波岡一喜、コワモテ俳優のちょっと意外な素顔「娘にとって自慢できる俳優に」

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2021年09月19日 18:00  週刊女性PRIME

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写真波岡一喜 撮影/山田智絵
波岡一喜 撮影/山田智絵

 オリンピック、パラリンピックの期間中は放送がお休みだった大河ドラマ『青天を衝け』が再始動。パリから戻った栄一(吉沢亮)は、明治維新後の日本を目の当たりに。徳川慶喜(草なぎ剛)が蟄居する駿府を訪れると、そこには川村恵十郎(波岡一喜)の姿も……。

* * *

 故郷・血洗島から江戸にやってきたばかりの栄一らを平岡円四郎(堤真一)に引き合わせ、武士、ひいては事業家への道を歩む原点をつくった人物こそが、川村恵十郎。寡黙でコワモテだが、忠義に厚い。常ににらみを利かせる中で、激レア笑顔を見せた第15回(5月23日放送)は多くの女子がときめき、ツイッターでトレンド入りも。

「あはははは。冷たく見えるから、そのギャップですよね(笑)。ただ、やっているほうとしてはそこを狙う気持ちはなかったので、全く予期せぬ反応でした。円四郎さんを守れなかった回の反応は予想していましたが。無口な恵十郎をそこまでちゃんと見てくださっていることが、とてもうれしかった」

 演じるにあたり、川村恵十郎について調べるも、多くの資料は見つからず。かつて、その人物像にスポットが当たったこともない。

「僕の中では、静かに自分の仕事をまっとうすることだけを考え、演じていました。寡黙を中心に置いている分、笑顔、そして斬られた際にもギャップが生まれていく……という。

 ただ史実として、慶喜公に尽くし、晩年は日光東照宮の禰宜になっているんですよね。志半ばで断たれたような人生ではなかった。実は、恵十郎が母方の高祖父に当たるという子孫の方からSNSを通じて連絡をいただきまして。円四郎さんが最期を迎えたころです」

 その内容は“川村恵十郎がこういう形でフィーチャーされ、きちんと演じてくださっていることに感動しております。波岡さんに演じていただいてよかった”というものだった。

「漠然と僕が思い描く川村恵十郎をやっていたんですけど、血縁の方に、そう言っていただけたことは、間違ってなかったのかなと思いましたね」

 まさに俳優冥利に尽きる役に――。

俳優になりたい!猛勉強して、早稲田へ

 俳優を目指したのは小学5年のとき。

「当時、トレンディードラマが流行っていて。“カーンチ、セックスしよ”の『東京ラブストーリー』がとっても面白くて。見ているこっちがこんなに楽しいんだから、ブラウン管の向こう側はきっともっと楽しいんだろうな、と」

 中学時代には俳優は絵空事だと思っていたが、高校1年のときに地元・大阪の俳優養成所へ。“俳優になる”と公言するように。

「俳優を目指すからには、やっぱり東京。親が出した上京の条件が“大学に行け”だったんですが、全然勉強してなかったので1年浪人して。寮に入り、テレビも見ず、夜8時以降は部屋から出ず。ストップウォッチで1日10時間を計り、サボることなく猛勉強しました」

 翌春には超難関・早稲田大学政治経済学部経済学科へ。

「30歳までに俳優として成功しなかったら起業しようと思ったので、経済を選びました」

 学ぶことで世界が広がり、俳優よりもビジネスに傾倒することはなかったのかと尋ねると、

「なかったなぁ。うん、なかった。ただ、ゼミのつながりでマスコミ系のバイトはたくさんしました。通信社とか、御社の『すてきな奥さん』編集部でも(笑)」

 読者アンケートの集計や、バイク便代わりの届けものなどをしていたと懐かしむ。

「大学3年から27歳まで。『プライド』( '04年)やって、『パッチギ!』( '05年)やって、『電車男』(同)やっても、まだ食えてなかったので。“明日、オーディションなので休みます”も受け入れてくれて、とても居心地よかったですよ。

 最後までやっていたバイトは『すてきな奥さん』とサイバーエージェント。“絶対、営業に向いてるから社員になれ”って何度も言われましたね。断りましたけど(笑)」

 若かりしころはオーディション会場でメンチを切り、“現場は戦場”という意識が強かったという。

「役は取り合いですからね。“なんとなく役者やってます”“なんとなくオーディション来ました”。そりゃ受からないですよね。バランスのいい小さな五角形を作る人間なんて、誰も興味がない。へこんでいるところはあっても、ボーンと突出しているところを面白がってもらわないと。なので、そのスタンスとして“闘争心あるよ”と伝えていました。“趣味ケンカ、特技ケンカです。よろしくお願いします”って(笑)」

