「アダルトサイトに驚愕。吉牛好き」 編集者が明かす「知の巨人」立花隆

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2021年07月25日 16:00  AERA dot.

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写真延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。立花隆さんについて。

【写真】通称猫ビルの前に立つ立花隆さん

*  *  *
 立花隆さんの訃報記事の多くに「知の巨人」とあり、大仰なそんな言葉でくくられる前に生の姿をもっと知りたくなった。

 僕もディレクター時代、猫ビルに行った。記者泣かせとは知らなかったが、自慢のオーディオでモーツァルトを流し、小学生時代、鉱石ラジオで科学にのめり込んだという話をしてくれた。「不思議だよね。電源もないのに空の電波を銅線と鉱石がキャッチして、音楽が聴こえるんだから」

「僕も立花さんの担当でした」と親しい編集者が言った。月刊誌の連載を3年程担当していたという。

 当時、20代だった彼は心の中で立花さんを「タッくん」と親しみをこめて呼んでいた。このあだ名を唱えれば、何があっても怖くない、腹も立たない。

 猫ビルに原稿を取りに行っても「あっ」と声を発するだけ。「はい?」と聞き返すと「え?」と怪訝(けげん)な顔に。一切口をきいてくれない。嫌われたってこと?

 インターネットが初めて繋がった日のタッくんの笑顔は忘れられない。とにかく嬉しそうで、あちこちのサイトを見ていた。「ほら、すごいよ! おっ!」。タッくんはアダルトサイトに驚愕(きょうがく)していた。まるで10代の少年のように。

 一緒に取材に出かけたこともあった。相手宅に着くと「で?」とタッくんがこちらを向く。要は邪魔だということ。取材中、一人で何時間も散歩した。近所の奥さんに「大変ねぇ」とねぎらわれた。

 帰りの車中、席に座るなりタッくんが寝始めた。インタビュー相手は現代音楽の世界的権威だった。事前に徹底的に調べるのが流儀。とにかくぎりぎりまで。それで疲れてしまったのか、乗り換えの駅で「先生、先生」と起こすのが大変だった。その音楽家が亡くなると、通夜にも同行したが、タッくんは哀しげだった。

 立花さんは母校・東大でゼミを持った。駒場に乗り込んでの白熱授業。「若い人に優しかったな。ゼミ合宿に差し入れもしました。吉牛(吉野家の牛丼)が大好きだったから(笑)」

 校了の夜は1時間おきに電話をした。朝方まで原稿の進み具合をチェックするのだ。その都度2、3枚がファクスで届く。電話には出るが例によって、「あっ」の一言で切られる。電話の間隔をあけたことがあった。原稿は進んでいなかった。「君が(電話を)かけてこないから書かなくていいんだと思ったよ」との言い訳には苦笑した。

 オウム真理教幹部だった村井秀夫刺殺事件があった夜、「大変な事件が起こりました」と伝えると、「えー!!」と珍しく感情をあらわにしたかと思うとガチャン。それから電話に出なくなった。

「まずい。原稿が落ちる」。呆然とテレビを眺めていたら、なんと筑紫哲也さんの「ニュース23」に生出演しているではないか!

「マジかよー。余計なことを言わなければよかった」

 深夜1時過ぎ、恐る恐る電話した。「……どうですか? お原稿」。ジーッとファクスが鳴り、落とすつもりはないんだと胸を撫でおろした。しかし、どんな時も自分の興味に食いつくのはさすがと思った。

 早朝、連載原稿が整い、嬉しくて猫ビルに吉牛を持って行った。「ありがとう」とタッくんは優しかった。

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞

※週刊朝日  2021年7月30日号

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