天龍さんが語る“尊敬できる後輩” 真っ先に思い浮かぶ麒麟児とあるひと言でモテる三沢光晴

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2021年09月26日 07:00  AERA dot.

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写真天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「尊敬できる後輩」をテーマに、つれづれに明るく飄々と語ってもらいました。


【写真】天龍さんの大好物はこちら!
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 尊敬できる後輩と聞かれて、真っ先に思い浮かんだのは二所ノ関部屋の後輩、麒麟児だ。2021年の3月に亡くなってしまったね……。彼は俺の3歳下で、中学卒業と同時に入門してきた。親父さんは国鉄の駅長をやっていて、それなりに裕福な家の息子なのに、中学を出て相撲に来るんだからすごいことだよ。よほど相撲への思いが強かったんだね。毎日、こつこつと相撲のことに一生懸命に取り組んでいて、後に「花のニッパチ組」として脚光を浴びることになるんだけど、それは彼の日々の努力の賜物だ。


 彼との一番の思い出は“押尾川騒動”。押尾川部屋で誰が跡目を継ぐのかモメている最中、女将さんが麒麟児を呼んで「押尾川部屋には行かないでね。部屋にダメージを与えないでね」とお願いしたんだけど、それを金剛が「麒麟児は今、女将さんから『うちの次女と結婚して部屋を持って』と言われているのかもしれない。態度がコロっと変わるかもな」なんて言っていたんだよ。それはお前だろう! まったく! そんな騒動も乗り越えて、初恋の年上のおネエちゃんと結婚して、相撲に精進している姿を見て「あぁ、麒麟児らしいな」と思ったよ。


 俺がプロレスに転向するという報道が出た時は、周りのみんなが腫物のような扱いをして近づいて来ないのに、麒麟児だけが「天龍さん、プロレスに行くのやめて、もう一回相撲でがんばりましょうよ。プロレスラーにならなくてもいいじゃないですか」って、引き止めてくれたんだよ。あの状況で、兄弟子に対してなかなか言えることじゃない。勇気があるね。




 国鉄の駅長の息子だから世間ができていて、政治的な争いも関知しない。育ちがいいから大人しく、それでいてほかの新弟子と違って自立していて、偉ぶるわけでもなく、よく気が利くから、俺のような田舎の農家あがりの相撲取りは癪(しゃく)に触るわけだ(笑)。プロレスに転向したばかりのころ、会場が名古屋場所の近くで、麒麟児が新弟子を連れて観に来てくれたこともあったね。あの時は、相撲を辞めてからもずっと思ってくれていたのが嬉しかったよ。


 プロレスラーの後輩で尊敬できるのは、三沢光晴と小橋建太だ。三沢は体操もやっていて身体能力が高く、馬場さんにかわいがってもらって、入門したときからエリート。大人しそうな顔をして、結構ハチャメチャやって……、まぁ、それは俺たちが三沢に教えたんだけど(笑)。プロレスは興行だから結構“やっかいな人”が来たりもするんだけど、三沢は全然物怖じしなかったもんな。度胸が座っているというか、ピントがずれているというか……。


 俺と楽ちゃん(現・三遊亭円楽)、飲み仲間の岡ちゃんのグループに三沢もよくついて来て一緒に飲んだもんだ。俺や楽ちゃんは名前と顔が売れているけど、三沢は全然売れていない時でも「俺もこのグループの一員だ!」っていう顔と態度で飲んでいるんだよ。その後、タイガーマスクになった時は、飲み屋のおネエちゃんたちに「知ってる? こいつタイガーマスクなんだよ」って言うと、おネエちゃんたちが一斉に三沢に群がるんだ(笑)。場を盛り上げる奥の手としてよく使ったよ。合宿所にいる時は真面目で地味な生活をしていたけど、俺たちのグループで遊びを覚えてしまったな。


 小橋は絵に描いたよう真面目で、冗談が通じない。今でも堅い話ばかりで全然面白くない。インタビューを受けても記事ならないことばっかりしゃべっているだろう?(笑)。小橋にとっては、プロレスがなによりも大事なんだ。どうしてもプロレスラーになりたくて全日本プロレスに入門して、体を大きくするために食べて、トレーニングして。メインイベントのリングに立つために一生懸命に練習して。本当に真面目にプロレスに打ち込んでいたし、誰に聞いても「小橋は真面目」と言うはずだ。そんな真面目な男と結婚してくれる女性が見つかって、子どもが生まれたのが一番喜ばしいよ。親戚の子どもが結婚して子どもが生まれたような気持ちだ。



