「混浴に勇んで行けば妻一人」 話題の川柳「作者」追いかけ、息子に聞いた波乱の半生

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2021年09月18日 09:31  弁護士ドットコム

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「混浴に 勇んで行けば 妻一人」(三重県 西井秀幸)


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10年前に賞をとった川柳が、今年の夏、インターネット上で少し話題になりました。



下心をちょっぴり含ませた川柳をつくった男性の消息をたどると、作者の西井秀幸さん(享年70)は2年前にガンでこの世を去っていました。



波乱の半生を息子さんが振り返ります。(編集部・塚田賢慎)



●石に彫るような川柳じゃない?

「石に彫るような川柳かよ。」という言葉と一緒にツイッターに投稿されたのは、立派な石碑に彫られた上記の川柳でした。



作品は、2011年に栃木県高根沢町が主催する「元気川柳」の最優秀賞となり、作者名とともに石に彫られました。



ネット上では、この作品が実名で晒されるのは恥ずかしいことなどの指摘もあったのですが、記者は男性がよんだユーモラスな下心がなんとなく好きで、作者の西井秀幸さんの名前を調べたところ、ほかにもいくつかの川柳を投稿していることがわかりました。



たとえば、2013年には大阪弁護士会による「取り調べの可視化川柳」で大賞を受賞。マジメな一面もある人にみえます。



どんな気持ちで「混浴」の川柳をよんだのか知りたくて、いくつかの手がかりから、西井さんを探してみることにしました。



ところが、西井さんは2年前にガンで還らぬ人に。かわりに、三重県志摩市で一緒に住んでいた長男の貴彦さん(41)が「親父のことを記事にしてくれたらうれしい」と取材に快く応じてくれたのです。





●マイカーは「2413」

「すごいんですよ。親父は昭和24年1月23日生まれ。亡くなったのは平成31年3月12日の12時21分。1から4の数字だけでしょ? 車のナンバーも2413(西井さん)でした。真面目なのに、おもしろいところがあるんです」



父親のことを話す貴彦さんの声は電話越しでもはずんでいることがわかります。



西井さんは2003〜2005年まで、志摩市議(当初は志摩町議でしたが、2004年の合併で志摩市議に)を務めた人です。



「親父は高校出た後は銀行に就職しましたが、ステレオの研究がしたいといって仕事をやめて東京に飛び出したり、いろいろ自由な人でした。議員活動のときも、自分のお金で視察に行ったり、僕や母親からは何1人で必死こいてんのとあきれられてました」



釣り船屋を営んだときには、イチから作った「ウキ」をお客さんに配って喜ばれたそうです。





「釣り具メーカーから商品化の話もきましたが、これは魚釣り大会で優勝したお客さんにあげるんだと断ってました。親父は夢中になると止まらんタイプ。有名な釣り師の大西満さんが、魚釣りの雑誌で親父の釣りを褒めてくれたと聞きました」



●反発した息子が父と2人で暮らすまで



「親父は僕を厳しく育てました。僕は子どものころから相撲や空手、レスリングなど格闘技をやってまして、僕の力が中学高校で親父を上回ったとき、思いを裏切るように道をそれてしまったんです。



本当は学校の先生にしたかったようです。ぶつかり合って、何年かしゃべらない時期もありました。実家を出て伊勢市で働いていたところ、ある日突然、話があるから帰ってきてと連絡をうけました」



ガンの報告でした。この先10年は生きられないだろうということでした。



西井さんは2度の結婚と離婚をしています。最初の妻との間に産まれた2人の娘は、若いうちに病気で亡くなりました。次の妻と結婚して産まれたのが貴彦さんです。



「親父は20代のころに娘2人亡くして、しんどい思いをした。僕の母親も、僕が原因で出ていったようです。僕が優しくしないといけない。それで親父と2人暮らしをすることにしました」





●闘病のお供に、パソコンとネット環境

西井さんはガンのために、フルタイムで働けなくなると、伊勢海老漁のアルバイト(獲物を網からはがす朝6時から1時間2000円の作業)などを始めたそうですが、どうしても暇な時間ができてしまいます。