 当時はやんちゃな作品が多かった。『パッチギ!』、『クローズZERO』シリーズ( '07年、 '09年)、『ドロップ』( '09年)……確実に俳優としての地位を築いていった。

子どもは3人、毎朝一緒に幼稚園へ

「今はもうソフトですよ。超ソフト(笑)。大人になったから? うーん。子どもできて、圧倒的に丸くなりましたね。守るものが大きいでしょ?」

  '06年に結婚。今では中学生の長女、小学生の長男、幼稚園に通う次女の父親だ。

「いいか悪いかでいったら、いいお父さんだと思いますよ(笑)。仕事で遅くなっても、朝8時には子どもと嫁と手をつないで、3人で幼稚園に行ってますから」

 卒業式、運動会、バレエの発表会……などの行事は事前にスケジュールを調整し、必ず参加するようにしているという。

「ただ、ね。中2の娘は“パパにはちょっと学校には来てほしくない”みたいな感じなんですよ。多感なときだし、反抗期なのかもしれないけど。きっと、自分が娘にとって自慢できる俳優になれていないんじゃないかなと、最近、痛感していて」

 例えば、子どもたちがよく見るような人気ドラマでいい役をやり、友達から“パパ、カッコいいね!”と言われる俳優であってほしいのではないか、と愛娘の気持ちを慮る。

「僕が怖い役をやったり、ちょっとアウトローな役をやったりすることは多分、娘は嫌なんだろうな。

 今後やってみたい役を聞かれると、今までは“子煩悩で、泣き上戸の父親役”って答えていたんです。恵十郎がニヤッと笑うことで響く現象が起きたように、この何十年間かの“怖さのフリ”がある分、大きく振り子が振れるはずなので。来てませんけど(笑)。

 ただ、この『青天を衝け』でひとつクリアしたように思っていて。とっても面白い作品で、とてもいい役で。もうこれ以上、俳優として“どんな作品をやりたい”とか“どんな役をやりたい”っていうことでもないのかな、と。

 だから、ちょっとネガティブかもしれないけど、今は娘にとってもっと自慢できる俳優になりたいかな。うん。わが子にいちばん刺さる俳優になりたいです」

コラム

『青天を衝け』、今後の見どころは?

「幕末って戊辰戦争とか西南戦争とか、事件がいっぱいあるじゃないですか。そのポイント、ポイントを全部取り上げていくわけではないのが『青天を衝け』。今までとは違う描かれ方ですよね。

 明治時代となり、江戸の人たちがどんなふうに明治になじんでいき、どんなふうに経済が進んでいったのか? それに伴い、人が変わっていく感じがやっぱり面白いんじゃないかなと思いますね。もちろん渋沢栄一の物語なので、いろんな会社を作ったり、岩崎弥太郎(中村芝翫)との対決になっていくとは思うんですけど、そこも楽しみにしていてほしいですね。

 川村恵十郎も、物語のエッセンスとして出られたらと思っていますが、今後のことは僕にもわからない(笑)。慶喜公に寄り添い、そして最後はどこかで慶喜公と笑顔を交わせたら、と思っています」

俳優をやめたくなったこと

「あります、あります。30代前半〜半ばぐらいかな? もうバイトはしてない時期です。俳優として0から1に上がることも難しいけど、1から2に上がることはもっと難しい。たとえ多少の乱高下があろうとも、引いて見たときに右肩上がりであれば、やめようとは思わない。でも、実際には下がっていく時期がある。そこが我慢しきれないとやめようと思うし、実際やめていく仲間もいましたね」

 そこで踏ん張れたのはどうして?

「うーん。何ですかねぇ? 友達、ですね。みんな同じ悩みを抱えていましたから。決め手になったのは上地雄輔の言葉ですね。“馬鹿じゃないの? おまえが今やってる役、何人やりたいと思ってるヤツがいると思う? その役をおまえが今やってる時点で、おまえがやめるなんて馬鹿だよ”と。“だよなー!”ってガブガブガブガブッて酒飲みました(笑)」

職務質問なんて、ザラ!

 コワモテ俳優ゆえの苦労を聞いてみると、

「そんなにないですよ? 見た目が怖いから、僕が普通にしゃべっているだけで“すごい優しい人なんだ!”ってなるし(笑)。逆に聞くと、どんなことがあると思います?」

 職務質問されちゃったり……とか?

「ああ、そんなの(笑)。職質なんて今まで山ほどされてますから。ザラですよ。それこそ、俳優になる前からですから、苦労のうちに入らないですね。ちょっと前も、さんざん職質されたあげく、最後に“俳優さんですよね?”と。さすがにちょっとイラッとしました(笑)」

大河ドラマ『青天を衝け』
毎週日曜夜8時〜(NHK総合)ほか

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