眞子さま「駆け落ち婚」の何がいけないのか 森暢平教授、国民「小姑」化を憂う

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2021年09月22日 11:30  AERA dot.

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写真小室圭さんと眞子さま (c)朝日新聞社
小室圭さんと眞子さま (c)朝日新聞社
 婚約内定発表から約4年のときを経て、ようやく成就する眞子さまの結婚は、手放しの「祝福ムード」とはいかぬままゴールを迎えそうだ。2人の結婚をどうとらえればいいのだろうか。皇室の結婚に詳しい森暢平教授に寄稿してもらった。


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 眞子さまとの婚約が内定している小室圭さん(29)が近く、米国から帰国する。10月中にも自治体に婚姻届が提出されるはずである。


 週刊誌やSNSにはいまだに「駆け落ち婚」への非難が多いが、バッシングを続けても2人が結ばれることには変わりがない。


 それよりも、なぜ2人が結婚し、それに対し、あまりよくない思いを持つ人が多いのはなぜかを考える方が、生産的ではないか。


「『私』を抑えて国民のために尽くしてきたことで敬愛され、信頼を得てこられたのが皇室です。ところが眞子さまは『好きだから結婚する』というお考えを最後まで崩しませんでした。(略)『わがままを通した』ということ。『私』を優先したことにより、裏切られたと感じる国民も少なからずいます」


 静岡福祉大の小田部雄次名誉教授のコメントである(『週刊新潮』9月16日号)。申し訳ないが、共感できない。この論理に沿うと、滅私奉公が皇室の務めだということになる。結婚においても好きな人を選んではならないということになる。天皇・皇族の自由意思は否定されるべきなのか。


 皇室にはかつて「同等性の原則」「婚姻勅許(ちょっきょ)制」というルールがあった。同等性の原則は、明治の皇室典範が「皇族の婚嫁(こんか)は同族、又は勅旨(ちょくし)に由り特に認許せられたる華族(かぞく)に限る」(39条)と定めたものである。皇族は、同族(つまり皇族同士)か、認められた華族としか結婚できなかった。さらに、40条が「皇族の婚嫁は勅許に由る」と婚姻勅許制を明記した。皇族の結婚は、天皇の許可が必要だった。


 明治日本は2つのルールを主にドイツから取り入れた。同等性の原則は、ドイツ皇帝が連邦諸侯の王女と結婚するように、身分が近い者と結婚しなければならないと限る通婚制限原則である。上位貴族以外との通婚は許されない。婚姻勅許制は、身分違いの結婚を望んでも国王から許可されないし、それでも結婚したいのならば、生まれた子に王位継承権は与えられないという決まりである。いずれも帝位・王位の正統性を保つために定められた。




 ルールにもとる婚姻は、貴賤結婚・不正結婚である。英語ではレフト・ハンディッド婚(左手の結婚)と呼ばれた。こうした19世紀的通婚制限は、20世紀になると欧州でも古びた慣行になっていった。


 日本においても、1928(昭和3)年、秩父宮が平民籍にあった松平節子(のち勢津子妃)と結婚するなど規制緩和が進んでいく。戦後の正田美智子(現・上皇后さま)の結婚が、非華族(平民)との通婚だとして国民的祝賀を受けたのは、ご存知の通りである。


 婚姻勅許制は現在も形式的に残っている。2017年、眞子さまと小室さんの結婚について天皇の裁可(さいか)があったと報じられたことである。


 この件は、戦後初めての女性皇族の結婚、和子内親王の事例に遡(さかのぼ)る。1950年、鷹司平通(たかつかさとしみち)との結婚が裁可されるとき、婚姻は両性の合意のみに基く、と定めた日本国憲法24条との整合性が問題となった。そこで、裁可は皇室内部の手続きとして簡略化し、外部に公表しないことを決めた。


 だから、その後の女性皇族の結婚で裁可が公表された例はない。眞子さまのときだけ、なぜか公表されたのである。


 近代の皇室の歴史は、国民とのフラットな関係への志向(皇室平民化路線)と、権威化路線とのせめぎ合いのなかにあった。戦後皇室は基本的には、平民化路線へと向かっていた。


 だが、近年、怪しくなってきた。それは、災害や経済的苦境が続き、日本の国際的地位が低下したことと無関係ではない。人は、何かに確信が持てないとき、過去とのつながりを確認したくなる。正統性、伝統、国家というアイデンティティーにすがりたくなるのだ。従来の通婚範囲から大きく外れた場所から出現した小室さんを受け入れにくいのは、私たちが、不安の時代を生きているからである。


 眞子さまの結婚の裁可が公表されてしまったのは、宮内庁が前例を忘れたという単純な理由によるものだろう。



ありのままであるために必要


 だが、その深層には、天皇に権威性を求めてしまう社会の変化がある。不安定な政治に飽き飽きする私たちは、不変なものを皇室に求めてしまう。皇室は無私(わがままを言わない存在)だと信じたくなってしまうのだ。


 そもそも、孫娘の結婚に、祖父の許可が必要な家庭など今の日本にはほぼ存在しない。皇室の存在意義は、日本の家族の鏡であることだ。そこからの逸脱こそ、皇室の存続にかかわる。


 確かに、小室さんは同等性の原則からは大きく外れる。しかし、21世紀の私たちは、100年以上前の原則を皇族に押し付け続けるべきなのか。


 息苦しい日本で、若者たちは、相手の地位や年収や容姿といったステレオタイプ化した異性の魅力を重視していない。一緒にいて居心地のいいこと、ありのままの自分でいられることが最も重要である。社会学はこれをコンフルエント・ラブ(融合する愛)と呼び、従来型の恋愛と区別している。


 眞子さまが選んだ小室さんは、まさに、ありのままの眞子さまであるために必要な存在である。眞子さまの言葉を借りれば、小室さんは「かけがえのない存在」であり、2人の結婚は「自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」である。この言葉に、国民は戸惑っていると言う人がいる。社会の不安を眞子さまの結婚への期待に置き換えるべきではない。


 国民と皇族は違うという人もある。同じである。逆に、同じであろうとしたことこそ皇室と国民を結ぶ回路であった。皇族にもプライバシーもあれば、個人的な欲望もある。恋もする。


 国民が総小姑(こじゅうと)状態になり、眞子さまの結婚に注文を付けること自体、異様である。『週刊朝日』を含めたメディア報道もおかしかった。


 結婚を両親が認めたことも明らかで「駆け落ち婚」と呼ぶのはもはや適切ではない。仮に「駆け落ち婚」だとしても、そのどこが問題なのか。


 彼女の結婚を見守ることしか、私たちがなしうることはない。

※週刊朝日  2021年10月1日号


このニュースに関するつぶやき

  • 皇族でなければ好きにすればいい。皇族は、人だし日本人だけれど、国民ではない。そこが決定的に重要でね。「貴人に情なし」とか諸葛亮の「秤のような心」を理解しないと。
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  • お見合いで何名かの候補者から選ぶのがいいのよ。素性もわかっているし。
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