五輪の「被災地」「復興」ないがしろが酷い! コンセプトから消し、開会式でもアリバイ的な扱い…被災県の子どもの深夜動員にも批判

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2021年07月25日 23:00  リテラ

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リテラ

東京2020オリンピック競技大会公式ウェブサイトより

 23日におこなわれた東京五輪開会式の演出をめぐり、「恥ずかしい」「しょぼすぎ」という批判が巻き起こっている。世界的な映画監督でもある北野武は24日放送『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS)のなかで「税金からいくらか出してる。金返せよ! 困ったねえ」「外国恥ずかしくていけないよ俺。本音はそうでしょ? あれ、素晴らしかったですか?」と酷評した。



 たしかに、開会式の演出・内容は東京五輪に賛成か反対かは関係なくひどいものだった。何しろ最初のパフォーマンスが、アスリートがランニングマシーンやエアロバイクなどで黙々とトレーニングするというもの。「コロナ禍でのアスリートを表した」らしいが、表現が安直で稚拙すぎるうえ、これでは、コロナの困難をアスリートだけの問題に矮小化するようなものではないか。



その後も、火消しや大工、職人に扮した人たちのパフォーマンス、ピクトグラムを人間がマイムで表現するパフォーマンスなど、社会への視点も必然性もまったく感じられない小ネタが続く。さらに、劇団ひとりと荒川静香が五輪開会式の照明スタッフに扮してイタズラするというロンドン五輪のMr.ビーンのバッタもんのようなVTR、複数回登場したなだぎ武らがテレビクルーに扮した寸劇にいたっては、レベルの低いバラエティ番組のコントを見せられているようだった。



あれで閉会式合わせて165億円もの予算をかけているとなれば、「金返せ」と言いたくなるだろう。



 だが、問題はその中身の「お粗末さ」だけではない。最大の問題は、東京五輪の出発点だったはずの「復興五輪」というテーマが、開会式ではまったくフィーチャーされなかったことだ。



全体を通じて、「震災からの復興」をテーマとしたパートは一切ない。IOCのトーマス・バッハ会長や組織委の橋本聖子会長が挨拶でアリバイ的に触れた以外は、「震災」「復興」の言葉すらまともに出てこなかった。



披露された映像映像やパフォーマンスにもそのメッセージを打ち出すものはまったくなかった。むしろ、「震災」や「復興」を意図的に避けているのではないかとさえ思えるほどだった。



たとえば、オープニング直後に流された映像も、2013年の招致決定の瞬間から現在までを振り返るだけで、2011年の震災は入っていなかった。



 また、式の序盤に森山未來のダンスが披露されたが、その際、「新型コロナウイルスで亡くなった友人・家族をともに偲ぶ時間」とアナウンスされ、「この世を去ったすべてのオリンピック選手」、なかでも「1972年のミュンヘン大会中に襲撃され死亡したイスラエル選手団」への黙祷が捧げられたが、東日本大震災の犠牲者に黙祷が捧げられることはなかった。



●聖火ランナーとして被災3県の子どもを登場させるも詳しい説明なし、完全にアリバイ的



ほかにも、「復興」の要素を入れようと思えば、いくらでもできたはずだ。前述のような何の必然性もない劇団ひとりのコントや人間ピクトグラムをあんなに長々とやる暇があったなら、被災地を紹介するVTRを流すとか、東北の文化を紹介する時間だってつくることができただろう。今回の開会式では五大陸を中継で結び、各大陸代表が「イマジン」を合唱したが、被災地と中継で結んでダンスや歌を披露してもらうことも可能だった。実際、紅白歌合戦や民放の音楽特番でもそれくらいのことはやっている。



しかし、東京五輪開会式は「復興五輪」を掲げながら、そういうことさえまったくやろうとしなかった。



 結局、開会式でかろうじて「復興五輪」を表していたと思えるのは、聖火リレーの模様をまとめたVTRのなかで宮城や福島に触れられた場面、五輪旗を掲揚する際のBGM・オリンピック賛歌を東京の豊島岡女子学園高校の生徒とともに合唱したのが、福島県立郡山高校の生徒だったこと、聖火台への点火者となった大坂なおみ選手に聖火をつないだのが岩手・宮城・福島の被災3県の6人の子どもたちだったことくらいだった。



