九段下の人気ラーメン店店主が“客との口論”で得た気づき 「クリエーターかぶれになっていた」

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2021年09月19日 12:00  AERA dot.

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写真「九段 斑鳩」の特製濃厚らー麺は一杯1000円。菅野製麺を使っている(筆者撮影)
「九段 斑鳩」の特製濃厚らー麺は一杯1000円。菅野製麺を使っている(筆者撮影)
 日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。本物の食材で作る上質な一杯で20年以上、東京のラーメンシーンを牽引する店主の愛する一杯は、不器用なまな弟子がたどり着いた地元産の食材をふんだんに使った“おもてなし”の一杯だった。


【写真特集】「斑鳩」店主が愛する「おもてなしのラーメン」はこちら!
■「クリエーターかぶれになっていった」名店店主の気づき


 2000年に九段下でオープンした「九段 斑鳩」(16年に市ヶ谷に移転)。香り高い魚介のスープに厚みのある動物系スープを加えて仕上げた「斑鳩」のラーメンは、東京のラーメンシーンを20年以上も牽引する横綱的な一杯だ。アパレル業界出身の店主・坂井保臣さんのセンスがそこここに光り、ラーメンの味のみならずその世界観すべてが上品に映る名店だ。



「斑鳩」はオープン時から他のラーメン店とは一線を画していた。街に根付いた店づくりを目指しつつも、本物の食材を使って上品に仕上げることに注力した。坂井さんは周りのラーメン店よりも、同じ価格帯の別の飲食店の動向を気にしていた。特に気になっていたのはスターバックスコーヒーの台頭だった。


「本物志向で、今までの店よりも高額のカフェが受けるのかどうかがとにかく気になっていました。いわゆる“意識高い系”の商品への、一般からの反応が楽しみだったんです。スタバは成功をおさめましたが、我々としては、高級食材を使いながらも低価格を維持し、“数を売る”ことで頑張ることに決めました。そのほうが楽しんでいただけるお客さんの数が増えるからです」(坂井さん)


 10年に10周年を迎えたのを機に、坂井さんは従業員一人ひとりと1on1ミーティングを実施。独立希望者が多いかと思いきや、「ずっと斑鳩で働きたい」という社員がいることを知る。従業員の人生を預かるにはもっとしっかりとした会社に成長しなければと考え、支店展開を決意する。



 そのタイミングで、東京駅の「東京ラーメンストリート」出店のオファーがやってくる。正確に言うと、実はオファーはこれが初めてではなく、坂井さんはかつて出店を断った過去があった。


「もう一度お声がけいただけるとは思っていなかったので、感謝しかありません。以前は支店を考えていなかったのでお断りしていましたが、東京駅に支店を出せるというこれ以上ないチャンスをいただき、喜んで出店させてもらうことにしました」(坂井さん)




 こうして11年、「東京駅 斑鳩」がオープンした。開店当初はオペレーションに苦しみ、長い行列はできるものの売り上げは下から2番目だった


「九段下の本店では“クレーム”というものはほとんど発生していませんでした。それは、うちのお店を目指して食べに来てくださる方が多かったからだと思います。ただ、東京駅は何かの用事のついでで来られる方がたくさんいます。その中で、クレームに発展してしまうことがありました。私も本気で作っているので、お客様と口論になってしまったこともあります。しかし、それは大きな間違いだったんです」(坂井さん)


 お客さんはあくまでラーメンを食べに来ているのであって、坂井さんの作品を見に来ているわけではない。このとき、坂井さんは自分がクリエーターかぶれになっていることに気づいたのだ。商売の基本に立ち返り、クレームに対しては、まず謝る姿勢を見せるところからスタートした。ここで坂井さんはいちラーメン店主として、目が覚めたという。


「『東京ラーメンストリート』のある『東京駅一番街』は“一番”しか入れない場所です。そこに入れていただいただけで名誉ですが、ここで商売の原点に立ち返らせてもらいました。ここからまた新しい『斑鳩』がスタートしていきました」(坂井さん)



「斑鳩」に食べに行くと、どんなに忙しくても常に笑顔でラーメンを作り続ける坂井店主の姿がいつも印象的だ。ラーメンのおいしさだけではない、店の空間自体の心地よさを感じる。20年以上も続くラーメン店には、必ず理由があるのだ。