 対照的な三沢と小橋だけど、誰よりも真摯にプロレスに向き合って真面目に打ち込んでいたのは共通しているところだね。二人とも少しでも「お母さんに楽をさせてやりたい」という思いが根底にあったんじゃないかな。俺にはそんな気持ちが伝わってきたよ。俺の場合は親父が健在だったけど、自分の家族ができてから、そういう気持ちがわかるようになったね。


 ほかの団体で一目置いていたのは、佐々木健介。彼も小橋に負けないくらい真面目にプロレスに打ち込んでいたね。いや、ちょっと種類が違うか。小橋は真面目で、健介は不器用な感じかな。全日本に長州が来たとき、長州が自分の団体のWJを立ち上げたときも長州について行動を共にして、ブレることがなかったね。長州が行動を起こすと健介が必ずついてきた。ちょっと苦労を知ってるがんばり屋って感じだね。何といっても、鬼嫁と言われる北斗晶の旦那でいられるのが一番すごいよ(笑)。


 現役の若手で注目しているのは……。あんまり言うと若い奴は調子にのるからなぁ……。今、天龍プロジェクトに参戦しているレスラーでは、これまでと違う空気を入れてくれた佐藤光留だな。技術のあるレスラーで、若手にも分け隔てなく教えてくれて、いい影響を与えてくれている。彼が出場するようになってから、天龍プロジェクトの雰囲気が変わったよ。矢野啓太と独特の、古典落語を聞いているようなグラウンドの攻防は見入っちゃうね。普通だったら今風のウケるプロレスがやりたいと思うだろうけど、古典的なプロレスをプライドを持ってやっているのが嬉しいし、それを観たお客さんが喜んでくれるのがまた嬉しい。彼らがいなくなったら、ちょっと心配だな。若手は、彼らがいるうちにいろいろ教えてもらえばいいし、見習ってほしいよ。だって、みんなリングの上で痛い思いをして、マットの上を転がされて、試合が終わって何も残らなかったら自分が一番かわいそうだろう。もっと発奮しろ! 俺の口から名前が出るようにもっとがんばれよ、コノヤロー!



 今まで、いろいろな後輩がいたけど、ちゃんと礼節をわきまえて、先輩を立てられる人間がやっぱり俺は好きだな。ちょっとでも態度が悪いと、こっちもカチンときて「コノヤロー!」ってなっちゃうし。まぁ、ちょっとしたことで人の好き嫌いは出てしまうし、利害関係があるなら我慢しなきゃいけないこともあるだろう。俺は我慢ができなかったけど(笑)。もっと上手くやればよかったと思うこともあるけど、まぁいいか、俺はこの生き方で気持ちよく人生を全うしていると言いたいね。


 現役時代はよく後輩を連れて飲み歩いて、家族よりも後輩をかわいがってきたけど、女房には「引退して自分の周りを見てみなよ。誰もいないじゃない。こんなもんだよ(笑)」と言われる。確かにその通りだ(笑)。まぁ、見返りを求めていたわけではないし、その時は後輩にしてあげられることをしてやろうと思っただけのこと。これで発奮してくれる材料になればなと思っていたんだ。でも後にその後輩が「昔は試合終わった後に朝まで飲んで、そのまま試合会場に行って試合をするなんてことを毎日やっていたけど、飲みたくもない酒を飲まされて大変だった」なんて言っているのを聞くと悲しくなるよ。あの時は楽しそうに飲んでたじゃないか! まぁ、本人が思うことだからしょうがない。振り返った時に、そういう人がいるからこそ、反省して復習して、勉強する。いろんな人がいて、やっちゃいけないこと、言っちゃいけないこと、これはこうしようと取捨選択して、先輩を見て、真似したり、反面教師にしたり、それで格闘技生活50年以上を過ごしたんだなと思う。天龍源一郎もいろいろな人を見て人生を学んだ。酒を飲んではカラオケで「津軽平野」ばかり歌っているだけじゃないぞ! ん? 文句を言っていた後輩は誰かって? 名前は出さないよ。あいつの店の宣伝になっちゃうからな!(笑)


(構成・高橋ダイスケ)


天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。


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  • 10年近く前までは『変態』で、数年前からは所属ではないながらも『全日ジュニアの門番』のようなひかるん。里歩も成人してしまったし、変態要素が消えてしまったなぁ。
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