 だが、そのわずかに「震災」「復興」に関係しているように見える数少ない場面も、「おざなり」としか言いようのないものだった。



まず、聖火リレーのダイジェストVTRは、聖火がギリシャから宮城に到着したこと、福島県楢葉町からリレーがスタートしたことに触れただけで、震災や原発事故、復興についてきちんと言及したわけではない。



前述の郡山高校の合唱にしても、ただ校名が読み上げられただけ。岩手・宮城・福島の子どもたちの聖火リレーにしても、岩手・宮城・福島の子どもたちであることと、子どもたちの名前が読み上げられただけ。岩手、宮城、福島のどういう町から来たのか、その町の被災や復興の様子はどうなのか、本人や家族が震災や復興過程でどのような経験をしたのか、どんな思いを抱いて臨むのかといった背景はまったく紹介されることがなかった。岩手・宮城・福島が東日本大震災の被災地であることすら触れていない。日本に住む人なら被災地とわかっても、海外の人にはまったく伝わらないだろう。



 1964年の東京五輪の最終ランナーは、広島に原爆が投下された1945年8月6日に広島で生まれた青年が務めたことは有名な話だが、それも「1945年8月6日に広島で生まれた」という背景がきちんと説明されているからこそ、平和への強いメッセージが伝わっている。



 今回はまるで、とりあえず東北3県の子どもを入れておけばいいだろう、とアリバイ的に盛り込んだとしか考えられないようなものだった。 



●コンセプトから消えていた「復興」の文字 開会式の制作責任者は「たまたま書いてないだけ」



しかし、考えてみれば、こうした開会式になるのは当然だろう。組織委はおそらく直前まで、ほんとうにこの「震災」や「復興」というテーマを「どうでもいい」と考え、むしろ排除しようとすらしていた。



その証拠が、今月14日、組織委が発表した「東京2020開閉会式4式典共通コンセプトならびに東京2020オリンピック開閉会式コンセプト」だ。発表されたこのコンセプト文書には「コロナウイルスというかつてない困難」「コロナウイルスという驚異」という文言はあったものの、「震災」や「復興」の記載が一切なかった。



しかも、同日14日に日刊スポーツが配信した、開会式の制作責任者である組織委の日置貴之氏への独占インタビューでは、「東京五輪招致の起源だった「復興五輪」という言葉をコンセプトに盛り込まなかった意図は」という質問に対し、日置氏はこう回答していた。



「省いたつもりはない。たまたま書いてないだけ。演出には復興の観点もあり、1ミリも忘れていない」



「たまたま書いていないだけ」という雑な言い方からも、「復興五輪」というテーマがいかにおざなりになっていたかがわかるが、このインタビューにおける日置氏の発言が終始“上から目線”で居丈高だったことも相まって、ネット上では日置氏への批判が殺到。「1ミリも忘れてないなら言葉にするやろ」「たまたまなわけない。意図的に省いたんだよ」「復興のことなんて1ミリも考えていないということ」などという批判が巻き起こっていた。

 

そして、今回の開会式、前述したような震災、復興へのおざなりな扱い、アリバイ的でしかない内容を見ていると、この14日のコンセプト発表まで、組織委は本当に「復興」がテーマであることを完全に忘れていた、あるいは一切無視しようとしていたのは間違いないだろう。



 実際、開会式で唯一、震災・復興につながりのある数少ないシーンのひとつ「被災3県の子どもたちの聖火リレー」にしても、「急ごしらえだったのではないか」という疑惑の目が向けられている。