 16年には本店を市ヶ谷に移転。現在は昼営業のみとなっているが、今後は昼夜のフルオープンに向けて準備しているという。坂井さんはこれからも厨房に立ち続け、味のブラッシュアップも重ね、さらなる存在感を示していきたいという。


■まずは道の掃除… 成田の名ラーメン店が始めた「基本」


 JR成田駅から徒歩6分。千葉県成田市役所の近くの栗山公園の横に一軒の人気ラーメン店がある。「らあめん clover」である。ツタの絡まるおしゃれな店構え。千葉県産の食材にこだわった一杯を提供し、店の前には「千産千消」という造語の看板が出ている。



 看板メニューの「醤油ラーメン」は鶏ベースのあっさり系。醤油の香りとうまみがキリッと立ちながら口の中に広がり、とてもおいしい。ゴボウが入っているのが独特で、これは成田山にまつられるゴボウをヒントに地元産のものを使っている。シンプルながらこだわりもしっかり見える素晴らしい一杯だ。




 店主の藤岡敬大さんは千葉県の四街道市出身。もともと大のラーメン好きで、高校時代から千葉エリアを食べ歩いていた。友人と暇を見つけてはラーメンを食べに行く日々。自動車の免許を取ってからは都内にも繰り出した。


 社会人になると、「東京のラーメン屋さん」というウェブサイトの20代限定のオフ会に参加するようになる。その頃は夜に仕事をしていたため、日中に1日5杯ペースで食べ歩きをしていたという。23歳のときには、周りの推薦もあり、テレビ東京「TVチャンピオン」のラーメン王選手権の予選に出場したこともある。


 当時の藤岡さんは、ラーメンを職業にしたいという思いから、ラーメン評論家に憧れていた。だが、この予選を受けたことで、上には上がいることがわかった。そこから一転、藤岡さんはラーメン屋になることを決意する。


 人気店を徹底的に研究しようと、「超らーめんナビ」というサイトの人気の上位20軒を食べ歩き、修業先を探した。このとき1位になっていたのが「九段 斑鳩」。食べて店を出るとき、居合わせたカップルが満面の笑みで帰っていくのを見て、この店で修行することに決めたという。こうして藤岡さんはラーメンの世界に飛び込んだ。



 藤岡さんが修業に入った04年は、「斑鳩」が最も伸びている時期だった。年末のテレビ番組の特番でも上位にランクインし、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで行列を伸ばしていった。


 入社してからは、先輩社員が多かったこともあり、藤岡さんはしばらく接客を担当。しかし、「斑鳩」の接客は並の接客ではない。そこにも坂井店主の哲学があった。


「“にこやかで品のある接客”がモットーでした。言葉で言うのは簡単ですが、それを『いらっしゃいませ』『ありがとうございました』で表現しなくてはいけないので、これが結構大変なんです」(藤岡さん)


 なかなかラーメンは作らせてもらえなかったが、藤岡さんは自分には接客業が向いていることに気づいた。お客さんとのコミュニケーションに楽しさを見いだしていたのである。この気づきが、その後の藤岡さんを作っていくことになる。


 3年ほど経ち、ようやくラーメン作りに携わることができるようになったが、これがとにかく大変だった。ラーメン作りに集中すると、お客さんの顔が見えなくなってしまうのである。それが不安で不安でしょうがなかった。不器用だった藤岡さんは、陰で練習を重ねて少しずつ覚えていった。


「斑鳩」で修行を始めて5年経ち、藤岡さんは29歳になっていた。その頃には全ての仕事を任され、自信も出てきていた。「斑鳩」のラーメンではなく、自分のラーメンを作って独立したかった藤岡さんは、いよいよ坂井さんに独立について相談をすることになる。



「私は『69’N’ROLL ONE(ロックンロールワン)』や『支那そばや』の味に衝撃を受けて育った世代です。なので、鶏の利いた清湯のラーメンで独立したかった。自分の原点にある味で勝負したかったんです」(藤岡さん)


 店の場所は自分の通っていた高校のある成田に決めた。もともと社会人時代に働いていたのも成田で、土地勘のある場所だった。同級生がやっていた居酒屋の居抜き物件を使えることもあり、条件も良かったのだという。


