錦織圭も認めたリアル「テニスの王子様」は、空手でも全国制覇した実力者だった

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2021年09月21日 11:11  webスポルティーバ

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 若手の登竜門と呼ばれる"オレンジボウル"で頂点に立ち、アメリカの大学にテニス奨学生として進学。フロリダでキャンパスライフを満喫しつつ、恋愛リアリティーショー『月とオオカミちゃんには騙されない』に出演して人気を博す----。
 
 そのようなプロフィールを目にすれば、多くの人は漫画の世界から抜け出したような、華やかな世界の住人を連想するだろう。

 ただ当の本人は、「ぜんぜん、華やかじゃないですよ」と形のよい口もとを少しゆがめ、苦みの混じる笑みをこぼした。

 堀江亨、22歳。ジュニア時代から世界の舞台で活躍し、2年前から芸能活動も精力的にこなす、リアル『テニスの王子様』である。

 人気漫画『テニスの王子様』にたとえられることを、本人は「うれしいですね」と笑った。

「小学校の頃に全巻集めました。当時のテニス漫画といえば、『テニプリ』が一番人気でしたから。主人公の越前リョーマとおそろいのリストバンドをつけてました」

 堀江がテニスにのめりこんだのも、『テニプリ』を夢中で読んでいた小学生の頃。ただ、成績という意味では、テニスと並行して習っていた空手のほうが上を行った。

「空手は小学生の時に全国優勝もしました。通っていたジムにはK-1やボクシングで活躍した人もたくさんいたので、僕もK-1かボクシングに行くのかな、という感じでした」

 ただ、結果が出せなかったことが逆に、堀江をテニスの道にいざなう。

「空手は階級があるので、同じ体格の子になら勝てる。でもテニスには、それがまったくない。子どもの頃は小柄だったので、パワーで負けることが多かったんです」

 とりわけ小学生時の彼には、同郷の岐阜県にどうしても勝ちたい相手がいた。

「いつも負けていた子に勝つために、テニス一本に絞りました。その子を初めて破ったのが、小学校6年の時。全国大会で勝ち、その流れで全国大会で優勝したんです。そこからですね、テニスでも結果が出はじめたのは」

 自身の性格を「逃げ癖がある」と分析する堀江だが、そのキャリアを振り返れば、むしろ困難の多い道を選んできた感がある。「華やか」の言葉に見せた拒絶反応も、そんな足跡ゆえだろう。

 負けを勝利に昇華するため選んだテニスは、結果的に彼を"世界"へと羽ばたかせた。15歳時に国内のジュニア大会を制し、以降はグランドスラム・ジュニアなど海外大会の常連となる。

 同時に、日出高等学校(現・目黒日本大学高等学校)のスポーツ・芸能コースに進んだ堀江は、芸能界への関心と意欲も高めていった。

 ジュニア時代はテニスとの両立はできなかったものの、堀江の意向を知る友人たちは「亨をバズらせよう!」と、SNSで"草の根プロモーション活動"をしてくれたという。

 錦織圭も、"二足の草鞋"を目指す堀江の背を押してくれたひとり。

「有明コロシアムで行なわれた表彰式に錦織さんと同席して、話す機会があったんです。その時に容姿をほめてもらって。『モデルとかやってるの? やったらいいのに、モデルっぽくてかっこいいもん』って言ってもらえました」

 既成概念にとらわれぬ錦織の自然体な佇まいは、堀江の視野を広げる契機にもなった。

 高校卒業を控えた堀江の眼前には、複数の選択肢があった。その彼が大学進学を選んだひとつの契機が、ジュニア時代最後の全米オープン・ジュニアだ。

 この大会での堀江は、現在プロで活躍する清水悠太とダブルスを組み、決勝へと勝ち上がる。一進一退の攻防となった決勝戦では、マッチポイントも手にした。さらにはこの局面で、力なく浮いた相手の返球が、堀江の目の前に飛んでくる。

