「挑戦をやめるという選択肢も」400メートル個人メドレー「金」大橋悠依がコーチから言われたあの日

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2021年07月25日 17:15  AERA dot.

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写真競泳女子400メートル個人メドレーで金メダルを獲得し、喜ぶ大橋悠依(gettyimages)
競泳女子400メートル個人メドレーで金メダルを獲得し、喜ぶ大橋悠依(gettyimages)
 東京五輪は7月25日、競泳の決勝種目が始まり、女子400メートル個人メドレーで2019年世界選手権銅メダリストルの大橋悠依(25)が金メダルを獲得した。タイムは4分32秒08。同種目での五輪金メダルは日本女子で初めて。今大会の日本競泳陣で初のメダル獲得ともなった。

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 競泳の中で最もタフな種目の一つと言われる400メートル個人メドレー。一方、「繊細」と周囲から心配され、何度もくじけそうになった日本女子のエースは、五輪初出場で表彰台の一番高いところに立ち、涙をぬぐった。

「『オリンピックチャンピオン』のコールに、自分がオリンピックチャンピオンになったんだなとうれしさがあふれました。正直まだ信じられない気持ちでいっぱいです」

 前日の予選は4分35秒71で2組トップ、全体3位で決勝進出を決めていた。この日の決勝では、最初のバタフライで3位となると、次に得意の背泳ぎで2位に順位を上げた。平泳ぎで2位に1秒半以上の差をつけ、最後の自由形で2位以下にほぼ2秒の差をつける快勝だった。

 無観客の会場には日本の競泳陣が応援に駆けつけた。大橋が最後の50メートルで体一つ分以上の差をつけると勝利を確信し、拍手が巻き起こった。大橋はゴール後、何度も記録が映し出された電光掲示板を見つめ、プールを上がると顔を覆って涙をこぼした。

 滋賀県彦根市出身。この歓喜の瞬間まで試練が続いた。東洋大学時代はけがや重度の貧血に苦しみ、日本選手権の女子200メートル個人メドレーで最下位に沈んだこともあった。

 食事を改善するなどして急激に力をつけ、21歳で初めて日本代表入り。トップ選手は高校時代から台頭することが多いだけに、「遅咲きのエース」とも言われた。大学4年の17年日本選手権の女子400メートル個人メドレーでは日本記録を3秒以上更新して優勝。同年の世界選手権では200メートル個人メドレーで銀メダルに輝いた。

 ただ、その後も順調ではなかった。19年の世界選手権では400メートル個人メドレーで銅メダルを取ったが、200メートル個人メドレーでは泳法違反で失格した。エースの重圧にも苦しんだ。

 この日の表彰式後、メダリスト会見に臨んだ大橋はこう振り返った。
「正直全然うまくいってなくて、金メダルを取れるなんて昨日の予選を泳ぎ終わるまでは一瞬も思ったことはありませんでした」

「余計なことは考えずに自分のレースだけに集中して、もう周りは見ないで泳ぐというのが金メダルを取れた一番の要因だったかなと思います」

 大橋が東洋大学に入学した当時から指導を続けてきた平井伯昌・日本代表監督も教え子の快挙を喜んだ。

「(レース前は大橋が)『すごい緊張している』って言ってね。は行ばっかり。はあはあ、ふうふうと言ってて。ほんと、よくがんばってくれたなと思うし、俺もよく頑張ったなと。報われました」

 また、こうも言った。

「(高校生のときに見た最初の印象は)才能に満ちあふれていると思いました。だけど、才能っていってもすぐに磨けるような才能じゃなくて、すごく手をかけていかなければいけない才能。繊細なんで、難しいところもあった」

「今回も大学の仲間がアルバムを作ってくれて、彼女を精神的にも支えてくれたので、正直万全な練習ではなかったですけど、最後うまく整って今日の決勝につながった」

 レース後の取材エリアやメダリスト会見での大橋と記者との一問一答は次のとおり。

――おめでとうございます。取った瞬間の気持ちは。

正直、最初に掲示板を見たときは「あ、逃げきれたな」と思いました。

――フリー(最後の4種目目の自由形)に入ったとき、怖さっていうのは?

 そうですね。この距離で逃げ切れるかどうかっていうのと、300〜350(メートル)を攻めると平井先生とも決めていたので、そこがすごくよかったと思います。

――差を縮ませなかったということで、もしかしたら勝てるみたいな気持ちは。

 (16年の)リオデジャネイロ(オリンピック)のときも(男子400メートル個人メドレーで金メダルを獲得した萩野)公介さんがそうだったと思うんですけど、300〜350で相手に追いついてきたと思わせちゃうと、向こうも元気になってきちゃうので、300〜350で攻めるというのはリオが終わってから言われていたので、できて良かったと思います。

――表彰台に上ったときの心境を教えてください。

 全然実感がなかったんですけど、上る前に「オリンピックチャンピオン」というコールがあって、自分がオリンピックチャンピオンになったんだなと思ってうれしさがあふれた。正直まだ信じられない気持ちでいっぱいです。