 物件はスムーズに決まったが、ラーメン作りに時間がかかりすぎた。試行錯誤しながら、自分の技術がまだまだであることを痛感する日々。名店「斑鳩」出身ということで、いざオープンすれば注目が集まることもわかっていた。気づけば物件を借りてから半年が経過。足踏みする藤岡さんに声をかけてくれたのは、坂井さんだった。


「坂井さんが『評論家さんやラーメンフリークには情報を流さないでおくから、細々とオープンしてみな』と言ってくれたんです。営業しながら細かい部分を修正していこうと提案してくれました。本当に心配してくれていたんです」(藤岡さん)



 こうして10年9月「らあめん clover」はオープンした。「clover」とは“「c」hiba 「love」「r」amen”の頭文字を取ったもの。鶏清湯をベースに、千葉の食材をふんだんに使った一杯を作り上げた。


 細々と営業していこうと思ったオープン初日、思いがけないことが起こる。同じ成田の人気店である「麺や 福一」の店主が食べに来てくれたのだ。「斑鳩」時代の藤岡さんを見ていた「福一」の店主が、良かれと思い千葉のラーメンフリークに向けて店を宣伝したことをきっかけに、「clover」オープンの情報は、一日にしてラーメン界に広がってしまったのである。


「『福一』さんが宣伝してくださったことはとてもありがたいことなのですが、オープン初日から落ち着かない形になってしまいました。オペレーションは大丈夫でしたが、商品はブレブレでした。納得いくものが出せない日々でしたね」(藤岡さん)


 バタバタしたまま半年が過ぎた頃、東日本大震災が起こった。これを機に、客足がパタッと止まる。藤岡さんは、この店に地元のお客さんが全く来ていないことに気づいた。




「地域に根差したお店ではなく、ラーメンフリークだけが来るお店になっていたんです。それでは成田でやっている意味はないし、自分の目指すものにはならない。そこでまず始めたことは、道の掃除です」(藤岡さん)


 藤岡さんは店の周りの掃除を通して、近隣の人とコミュニケーションを取り始めた。「斑鳩」時代に接客をやっていた頃のことを思い出し、味だけでなく、コミュニケーションでも自分らしさを出せることに気づいたのだ。


 店内での接客にも変化が出てきた。お客さんの顔を一人ひとり覚えて、常に目配り気配りをする。ラーメンを作る以前に客商売であることに目を向けたのだ。これは「斑鳩」の坂井さんが東京駅に支店を出した時の気づきに大変よく似ている。


 ここからは毎年少しずつ売り上げを伸ばし、成田の人気店として街に根付いていく。気づけば10年の時が過ぎ、この9月で11年目を迎える。


「斑鳩」の坂井さんは、藤岡さんが独立する頃のことを思い出しながら語る。


「不器用だけど真面目な弟子です。独立の頃は自分の思い描いた一杯が作れず悩んでいました。反対したこともありましたが、彼の思いを壊さずに成功させるにはどうしたらいいか一緒に考え抜きましたね。いつかの雑誌の企画で師弟の店として紹介され、久しぶりに一緒にラーメンを作ったとき、本当に頼もしく成長していてうれしく思いました」(坂井さん)


 藤岡さんも坂井さんから学んだ商売に対する姿勢を忘れていない。


「お客さんを喜ばせることを他の何より優先する人です。あんなに高級食材を使ったラーメンを1千円にしない理由にも驚きました。『ラーメン食べた後、お釣りで缶コーヒーでも買えたら幸せだろ』と、お店を出た後のことまで考えられる人なんです。このおもてなしの心は簡単にまねできるものではないと思っています」(藤岡さん)


 坂井さんが何より大事にするおもてなしの心が、藤岡さんの「clover」にもしっかり根付いている。長く続く店にはラーメンの味以外の何かが必ずある。(ラーメンライター・井手隊長)


○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho


※AERAオンライン限定記事


このニュースに関するつぶやき

  • (´ω`)ラーメンはB級グルメなんや。それ以上でもそれ以下でもないんやで・・・アワビやフカヒレ乗せて10000円とかA級気取ってんじゃねーよとか思うわ・・・
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  • 何だか長ったらしい記事なので途中で読むのをやめたが、「食べ物」を「作品」と称する食べ物屋では、私は食べたくないと思っている。
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