小松左京は「親分肌でロマンチスト」 盟友・筒井康隆が明かす素顔

2

2021年08月02日 17:00  AERA dot.

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

AERA dot.

写真筒井康隆 1934年、大阪府生まれ。(撮影/写真部・小黒冴夏)
筒井康隆 1934年、大阪府生まれ。(撮影/写真部・小黒冴夏)
 星新一、筒井康隆とともに「SF御三家」と呼ばれた小松左京が今年、生誕90年、そして没後10年を迎えた。「作家として学ぶことが多い」と語り、個人的にも交流があった盟友の筒井さんに「小松左京」を語ってもらった。

【筒井さんイチ押しの小松左京作品5冊はこちら】

*  *  *
──小松左京さんも筒井さんも関西のご出身です。関西は権威に反発する精神、それでいてクールに現実を受け止める傾向があるようにも思います。そのうえで、小松左京さんと筒井さんは性格など似ていると思える点はありますか。

筒井康隆:性格はまったく似ていないと言えます。権威に反撥する精神は共通しているようですが、それも小生にとってはどうでもいいことでした。小松さんは目上の人を立てる人で、長幼の序を重んじているように思えました。SF作家仲間で馬鹿話をしている時は権威をおちょくるようなめちゃくちゃを言って皆を笑わせていましたが、本質的には真面目な人だったと思います。それに比べれば私など、ずいぶんいい加減なものでした。

──作風に関してはいかがでしょう。SFという点では同じかもしれませんが、似ているところ、そうでないところ、など意識したことは。

筒井:新しいことに飛びつくところは一致していました。だからこそ二人ともSFというジャンルを選んだのです。二人ともいろいろな作風で書いていますが、小松さんはすごい知識量の上に大変な勉強家でした。ギャグやナンセンスにも通じていて、ユーモアのある作品にもそれは反映されていましたが、特にハードな長篇になると調査、下調べ、計算などの上に立って、他の追随を許さぬ世界を描ききっていました。私はアイディア本位なので、馬鹿な思いつきを書き続けてきました。だからこそ偶然のように予言的なことも書けたわけです。
──小松さんとお会いしたときにどんなお話をされていたのでしょう。

筒井:これは憶えていません。というのも最初はたしかSF関係の会合だった筈なので、二人きりの話はしていないと思います。ご挨拶は「小松です」でも「小松左京です」でもなく、「小松でございます」でした。これは確かです。二人だけの時の話題は、シュールリアリズムだったように思います。小松さんは京都大学でイタリア文学を専攻し、卒論はピランデルロでした。私は大学で美学芸術学を専攻し、卒論はシュールリアリズムでしたから、当然話はその周辺だったろうと思います。あとはやはりSF関係の、その時どきのうわさ話だったでしょうね。

──「私は小松さんの文学的なところばかりを勉強してきた」とかつてインタビューでお答えになっていましたが、小松左京文学の魅力はどんなところにあるのでしょうか。

筒井:テーマの重さが魅力でした。シリアスな長篇が小松さんの本領だったと思いますが、そのストーリイテラーとしての力量も並外れていました。細かい部分の話の持って行き方や、人間と人間の関係性(関係ではなく)を描くタッチも学ばせてもらいました。エンタメも雑には書かず、きちんとした首尾一貫性を保っていました。

──私(記者)は星新一さんのショートショートで社会を、小松左京さんの小説で世界と宇宙を、そして筒井康隆さんの小説で人生と哲学を学んできました。コロナが席巻する現在、死や無、文明の崩壊、その一方、未来への期待もある“SF作品”が読まれるべきだと個人的には考えております。SF、ないしは文学の未来についてどうお考えでしょうか。新作『ジャックポット』も今こそ重要な書だと確信しています。

筒井:未来については楽観的です。新人が常にデヴューしていますから安心しています。最近は文学賞の候補作しか読んでいませんが、純文学の谷崎賞、エンタメの風太郎賞、どちらにもいい作品がありますから、未来は明るいように思います。

──「小松ロケット」で宇宙へ送り出された小松さんは、今の地球をどうご覧になっていると思いますか。

筒井:申し訳ありませんが、私は死後の世界を信じませんので、虚無の世界にいる小松さんの、今の地球への想いや見方はまったくわかりません。ただ、もし小松さんが生きていたら、現在は過去にない世界なので、小松さんの発言は過去にない新たな示唆を含んだ発言であろうと思います。とても私が替わりに答えられるようなものではない筈です。

──最後に、やはり小松の親分は、ロマンチストでしたか。

筒井:当然です。あの膨大な知識を蓄えた頭脳の中には尽きせぬロマンの泉がありました。三冊の「女シリーズ」でその一端が窺(うかが)えるでしょう。ついでに「親分」という言葉に反応して申しますと、彼は確かに親分肌で、後輩に親切でした。あくまで昔の話ですが、私を韓国料理に連れて行ってくれて、冷麺の旨さに目覚めさせてくれましたし、上京してホテルが取れなくて困っているときも、彼に電話したら「よしきた」と言ってホテルニューオータニの部屋を取ってくれたり、これは「あいつを消してくれ」と頼んだらよしきたと言ってやってくれるのではないかとまで思ったものです(笑)。晩年はお目にかかる機会が少なくなって残念でしたが、もっとお逢いしたい人でした。
(本誌・鮎川哲也)

※週刊朝日  2021年8月6日号

このニュースに関するつぶやき

  • 小松左京も「小松の親分さん」だったのか!
    • イイネ!3
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(1件)

ニュース設定