――女子400メートル個人メドレーでは日本勢初の金メダル。過酷な競技でタフな海外の選手が強かった種目で、日本人として勝てた理由として思い当たることは。

 やっぱり、(16年の)リオデジャネイロのオリンピックが終わってから、自分がこの種目を引っ張っていくぞと言う気持ちが大きくなって、引っ張ってきた自信もありますし、それがすべて出せたレースだったなと思います。17年(当時日本記録の4分31秒42)、18年(日本記録の4分30秒82)の記録があったからこそ、今日強い気持ちで挑めたと思うので。やっぱり、4個メ(400メートル個人メドレー)をやめておいたほうがいいと思っていた時期もありましたけど、泳ぎ続けてきた経験がすべて生きたレースだったと思います。

――今どういうふうに感じているか。実際に金メダルを取るために一番大切なこと、重要なことは何だったと思うか。

 今はうれしい気持ちと、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。正直、昨日の予選が終わってから、もしかしたら金メダルを取れるかもしれないという考えもあって、ただ、余計なことは考えずに自分のレースだけに集中して、もう周りは見ないで泳ぐというのが金メダルを取れた一番の要因だったかなと思います。

――金メダルを取れたのは、ご両親の支えも大きかったと思います。あらためてサポートへの思いは。

 そうですね。やっぱり一番苦しいときを見てくれていた人なので、やっぱり自分が貧血のときとかすごく支えてくれましたし、水泳のことは詳しくない両親なので、あまり口うるさく言わずにいつでも見守っててくれて。特に社会人になってからはそんなにうまくいくことばかりじゃなかったんですけど、いつでも、どんなタイムでも優勝したら優勝おめでとうと言ってくれたり、レースに行く前に「楽しんで」「悠依らしく泳いでおいで」といつでも言ってくれたので。うーん、なんか両親も信じられないと思うんですけど、家族みんなで取った金メダルだと思います。

――(200メートル個人メドレーで銀メダル、400メートル個人メドレーで4位だった)17年の世界選手権のレースで「ゾーンに入っていた」と話していた。17年の自分を超えられた実感は?

 昨日も少し考えることがあって、やっぱり特にこの2年間は楽しくないレースも多くて、どうやったらあの17年の頃のように泳げるのかなとか、戻れるのかなって考えていたんですけど、たぶんもう、何もプレッシャーや怖さを知らなかったときに戻るのは絶対に無理だから、そのすべてを受け入れて泳ぐしかないというふうに、オリンピックの舞台で決めることができたので。今日もすごく落ち着いていてレースはできましたけど、やっぱり全然17年の頃とは違うものがあるなと思います。

――昨日も今日も平泳ぎではかなり差を広げていた、うまくいっていた要因。平井先生にレース前に勝つための戦略は?

 そうですね。気持ちは前を向いているといっても、やっぱり朝の時間なので、おそらく昨日より速く入ろうとか、思ってもエネルギーを使うだけでタイム的にはそこまで変わらないだろうとも平井先生とも言っていたので、最初の200(メートル)は落ちついて、昨日の平泳ぎはすごくいい泳ぎができたので、朝のアップに入ったときも感覚がよかったので、バック(背泳ぎ)でターンしたところからが勝負で、そこからギアを入れ替えていくという思っていたとおりのレースができた。

 平井先生には、レース前は「緊張する」って言っていたんですけど、「緊張して当たり前だから思い切っていくだけだぞ」ということと、「とにかく周りは見ずに自分の決めたレースをやったら大丈夫だから」と言われて落ち着いてレースができました。

――今シーズン決して絶好調という流れではなかったと思うんですけど、その期間中も金メダルを取るという目標をぶらさずにやってきたのか、違うところに目標を置きながらやってきたのか。また、調子を上げるきっかけになる出来事やターニングポイントがあれば教えてください。

 正直全然うまくいってなくて、えーっと、本当に金メダルを取れるなんて昨日の予選を泳ぎ終わるまでは一瞬も思ったことはありませんでした。(日本)選手権、ジャパンオープンと過ごしてきて、最後の(合宿先の)長野の試合も出させてもらったけど、そのときでさえ、「もしかしたら決勝にも残れないかもしれない」という不安があるぐらい状態がよくなくて。
 
 でも、長野の最後の試合が終わったタイミングで、自分の不安要素が全部さらけ出されて、心がいったん折れたんですけど、先生と話して「チャレンジするのをやめるという選択肢もあるんだぞ」と言われて、一晩時間をもらって考えて、ここにチャレンジするというのを決めたので、そこからどんな練習がきても粘ることができたのと、選手村に入ってから気持ちもすごくワクワクしてきて、トレーナーさんの力も借りながら体もよくつくってもらえて。もしかしたらうまくいくかもしれないと思ったのは選手村に入ってからです。

――ひと晩考えてチャレンジしようと決めた最大の理由は。

 400(メートル個人メドレー)をやめて、200(メートル個人メドレー)に集中しようと思ったこともあったんですけど。ただやっぱりメダルが絶対に取りたいという思いはあったので、メダルに近いほうと思ったら400だなと思って挑戦することを決めました。

(編集部・深澤友紀)

※AERAオンライン限定記事

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