「これで決まった!」

 日本ペアを応援する人々が、歓喜の瞬間に備えて腰を浮かせる。

 だが......堀江が放ったボレーは、ベースラインを越えていった。

 その後も試合は競ったものの、栄冠は相手の手に。照明の光に浮かぶ深夜のコートで、堀江たちは悔しさにうな垂れた。

 あれから4年経った今、堀江は「やっぱり準備が足りていなかったのかなと思って。そこは今も後悔するんです」と振り返る。

「マッチポイントでミスしたフォアボレーの高いボールは、以前から苦手だったんです。普通ならチャンスボールなんですが、自分には嫌な球だった。そういう簡単なショットの練習を、自分はしていなかった。決勝の舞台で緊張感もあったなかで、やっぱり練習や準備が足りなかったなって」

 準備が足りていなかった......。その悔いが、プロ転向も考えていた堀江にアメリカの大学進学を選ばせる。

「錦織さんや、西岡(良仁)さん、ダニエル(太郎)さんも海外を拠点としてプロになった。アメリカからのほうが、プロに進むコースが見えやすいと思ったんです。あと、自分はすごく細かったので、フィジカル強化が一番必要だと思っていた。アメリカの大学進学は、プロになるための準備期間です」

 プロへの道を歩むべく、海の向こうに定めた順路。ただ、異国での単身生活は、未知と苦労の連続でもあった。

「最初は英語もできなかったので、短大に行ったんです。僕は日本でも、学校に行って机に座って勉強して......という生活をほとんどしていなかった。なので、本当に大変でした」

 日々の生活のストレスに加え、左手の手首をケガし、テニスができない時期も重なった。精神的にも落ち込んだなか、このままではよくないと判断し、一旦休学して帰国する。『月とオオカミちゃんには騙されない』の出演が決まったのは、この時だった。

 番組収録を始めてすぐ、堀江は自分の適性を感じたという。テニスで人に見られることに慣れているからか、カメラの前に立っても緊張せず、自然体でふるまえていた。

 同時に「まだまだ、全然ダメだなって思う点も多いです」と、篤実な口調で彼は言う。

「動画や写真を見ると、自分が思ったように動けていない。毎回毎回、反省しています」

 そんな時は、動画の中の自分と理想の動きを重ね、差を埋めるべく練習した。そのプロセスは、テニスの技術向上の過程ともよく似ている。

「テニスの試合でも、一度も100点の試合はやったことがない。そこは似ているのかなって思います。ま、テニス選手にはナルシストが多いですから」

 長く伸ばした髪を揺らし、茶目っ気たっぷりに彼は笑った。

 テレビ等での露出が増えると、「そんなことをしているから上にいけないんだ」という声も耳に入るが、堀江は気に留めはしない。芸能活動は「リフレッシュ」の時間であり、テニスや学生生活にも好影響を及ぼすからだ。

「悪影響はまったくないですね。テレビに出てインスタのフォロワーが増えた時が、テニスの成績も一番よかったですし。応援してくれる人がいるんだから、もっとがんばらなくちゃと感じます。スポーツ選手は大舞台に立ちたい気持ちが強いので、その意味でもがんばれると僕は思います」

 現在の堀江はコーチら周囲の支えもあり、フロリダ州の4年制大学に転学してリーグ戦で活躍。フィジカルも強化され、18歳の時に比べて10キロ近く体重も増えた。戦果が認められ、この秋からはワイルドカード(主催者推薦枠)を得て、プロツアーの下部大会にも参戦していく。

「9月からは、芸能活動はまったくできないと思います。ここで結果が出せれば、上のレベルの大会にも挑戦したい。今はテニス一本で勝負に出ようかなと」

 芸能活動に、やりがいは感じている。ただ、やはり彼のなかで「テニスでの活躍が一番かっこいい」という大前提はゆるがない。

 将来的な目標はもちろん、ATPツアーやグランドスラムでの活躍。同時に彼には、もうひとつの大きな夢もある。

 それは、日本でのテニス人気を上げること。

「そこは一番ありますね。錦織さんクラスまで行ったら多くの人が見るでしょうが、200位、300位の選手だって試合のレベルは高いし、見たら面白い。グランドスラムの序盤や予選にも、みんなが見たいと思う選手がいたら、テニス界の状況も広く知ってもらえると思います。なので、そのレベルまで早く行きたいです」

 テニスと芸能活動の両立は、その夢を実現するための足がかり。多彩な経歴で心技体に磨きをかけ、堀江亨は「華やかな世界」を目指す。

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