「することがないなら、パソコンを買えよと話してました。そんなときに、僕が会社のボーリング大会で優勝して、景品がたまたまパソコン。家にすぐネット回線を引いて、親父に景品を渡しました」





すでに郵送で川柳や、ラジオ番組(つボイノリオさんの番組など)に投稿をしていた西井さんですが、ネットで情報を調べ、どんどん応募するようになりました。



川柳が採用されると、クオカードや主催企業の商品詰め合わせなど、さまざまなものが送られてきました。



「お父さんってセンスあるのかもなー」と貴彦さんの前で得意になることもあったそうです。



西井さんは、大きな賞には本名で投稿していましたが、もっと気楽な企画には、「バンバン爺」というペンネーム(雅号)も使っていました。





2017年の「きのこ川柳」(ホクト株式会社)に送った川柳は、ペンネームで送っています。



「和に洋に きのこ華麗な 七変化」(バンバン爺)



●インターネットを席巻する「バンバン爺」

「バンバン爺」の名前を検索すると、出るわ出るわ。西井さんの作品が大量に見つかります。



「親父が川柳に夢中になっていくのは、バンバン爺さんの作品はおもしろいとコメントしてくれる川柳仲間が何人かできたからです。お互いが、投稿情報を共有してメールでやりとりしていました」



仲間のひとりに、20代の女性がいたそうです。



統合失調症のために、外に出る仕事ができず、パソコンと日々向かい合っている。死にたい。西井さんに相談にのってほしい——。



西井さんは、積極的に相談にのり、生きてほしい、頑張れと彼女をメールで励ましていました。



「この子な、かわいそうに。病気やもんで死にたいと言ってな、夜になると寝れんやで」



夜遅く、そう言いながら、自宅で返信を書く父親の背中に、貴彦さんは「あんたのメールで元気になれるんやったらええやん」と声をかけたことを覚えています。



川柳を出して、西井さん(バンバン爺)の名前が載ると、この女性も仲間たちも、おおいに喜んでくれました。それで、川柳をつくる手を止めることはなかったそうです。



●血を吐く父のため、酒断ちを決意

もちろん、闘病生活は生易しいものではありません。



「僕はお酒が好きやもんで、寝る前にいつも晩酌したんです。ある夜も飲んでいて、どうにも胸がざわざわして、親父を見に行ったら、血い吐いて倒れとったんです。



お酒を飲んでるから運転できない。救急車で運んでもらいました。



それからは、親父がおる以上、飲んだらあかんと、酒は5年断ちました。同じようなことが起きたら、僕が親父かついで車で病院に連れていった。



闘病生活は正直、しんどかったですね。心折れそうやったけど、親父がおるからこの経験ができるんだと思って乗り越えました」



2019年3月、西井さんは腹水を抜くため、入院することになりました。前夜、貴彦さんが2階の自室から降りてくると、西井さんがパソコンをまだいじっています。



統合失調症の子や、川柳仲間に、入院して元気になって2週間後には戻ってくる。その間、メールしないけど、心配するな。そのような連絡をしていました。





しかし、西井さんが生きて病院から帰ることはありませんでした。



「だから、仲間たちは親父が死んだことは知らないと思う。だから、この記事が出て、西井さん、バンバン爺さんのことちゃうんかと伝わってほしいです」



●この世を去ったのは突然だった

西井さんは、自分が今回も生きて帰ってくると思っていたのでしょう。自宅のパソコンにも金庫にもロックがかかっていました。貴彦さんは、車のナンバーから何から暗証番号を試しましたが、解除できません。父親の大切な仲間に知らせたくても、訃報を知らせるすべがありませんでした。



息子への遺言はありません。かわりに、亡くなる1週間前に「貴彦、もしお父さんが亡くなったときには、手のあいている医師や看護師さんがいたら、病室に来てもらって、私の死んどる姿の前で伝えてほしいことがある」とメッセージを託していました。



「医学は大切だけど、それだけではなくて、医学では解決できない人間の笑顔やあたたかさで7年も生きられました。本当に感謝します。みなさん、自信をもって、日本の医療現場で人の命を助けてください」



