「自分にもできる」へ意識が変化 バドミントン世界トップレベル選手を生み出す監督の教え

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2021年08月05日 11:30  AERA dot.

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写真池田信太郎(いけだ・しんたろう)/元プロバドミントン選手。現在はフライシュマン・ヒラード日本法人のシニアコンサルタント (c)朝日新聞社
池田信太郎(いけだ・しんたろう)/元プロバドミントン選手。現在はフライシュマン・ヒラード日本法人のシニアコンサルタント (c)朝日新聞社
 東京五輪のバドミントンでは日本男子初のメダリストが混合ダブルスで生まれるなど、日本勢は今大会も前進した。世界トップレベルの選手が次々と生まれる理由とは。AERA2021年8月9日号の記事を紹介する。

【写真】5位入賞を果たした福島由紀、廣田彩花組

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 日本代表は近年、五輪ごとに過去最高の成績を更新し、躍進してきた。

 08年北京五輪で女子ダブルスの「スエマエペア」こと末綱聡子、前田美順組が3位決定戦に進んで4位に食い込むと、12年ロンドン五輪の同種目で「フジカキペア」こと藤井瑞希、垣岩令佳組が銀メダルを獲得しバドミントン界悲願のメダル獲得。そして16年リオ五輪では「タカマツペア」こと高橋礼華、松友美佐紀組がついに金メダルを手にした。

 世界トップレベルの選手が日本で次々と生まれているのはなぜだろうか。日本バドミントン界初のプロ選手で、北京、ロンドン両五輪に出場した池田信太郎さん(40)は言う。

「朴さんが選手たちの意識を変えたことが大きい」

 朴さんとは、韓国出身の朴柱奉(パクジュボン)日本代表監督(56)のことだ。来日前の04年アテネ五輪で、日本勢はシングルス5人、ダブルス4組が出場し、全種目でわずか1勝しか挙げられなかった。その年の秋、朴監督が就任した。1992年バルセロナ五輪男子ダブルス金メダリストで、引退後は韓国や他の国でコーチをしていた実績を持つ。世界の強豪と戦うための意識改革やフィジカルの強化が始まった。

「以前は、海外の選手たちが日本の選手と対戦する際は、そこまで準備せずに試合に臨んでいたと聞いています。朴さんが来るまで、日本人選手が海外で活躍するイメージは全く持てなかったけど、朴さんから世界トップ選手に対しても自分のパフォーマンスを100%出して戦っていくことの大切さを繰り返し教わる中で、意識が変化していきました」

■強化合宿で切磋琢磨

 また、日本では多くのトップ選手が実業団に所属し、勤務後に練習していた。そうした企業の壁を越えて日本代表チームの強化合宿を定期的に開くようにして、競技に専念できる環境を確保したことも大きかったという。国内のトップ選手が一緒に練習する中で切磋琢磨(せっさたくま)し、競技力を向上させていった。

 改革の成果は、朴監督就任からわずか3年で表れた。07年世界選手権で男子ダブルスと女子ダブルスで日本勢が3位。このとき日本男子初の銅メダルを手にしたのが池田さんだ。

「世界ランキング上位の選手と競ることができたり、たまに勝てたりするようになる中で、選手たちの意識が変わっていきました。陸上の100メートルで10秒の壁を一人破ったら何人も続いたように、誰かが壁を突破すると、みんなが『自分にもできる』と、自分事化できるようになります」

 池田さんが言う「自分事化」がよく表れているのが、女子ダブルスだ。例えば、13年越しの連覇を成し遂げたソフトボールの日本は、上野由岐子(39)が絶対的エースとして投げ続けてきた。一方、バドミントンの日本は3大会連続の五輪メダルを狙った女子ダブルスで3大会とも異なる選手たちが出場した。

 東京五輪では男子初のメダリストも誕生した。渡辺は試合後、こう話した。

「僕の成績を追い抜いていく後輩たちがどんどん出てくる」

 このメダルは男子にとっても未来への道しるべだ。(編集部・深澤友紀)

※AERA 2021年8月9日号より抜粋

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