで放映中ですけど、私、本を読んでいたら、途中で涙が出てきそうになっちゃいましたよ。主人公の雫ちゃんはいろんな人と友情を結ぶけど、舞台がホスピスだから、次々と亡くなってしまうじゃないですか。

小川:そうですね。

林:すごく悲しかった。なんでホスピスを舞台にしたものを書こうと考えたんですか。この若さで。

小川:大きかったのは、ずっと疎遠になっていた母が亡くなったことなんです。あるとき、電話で母は「死ぬのが怖い」と言ったんです。私自身は自分が死ぬことに対する恐怖をそんなに感じたことがなくって、だから母が言った「怖い」という言葉が衝撃的で新鮮だったんですね。死ってつらくて怖くて悲しいものというイメージができあがってるけれど、もしかしたら気持ちいいかもしれないし、違う側面があるかもしれない。それを提示してみたいなって。

林:この「ライオンの家」というホスピスに入っている人たちは、管につながれたり寝たきりにされたりしないで、少しずつその日に向かって進んでいくわけで、こういう理想的な死が訪れるところがあったらいいですよね。

小川:ほんとですね。どう死ぬかは、それまでどう生きてきたかにつながっていると思うんです。さらにいえば、死って、大きなパワーを秘めてるのかもしれないな、って、母が亡くなってから感じるようになりました。

林:小説のなかで、日々の恐怖だとか孤独を救ってくれるのがおやつなんですよね。カヌレとか、台湾の白いフワッとしたお豆腐のようなスイーツとか、ほんとにおいしそうで、読みながらついつい私もおやつを食べちゃいましたよ(笑)。小川さん、ふだんおやつを召し上がる習慣はありますか。

小川:コロナの世の中になってから、3時ぐらいをお茶の時間と決めています。家に何かしらある甘いものを食べて、小さい急須でお茶をいれて飲んでいます。ちょっとした焼き菓子とか、素朴なものが好きですね。

林:ご自分でもつくるんでしょう?

小川:はい。甘いものが何もないときは、卵と粉とお砂糖があったら、スポンジケーキを焼くとか。

林:ほんとに小説の主人公そのものですね。この『ライオンのおやつ』は書きおろしですか。

小川:そうなんです。

林:やっぱり。村上春樹さんとか東野圭吾さんとか、いま売れっ子の人は連載なんかやらないで、書きおろしですからね。理想的なスケジュールで、私にはそんな日がいつ来るか、という感じですけど。

小川:私は締め切りに追われるという状況が苦手で、もし連載になっても、最後まで全部書いてから、それを分割して出すんです。

林:そういう作家生活がいちばんうらやましいな。小川さんは『食堂かたつむり』(2008年)でデビューなさったんですね。あそこに出てくるお料理、どれもおいしそうだし、小川さんの人柄も出ているし、今の世の中はこういうやさしい小説を欲してたんだろうなとつくづく思いましたよ。不倫だとか、殺人だとかじゃなくて。

小川:でも、私、癒やし系って言われるんですけど、そんなにポカポカしてるわけでもないという気がしてるんです。

林:たしかにそう。小川さんって、作品にわりと毒を入れてくるんですよね。『食堂かたつむり』でも、亡くなったお母さんの形見の豚ちゃんを育てるのかと思ったら、解体して食べちゃうじゃないですか。

小川:アハハハ。

林:それも小川さんのすごいところで、解体業者に持っていって、「あら、肉になっちゃったわ」じゃなくて、リアルに、おなかを切って内臓を取り出して、肉を刻んでいくから、私なんか「ヤだァ〜」という感じでしたよ。ああいう毒を仕込んでいるところが、単に癒やし系じゃないですよね。ちなみに小川糸さんって、何とも言えない素敵な音色ですが、ペンネームですよね。

小川:もともとは、言葉と言葉をつなぐという意味で「糸」とつけたんですけど、糸を上手につなぐには針のようにチクッとするものも必要で。書く道具として、「針」はすごく大事だなと思っています。

林:なるほど。小川さんは山形県ご出身ですけど、作家になりたいと思ったのは、いつなんですか。

小川:私の通った小学校では、日記を書いて、それに先生がコメントをくれるという教育をしていました。そこに私は、日々の出来事を書いたりせず、物語の断片というか、空想の世界のことを書いてたんです。それを先生がほめてくれたのが、すごくうれしくて。

林:ほォ〜。

小川:それが原点になっているので、物語を書きたいなという思いは10代の後半からあったんですけど、大人になるにつれて、それがいかに大変かということもわかってきて。だから、そう簡単になれるものではないなと思っていました。

林:東京の大学では何を専攻されてたんですか。

小川:古代日本文学です。『古事記』ですね。

林:文学少女は誰でも考えるように、編集者になりたいとは考えなかったんですか。

小川:学生のとき、まずはそう考えました。雑誌のライターになろうと思って、編集プロダクションに入ったんです。

林:あら、それは厳しい道を選びましたね。プロダクションではどんな仕事をされたんですか?

小川:新しい情報誌を創刊するということでスタッフが集められて、ライターをしました。でも、創刊して1、2号で休刊になっちゃって、もう解散、仕事はありませんって言われて。それで、「なんというひどい世の中なんだ。もう人の下で働くのはイヤだ。小説を書こう」と思ったんです。

林:ちゃんと書けました?

小川:いえ、そこからの10年ぐらいがつらいつらい時間でした。当時の私は業界の仕組みがよくわかっていなくて、歴史小説が好きな編集者にジャンルの違う原稿を持っていって「おもしろくない」って言われるとか、トンチンカンなことばかりやっていたと思います。ほんとにつらかったので、最後に、自分のいちばん身近な世界で、日々料理をつくりながら感じていることを物語にして、これがダメだったらあきらめようと思って。それで『食堂かたつむり』を書いたんです。

林:最後まで書けたってすごいですよ。私も大学を出て就職できなかったときに、中沢けいさんが『海を感じる時』でデビューして新人賞もとったのを見て、私も書こうと思って、書いたこともないのに書き始めたんですけど、3カ月で書けたの18枚ぐらいでしたよ。

小川:私はあきらめたらそこで終わりだったので、「粘ったで賞」みたいな気がします(笑)。誰も読むあてがない小説を書くってしんどいですよね。

林:私も編集者がいたから書けたんだと思う。編集者もいないし、締め切りもない作家志望の女の子が、手書きでやると10枚書いたらイヤになっちゃいますよ。それで、ポプラ社の小説大賞に応募したんですか。

小川:応募しましたが、途中で落ちちゃいました。でも、編集の方が手をあげてくださって、そのあと直して本になったんです。それがなければ、ぜんぜん違う人生でした。

林:そこで運命が変わったんですね。

(構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)

小川糸(おがわ・いと)/1973年、山形県生まれ。2008年、『食堂かたつむり』でデビュー。同作は映画化され、英語をはじめ、フランス語、スペイン語、イタリア語など多言語に翻訳される。11年にイタリアのバンカレッラ賞、13年にフランスのウジェニー・ブラジエ賞を受賞。『つるかめ助産院』『ツバキ文具店』など著書多数、エッセーや絵本なども手がける。その丁寧なライフスタイルも、多くの支持を得ている。現在、『ライオンのおやつ』(ポプラ社)がドラマ化され、NHKのBSプレミアムで放映中。

>>【後編/無冠のベストセラー作家・小川糸が「あした死んでもいい」理由】へ続く

※週刊朝日  2021年7月30日号より抜粋

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