貴彦さんは、父親の思いをしっかり医師や看護師らに伝えました。



「病院からの帰りに、親父の財布を見たんです。4つ折りのメモが入って、『アリエール レノアハピネス』と書かれていた。退院したときに買おうと思ってたんでしょうね。僕への遺言かと少し期待しましたが、ありえねえし、ハピネスちゃうわと笑いました」



●裁判を経験したからこそ、思い込めた「取調べの可視化川柳」



「親父の川柳は、ひねったものじゃなくて、人がにやけるようなものや、みんなの首を自然と縦に振らすようなものが得意だった」



だから、作った川柳の意味や背景をくどくど説明してくることもなかったそうです。ただ、大賞をとった「取調べの可視化川柳」だけは、貴彦さんが「もうええわ」とあきれるほど話をされたといいます。



「僕が5〜6歳のとき、親父は勤めていた会社の社長から指名されて、大阪に単身赴任したんです。



大阪の社員が個人加盟の労働組合に入って、会社とバンバンやりあってた。当時は悪質な組合があったようで。だから、西井は会社側で戦え。そんなご指名でした。



いろんな裁判を経験したらしいです。だから、大阪の裁判所や弁護士事務所がある北浜エリアにアパートを借りて住んでた。大阪は思い出の場所だから、表彰式に参加してくると言って、聞きませんでした」



当時、大腸、肝臓、肺、体中にガンは転移して、さらには、大動脈解離や、腸閉塞など死の危機になんども襲われていました。



抗がん剤治療中の西井さんにとって、三重から大阪の移動だけでも負担となりますが、どうしても行きたがったそうです。





「裁判も経験しているし、何かしら、思いがあったんちゃうかな。ニュースを見ながら、これって冤罪やないんかと言うことがよくありました。警察に言いくるめられて、認めて早く帰りたい。楽になりたい。世の中にはそんなことがいっぱいある。嘘はつかんでいい。裁くなら正しく裁け。そんなことよく話してましたから」



表彰式の様子を伝える大阪弁護士会の資料には、〈西井さんによれば、日ごろからえん罪のことなどを考えることが多かったが、今回の募集を見て、応募しようと考えてすぐに、この句が浮かんだとのことである。〉と書かれていました。



●いつか僕は父の作品を見に行く

「そもそも、この取材って、親父がどんな思いで、混浴の川柳をよんだのかということを聞く企画でしたよね。ごめんなさい。これはわかりません。僕はこの川柳を知らなかったし、親父も石碑になったことは知らなかったと思う。



だけど、ネットで話題になっていたことも、作品が飾られていると知れたことも、こんなにうれしいことはない。僕はこれを栃木に見に行くという目標ができました」



この石碑は、元気川柳を手がける高根沢町の「道の駅たかねざわ 元気あっぷむら」にあります。







●バンバン爺の作品

ネットで見つけた「バンバン爺(西井秀幸さん)」の作品を一部紹介します。



万が一、西井さんではない別の「バンバン爺」の作品の場合は、編集部にお知らせください。



「先客は 40年ほど 前の美女」(ホテル多度温泉の「温泉川柳」)



「女湯の 話題根も葉も ある噂」(東京都浴場組合の「銭湯川柳」)



「妻はしゃぎ 俺後ずさる 子宝湯」(日本観光振興協会の「観光立国川柳コンテスト」優秀賞)



「打たせ湯に しばし行者の 夢心地 」(石油連盟の「湯ごこち川柳」)



「除夜の鐘 足掛け二年 お湯の中」「湯に想う 肩まで百まで 亡父の声」(ともに肘折温泉の「温泉・湯治で5・7・5」佳作) 



うらめしや 水撒き終えれば 積乱雲(Garden&Gardenの「ガーデン川柳」Bronze Water Pot Award)



「怪しまれ 外で震える パパサンタ」(日本ネットワークセキュリティ協会の「せきゅり亭」)



「お局の 寿退社 大拍手」(パートナーエージェントの「婚活川柳」)



「にやけ顔 ボクは蜂蜜 パパ壇蜜」(鈴木養蜂場はちみつ家の「はちみつ川柳」優秀賞)




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