●被災3県の子どもたちの深夜登場に「労働基準法違反」の声 急遽動員の結果か



開会式の翌日、24日の午前に放送されたフジテレビの東京五輪番組で、開会式の舞台裏に独占密着した模様を放送したのだが、そのなかで、被災3県の子どもたちが開会式の4日前に国立競技場に呼び出され、組織委の橋本聖子会長が聖火ランナーに任命。そのあとすぐリハーサルに行かされたことが明かされた。



 このあまりに急な任命の仕方に、「14日のコンセプト発表で『復興』がないことを批判されたから、急遽盛り込んだのではないか」という声が上がっているのだ。



 もちろん、これはサプライズ演出や情報が事前に漏れるのを防止するためで、候補者の決定や保護者、学校への依頼はもっと以前になされていた可能性もある。



しかし、一方で、この子どもたちの動員の仕方があまりに不自然なのも事実。というのも、子どもたちの役割が開会式のクライマックスである聖火リレーだったため、その時間が24時近くになっていたからだ。



当然ながら、ネット上では、「こんな遅くに子どもを出させていいのか」「労働基準法や東京都青少年の健全な育成に関する条例に引っかかるのでは」という批判や指摘が相次いでいる。基準法には例外措置があるといっても、こんな公的な大会で深夜に子どもにパフォーマンスをさせるというのは常識的にありえない。



 この深夜動員の事実が、「復興五輪のテーマを土壇場で入れ込むには聖火リレーしかなく、無理やり生で動員したのではないか」という疑惑に拍車をかけているのだ。



 子どもたちの開会式聖火リレー動員が以前から決まっていたとしても、前述したような説明の欠如、急ごしらえぶりをみると、組織委が開会式でこの「復興」のことを歯牙にもかけていなかったのは間違いない。



 実際、コンセプト文書が発表された14日、共同通信が前出の日刊スポーツのインタビューとは別に、開会式制作責任者・日置氏との一問一答を配信していたのだが、「演出に日本の歴史や文化、大会テーマである復興や感染症との戦いも入ってくるか」という質問に対して、日置氏は「最初から検討の中に入っているし、大会ビジョンにつながる要素は多い。当然そこにコロナも加わる」とは言ったが、「復興」という言葉は一切使わなかった。



●橋本聖子は「コンセプトに復興五輪はない」と問われ「今も入ってない?」とうろたえ



 また、橋本聖子組織委会長も21日に開いた会見で不可解な反応を見せていた。被災3県の子どもたちに聖火リレーを任命した2日後の会見だったためか、橋本会長は開閉会式に「(復興というテーマは)しっかりと入っております」「心に被災地の火がともるようなものが込められたオープニングであることに期待しています」と語ったが(あの内容で自信満々というのも呆れるが)、問題はその発言の前。



記者から、コンセプト発表文書に「復興五輪」の記載がどこにもなかった理由を問われると、橋本会長は「いまも入ってない?」と、まだコンセプトが修正されていないこと自体に驚き、慌てて「リリース上、入っていなかったということでありますけど、これは確実に入らなければいけないものですので、私自身も確実に入るものだとちょっと思っていました」と言い繕ったのだ。



その様子は、組織委がコンセプトの発表文書に記載がないことで批判を受けて、慌てて急場凌ぎの対応をしていたことを物語るものだった。



だが、こうした姿勢は組織委だけではない。菅首相は日本時間23日に公表された米NBCテレビのインタビューのなかで「世界で40億人を超える人がオリンピックを見ることになる。新型コロナウイルスを克服して開催することに真の価値がある」などと発言。「コロナを克服」するどころか感染拡大が止まらない状態なのだが、もはや開催の大義名分は「復興五輪」から「コロナ」に移っている。



本サイトでは以前から、五輪開催決定によって東京で建設ラッシュが起きたために人手不足や建築資材の高騰が起きたことなどから、むしろ東京五輪が被災地の復興を妨げたと指摘してきた。その上、肝心の開会式でも「復興五輪」を消し去るとは──。いかに東京五輪が嘘まみれであるか、またひとつはっきりとしたと言えるだろう。

(本田コッペ)


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