フェンシングが金メダル獲得。モータースポーツ界で最も喜びを知る星野敏に聞く、メダル獲得への過程

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2021年07月31日 21:41  AUTOSPORT web

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写真スーパー耐久、WECでアストンマーティンを駆る星野敏。フェンシングでの金メダル獲得を大いに喜んだ。
スーパー耐久、WECでアストンマーティンを駆る星野敏。フェンシングでの金メダル獲得を大いに喜んだ。
 7月30日、現在日本のメダルラッシュに沸く東京オリンピック2020大会で、またひとつ偉業が達成された。フェンシング男子エペ団体で、日本フェンシング初の金メダルを見延和靖、山田優、加納虹輝、宇山賢の4人が獲得したのだ。そんな吉報をモータースポーツ界で誰よりも喜んでいるのが、ジェントルマンドライバーとして日本で、そして世界で戦うD'station Racingの星野敏だ。一夜明け、星野にその喜びと、自らが設立したNEXUS FENCING CLUBの所属選手である見延の金メダル獲得について聞いた。モータースポーツとは直接関係ないトピックだが、ご紹介しよう。

 2021年はWEC世界耐久選手権、スーパー耐久に参戦する星野は、2020年実績で2,672億の売上高を誇るNEXUSグループ代表としてのビジネスマンの顔をもつ一方、もともとのクルマ好きが高じ、起業後モータースポーツに挑戦。これまでドライビングを学んできた頼れるパートナーでもある藤井誠暢との二人三脚でステップアップを続け、いまや日本のジェントルマンドライバーのトップクラスの実力をもつ。今季はル・マン24時間へ挑むべく、WECへの挑戦を続けている。

 2017年には自チームであるD'station Racingを設立し、チームオーナーでもある星野だが、ビジネスマンとして起業する前は、フェンシングで活躍するアスリートだった。「たまたま高校の担任が顧問だった」きっかけで始めたフェンシングでは、1983年に全日本選手権で優勝し、1985年から87年まで、三度世界選手権に出場しているのだ。

 そのフェンシングへの愛情は起業してからも続いており、日本フェンシング協会の理事、さらに会長を歴任。会長職は星野正史氏から太田雄貴氏、そして現在の武井壮会長に継がれているが、2008年にはNEXUSグループ内にNEXUS FENCING CLUBを設立。後進の育成に努めている。NEXUSグループ内では、モータースポーツ、フェンシングがふたつのスポーツ振興の柱となっている。そして今回の金メダル獲得のメンバー、見延和靖はNEXUS FENCING CLUBの一員だ。

「2008年に太田雄貴選手が北京オリンピックで銀メダルを獲りましたよね。その時は日本フェンシング協会の理事で、『フェンシングの波が来ただろう』と思い、社内でフェンシング部を作ったんです。その後は最大で15名くらいのメンバーになったんですが、毎回オリンピックには選手を輩出していたんです」と嬉しい金メダルの翌日、星野に喜びを聞くとこう教えてくれた。

「ロンドン、リオデジャネイロと選手が出ていたんですが、リオでは見延選手の6位が最高でメダルはなかったんです。しばらくメダルがなかったので落ち込んでいたんですね。フェンシング協会の会長にもなり、太田雄貴、武井壮と会長が受け継がれていきましたが、私もずっとフェンシングに関わってきました。見延はずっとウチにいるのですが、チームを引っ張ってきてくれた存在で、世界ランク1位にもなったので、彼が金メダルをとってくれたのはすごく意味があることだと思います」

■星野が語る『エペ』という種目と見延和靖
 ふだんからストイックで、サーキットではあまり口数も多くない星野だが、ことフェンシングのことになると非常に饒舌で、今回金メダルとなった『エペ』という種目についても熱く語る。「エペというのは、世界でいちばん競技人口が多いですよ。もともとフェンシングはフランス発祥で、貴族が女性や財産を争う決闘から始まったんです。『先に血を流した方が負け』で、相討ちの場合は勝敗がつかなかったんです」と星野。

「全身が有効面で、速く突いた方が勝ちなので分かりやすいし、競技人口が多いんです。でも体格で有利な方が強いので、日本はローマオリンピックから出場していますが、なかなか3種目のなかで勝てなかったんです」

「一方でフルーレというのは、日本人が勝つ手段として、私もそうでしたが、みんなフルーレから始めるし、強化してきたんです。フルーレが花形で、そこで勝てない選手がエペやサーブルに転向していたのですが、見延選手もフルーレからエペに移ったんです。山田優選手もそうですね。今は違うのですが、そういう歴史があったんです」

 そんなフェンシング界ならではとも言えるエピソードを知るのは、星野がフェンシングを支え続けてきたからこそだ。「だから見延選手も『フルーレに負けたくない』、『活躍してやる』という思いがあったんですね。最近はワールドカップで優勝したり、世界ランク1位になったりと活躍していたんです」

「今回の4人はみんなランクは上だったのですが、今までなぜか団体では勝てなかったんですね。でも、4人のレベルが高いから期待はしていたんです。総合力では勝てると思っていたのですが、今までは実績がなかった」

「でも今回、オリンピックで金メダルをとることができました。今まではフェンシングは銀メダルしかとったことはなかったので、みんなの夢だったんです。6000人くらいしか競技人口はいませんが、みんなの思いが叶った瞬間でした」

 金メダル獲得の歓喜の後、星野のもとには金メダルを祝うメッセージが100件以上も届いたという。「私がWEC第3戦モンツァで3位表彰台を獲ったのよりも全然多かったです(笑)。まあ観ている人は違いますけどね」と星野は笑う。

「『エペジーーン』と言っていますが(見延が名付けた、『エペ陣』と『ジーンと感動させる』をかけた言葉)、日本での花形であるフルーレに負けない気概が実ったと思います。今回のオリンピックには4名がNEXUS FENCING CLUBから出場しています(見延、敷根崇裕、青木千佳、永野雄大)が、永野のフルーレ団体戦も期待できると思いますよ!」

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